動物に於ける藝術 1.求愛 2.威嚇 3.擬態

市原ぞうの国」より

藝術は人間だけが為せる技なのだろうか? 藝術とは人間同士だけが送受信可能なコミュニケーション・メディアなのだろうか? という素朴な疑問がある。

藝術に対して人間と同じ認識の持ち方はしないだろうけど、動物や虫たちには藝術の素となるものがあるはずなのだ。

「動物よりも人間の方が進化しているので人間は藝術を産み出した」という人間優位な考え方は個人的にどうも違和感がある。むしろ「動物には有った本能的な何か」が欠落してしまったのが人間で、その喪失を取り戻すために(共同)幻想で補完し続けた結果、動物に有る根源性の代替物として、「藝術」に発展したのではないだろうかと考えているのである。
なので藝術とは「人間だけに与えられた特別なもの」、というより「動物に遡る本能的原初性が根っこにありながら表層部位に人間独自のアレンジが加えられたもの」という捉え方を僕はしている。

人間同士だけで通用する道具では「藝術」とは呼べない、人間以外とのアクセスが可能な感じのする行為や創作物を藝術と呼びたいのだ。

ということで自分なりに動物に於ける藝術行為をざっくりと3点挙げてみる。

  1. 求愛
  2. 威嚇
  3. 擬態


1.求愛
例えばタンチョウの求愛ダンス。


歌と踊りの原点に「求愛行動」ってあると思う。
歌(音楽)やダンスが異性にモテるのに手っ取り早く最も有効であると感ずることや、恋愛や平和の表現と極めて親和性が高いのは、配偶行動に至る前の求愛行動(求愛ダンス)の本能を微かに覚えているからだと思うのだ。
繁殖行動は、配偶相手を探し関係を持つことを確認する求愛行動、配偶子のやりとりを行う配偶行動、生まれた子を育て守るための保育行動などに区別することができる。(Wikipedia 繁殖行動
「求愛行動(歌と踊り)」の先にあるのは「争い(戦争)」ではなく「配偶行動(Love & Peace)」、動物に遡った頃からずっと同じなのだ。


2.威嚇
同じ身体表現で威嚇というのもある。
威嚇(いかく)とは、実際の攻撃ではなく、それに似た姿や様子を見せることで対象を脅かすことである。往々にして自らの身を守るために自らの力を誇示する行為である。しかし、攻撃の糸口として威嚇が使われる場合もある。(Wikipedia 威嚇) 


威嚇というと野蛮に感ずるかも知れないが、とても文化的な行為だと思う。対面しながら相手をビビらせ合うのはコミュニケーションが成立してるということである。もし相手を殺すことだけに合理的に特化したいなら音もなく背後から忍び寄って静かに急所を一撃すればいい。
攻撃の糸口であることも確かだろうが、威嚇は殺し合いを避けるために機能してるところが大きいのではないだろうか。

実際の自分を隠して強くみせる攻撃的表現が威嚇だとすると、パンクロックのパフォーマンスにはまさにこの動物における威嚇の原初性が存分に保たれた有り様だと言えないだろうか。社会批判的なテーマが若者たちの心を掴んだ以上に動物の威嚇コミュニケーションの本能的な部分が響いたのかも知れない。


威嚇の特徴はおおまかに「大きく見せる」「音を出す」「色をつける」がある。これを僕は威嚇三原則と呼んでいる。
人間社会に於いても相手をビックリさせるにはこの3つが効果的だ。
この威嚇三原則表現を突き進めて行くうちに身体から離れ、色のついた大きい音の出るものを作るようになっていく。巨大な壁画、トーテムポール、ねぶたや竿燈まつりの神輿や山車を僕は連想するのだ。

「美術」の源流には威嚇があるのではいだろうか。


3.擬態
生物やヒトが、その色彩や形、行動によって周囲の環境(地面や植物、他者等)と容易に見分けがつかないような効果を上げること。カモフラージュとも言う。保護色という言葉でよく知られるが、これは擬態の一種で主に色彩だけでその効果を上げている場合を言う。(Wikipedia 擬態


擬態は藝術の源流なのか?

ちょっと難しいですがデッサンの欲望を遡ると擬態になるのではないだろうか?
藝術とは自然(神々)への憧れ(畏怖)から派生してることも確かだと思う。自然を取り込んで自分のものにし、そして表現したいという欲望。自然・世界・宇宙(つまりは神々だと思うのだが)を写し撮り手に取りたい願望はクロマニヨン人たちにラスコー洞窟の壁画を描かせた1つの重要な動機だと思うのだ。

擬態は威嚇と逆方向の表現な気がする。
威嚇が飛び出す表現だとすると、擬態は自分を隠して周囲の中に入る表現だ。

絵が飛び出して来るように描きたい人と、絵の風景の中にダイブして行きたい人がいると思う。

僕は後者なのだが、そこには絵の世界の中に溶け込んで自分が同化してしまいたい欲望があるのだ。その源流を辿って行くと擬態があるのではないだろうか(笑)。


以上「動物に於ける藝術」でした。この「藝術の素」を引き継ぎながら人類は藝術の原点である「まつり」を形作るんだと僕は考えるのです。

太古の昔、政治と藝術は未分化で「まつり(政、祭り、奉り、祀り)」だった。
その話しはまたあとで。

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