「ファスト・ファッション」と「ビッグ・ブランド・ファッション」がファッションを破壊した:ヨージ・ヤマモト インタビュー



気になった部分を文字起こしします

Q:
yeah thank you very much for such an inspiring speech I have a question who among the youngest designers you think art is closest to your spirit
とても感動的なスピーチをありがとうございました。質問があるのですが、若手デザイナーの中で、どなたのアートがあなたの精神に最も近いと思いますか?

A:ヨージ・ヤマモト
I used to respect Alexander McQueen
but he passed away so for now I have nobody
that is so lonesome
as you know fast fashion and the big brand fashion they broke the fashion
it's very sad

以前はアレキサンダー・マックイーンを尊敬していましたが、
彼は亡くなってしまいました。
だから今は誰もいません。

それはとても孤独なことです。

ご存知の通り、
ファストファッションやビッグブランドファッションがファッションを壊してしまいました。
それはとても悲しいことです。
(文字起こし終わり)


「ファスト・ファッション」とはご存知ユニクロや H&M、GUなどの庶民の味方ともいえるブランドのことでしょう。

ここでいう「ビッグ・ブランド・ファッション」とはLVMHグループなどのコングロマリットのことを指していると思われます。
LVMHの取締役会長兼CEO、ベルナール・アルノーは去年に引き続き今年も世界一の億万長者です(2位テスラのイーロン・マスク、3位Amazonのジェフ・ベゾス)。

今年、労働者を不当に扱ったとされる中国系下請け企業に仕事を発注していたとの疑惑を受けてミラノの裁判所の監視下に置かれています

イメージとしては、絵に描いたような、または漫画に出てきそうな「奴隷搾取による巨大組織の大富豪」って感じです。


同じファッションでもヨージ・ヤマモトは大量消費のブランドでもなければ、利益優先の巨大ブランド組織でもなく、(アレキサンダー・マックイーンと同様)孤高な感じがします。

ヨージ・ヤマモトいわく
「ファスト・ファッションとビッグ・ブランド・ファッション、その両方が『ファッション』を破壊してしまった」、と。

そして、そのことがとても悲しい、と。


私にはとてもじゃないけど(ファスト・ファッションの)ユニクロや、(LVMHグループの)ルイ・ヴィトンがファッションを破壊してるなんて言えません。。。

じゃあ、GUとコラボしてるアンダーカバーはヨージ・ヤマモトから言わせたら「ダメ」ってことになるのかも、、なんて、GU×UNDERCOVER のパンツと靴を大喜びで買った私はちょっとシュンとしてしまいます。。


でも、
ヨージ・ヤマモトの佇まいやゆっくりとした口調も含めて、なんだかとてもじんわりと心に沁みたのです。

この、ちょっとたどたどしい語り口調はチェロ奏者パブロ・カザルスの国連でのスピーチを思い起こさせました。



胸の奥にある怒り。そして悲しみ。
人生経験の豊富さから来る諦観と、そして優しさ。
みたいな感じ。


ということで、ブログに記しておこうと思った次第です。


最後までお読みいただき有り難うございました!


なぜアートは楽しいのか? アートにおける孔雀と十姉妹の関係

YOUTUBE『アートが楽しい理由を、進化心理学で説明します。#58』がとても興味深い内容だったので紹介いたします。


アートが人を引きつける理由を進化心理学から紐解くと、興味深い視点が浮かび上がります。それは「孔雀」と「十姉妹(じゅうしまつ)」という二つの鳥の進化のプロセスが、アートの本質を理解する手助けをしてくれるということです。今回はこの二つの鳥の物語を通して、アートがなぜ私たちにとって楽しいのか、その理由を探っていきましょう。



人はなぜ美しさを感じるのか?

まず、人はなぜ美しさを感じるのか?進化心理学の視点から見ると、美しさを感じることは生存や繁殖に有利な選択に繋がるためだと言われています。例えば、美しい顔立ちや健康的な外見を魅力的と感じるのは、それが健康で遺伝的に優れた個体である可能性が高いからです。このように、美しさを感じる能力は進化の過程で人類にとって有利な特性として発展してきたのです。



孔雀の進化とアート

次に孔雀について見てみましょう。孔雀のオスは美しい羽を持ち、その華やかな羽を広げることでメスにアピールをします。この羽は進化の過程で「ランナウェイ仮説」として知られる現象を通じて極端に美しくなっていきました。ランナウェイ仮説とは、ある特徴が異性にとって魅力的であればあるほど、それを持つ個体が選ばれ続け、その特徴がどんどん誇張されていくという進化の仕組みです。孔雀の羽は生存には全く役に立たず、むしろ捕食者に見つかりやすいというリスクを伴いますが、それでもオスはその羽を進化させ続けました。これは「ハンディキャップ理論」とも関連しており、大きなハンデを持ちながらも生き抜ける強さがアピールポイントとなるというものです。

アートにおける孔雀的な要素とは、この「美を追求することによるハンデ」を引き受ける姿勢に似ています。例えば、非常に複雑な技法や多大な時間をかけて描かれる作品は、まさにそのハンデを引き受けていることの証と言えるでしょう。そのハンデを乗り越えた美しさに、人は心を奪われ、強い感動を覚えます。



十姉妹の進化とアート

一方で、日本に存在する「十姉妹」という鳥は孔雀とは全く異なる進化の道を辿りました。十姉妹は元々「腰白金腹(こしじろきんぱら)」という鳥が祖先ですが、人間の手によって観賞用に品種改良され、美しい羽と複雑な鳴き声を持つようになりました。興味深いのは、十姉妹が本来は生殖のために必要な鳴き声の制約から解放された結果、自由な鳴き声を持つようになり、その表現力が大きく向上したことです。これは、繁殖のための「必要な美」から離れ、純粋に「楽しさ」や「自由な表現」を追求した結果と言えるでしょう。

十姉妹的なアートの楽しみ方とは、まさにこの「自由な創造性」にあります。制約から解放され、純粋に自己表現を追求することで生まれる美しさ。それは、他者に評価されるためや生存に有利になるためではなく、ただただ「創りたいから創る」という欲求から生まれるものです。現代アートにおいては、この十姉妹的な自由さが特に強調されています。たとえば、コンセプチュアルアートやインスタレーションアートなどは、美しさそのものではなく、アイデアやその自由な表現に価値を見出しています。


孔雀と十姉妹の比較


項目 孔雀 十姉妹
美の目的 繁殖のために異性を惹きつけるための美 制約から解放された自由な表現としての美
進化のアプローチ ランナウェイ仮説、ハンディキャップ理論に基づく 人間の品種改良による表現の自由化
美しさの象徴 豪華で複雑な羽 複雑で自由な鳴き声と鮮やかな羽
制約の有無 ハンデを引き受けた美(捕食リスクあり) 制約から解放され自由に発展した美
生存リスク 捕食者に狙われやすい 人間による保護下で飼育されリスクが低い
表現の自由度 生殖のための美に縛られる 完全に自由な表現が可能
美の進化の要因 異性に選ばれるための魅力の誇張 人間による選択で進化、目的から自由な発展
アートの類似点 複雑で時間をかけた技法、挑戦的な作品 制約なく自由なアイデアを追求する作品
楽しさの要素 ハンデを引き受けることでの達成感 制約なく自由に創造する楽しさ
鑑賞者の感情 努力の結果に対する尊敬と感動 自由な表現の喜びと解放感

孔雀のように「美を追求するハンデ」を引き受けることで生まれる感動と、十姉妹のように「制約から解放された自由な表現」を楽しむこと。この二つの進化のアプローチは、アートの多様な魅力を象徴しています。私たちがアートに魅了される理由は、この両方の側面にあるのかもしれません。進化の過程で美しさや創造性が求められ、それが現代でも人々に喜びを与え続けているのです。


皆さんもぜひ、次に作品を創るときや鑑賞する際に、この「孔雀」と「十姉妹」の視点を思い出してみてください。美しさへの挑戦と、自由な表現の楽しさ。その両方を兼ね備えた作品は、きっと見る人の心に強く残るはずです。



(ChatGPT 4o with canvas を使って記事を書いてみました)
最後まで読んでいただいて有り難うございました!


ChatGPT Plusの解約方法(「マイプラン」が表示されなくなっているので困ってしまいました)

ChatGPT Plusを解約したいと思ってネットで検索して調べると、
ほとんどの記事は
「アカウント」から「マイプラン」を選択する、と書いてあります。

がしかし!!
「アカウント」に「マイプラン」がありません!

困ってしまい、あれこれ探しまして、ようやく見つけました。
私のように困ってる人がいるかも知れないので、ブログにアップしました。

ツーステップで行けますのでご安心ください!


1.画面左下の「Team ワークスペースを追加する」をクリック



2.画面下の「サブスクリプションを管理する」をクリック

下の方に小さな字で書いてあるので見つけにくいです。
解約できないようにさせてるのでしょうか?
ひょっとしたら見つけにくくすることによって解約を断念させる確率が上がるというデータがあるのかも知れませんが。。。



まあ、でも、これでサブスクリプション管理画面が出ますので解約手続きを行えます!




お役に立てたら幸いです!


十種神宝(とくさのかんだから)の「死反玉(まかるかへしのたま)」と「足玉(たるたま)」がごっちゃになっていることに気が付いたので調べてみた


十種神宝(とくさのかんだから)について調べていたら、
ウェブサイトや動画によって

死反玉(まかるかへしのたま)
足玉(たるたま)

のデザインがごっちゃになっているので、一体どっちなのだろう? と思って調べてみた。





まず、公的な機関で十種神宝の画像をアップしているのはないか?と調べてみた。
すると「遠野市立博物館」のXアカウントにこんな投稿があった。

・「足玉」と「道反玉」が対になっている。
・「死反玉」は無く、「御反玉」と記述されている。

驚いたことに「死反玉」自体が無い!!
う〜む。。。


次に、神社のホームページで「十種神宝」について言及しているサイトがないか探してみたら、あった。

田脇日吉神社



「足玉」っぽい。



読めない。。。


下の方にも画像があるので良く見てみる。

なんと、「道反」の対になっている図の横に、
「足」と「死反」の文字の両方があるではないか!!!
どっちやねん!!

さらに謎が深まってしまった。。。


神社ホームページではないのですが、神職さんのXアカウントで十種神宝についての投稿を見つけました。


この画像だと、「道反玉」の対になっているのは「足玉」で、
「足玉」には「上字」、「道反玉」には「下字」と書いてある。上下のペア。

なるほど。どうやら「足玉」と「道反玉」は上下の対のペアというのが濃厚になってきた。

そして
「死反玉」は「死玉」と書いてあり、「反」という字がない。
で、「生」と「死」の対になっている。


なるほど〜。
てことは、冒頭の画像は誤りの可能性が高そうだ。





だがしかし!
そこで疑問が湧いてくる。
個人ブログなどを見てみると、どうも冒頭画像の解釈の方が多い。また、ネットショップの幸運グッズで十種神宝関連も売られているが、そのほとんどが冒頭画像のパターンなのである。

なぜなんだろう? と思って調べてみると、とある大大大人気アニメが浮かび上がってきた。


みんな大好き『呪術廻戦』である。


呪術廻戦で出てくる「ふるべゆらゆら」という呪文は、「十種神宝祓詞(とくさのかむだからはらへことば)」の一部で、
言葉だけでなく、十種神宝のデザインも引用されているのです。

ところが、
どうやら呪術廻戦では冒頭の図の
「死反玉(まかるかへしのたま)」
「足玉(たるたま)」
逆になっている方を採用しているのです。

つまり、「道反玉」と「死反玉」を対にして捉えているのです。

呪術廻戦の圧倒的知名度から、こちらの方が広がってしまったのかも知れません。

こんなブログも見つけました。
とても丁寧に詳しく親切に解説されていますが、「死反玉(まかるかへしのたま)」と「足玉(たるたま)」が逆のパターンで描かれています。

【呪術廻戦】十種影法術と十種神宝の関係、完全に教えます。



次にオークションに掛軸とかで出てないか? と思って調べてみた。

【版画】『十種神宝』掛軸 紙本 木版画 神道 神道美術 日本画 日本美術 信仰 古画 古軸

「生玉」「死反玉」、
「足玉」「道反玉」、
が対である。


他のも見つけました。

t1185 十種神宝 神社 掛軸 神道 仏教美術 神像 仏画 御神体 御正体

「死反玉」のデザインが単純化されてない!!
波がザッブ〜ンとなっていて、そこに玉がある。
そして、細かいところだけど、「死返玉」と書いてあって「反」→「返」となっている。



画像右下、「生玉」の方は「生存玉」と書いある。
そして玉からは炎が立ち昇っている。
ティアドロップ型のデザインは玉から炎が昇っている状態を形にしていたのか?!



「死反玉」のあの波はじゃあなんだろう??


と思って調べてみたら、こんな画像を見つけた。


十種神宝、石上坐布留御魂神社、物部

「生玉」の横に「火珠」と書いてあり、
「死玉」の横に「水珠」と書いてある。

生⇄死、火⇄水で対になっている。

命の炎が燃えている様をデザイン化したのがティアドロップ型の「生玉」で、
水(死)の中から玉が飛び出して行く様をデザイン化したのが「死反玉」ってことが言えそうかも。

雑で申し訳ないが、図にするとこんな感じでしょうか。


冒頭の図で言えば、「生玉」の毛のようなものは火で、足玉と書いてある「死反玉」の毛のようなものは水を簡略化したデザインなのかも。




最後に十種神宝の「手印」なるものを見つけたので紹介します!

手印を結び奏上する祝詞"十種神寶祓詞" 手印(契手)の結び方 解説




こちらの動画も、冒頭の図のように、「生玉」「足玉」が対で、
「道反玉」「死反玉」が対で図が表記されてますが、
朱印の形から想像するに、この動画の「足玉」図と「死反玉」図は逆のように見えます。





十種神宝の名称・内容と手印は合っているのですが、テロップで表記されているデザインが違ってるのでちょっと混乱してしまいます。




こうやって文化って伝言ゲームで伝わっていくうちに変わって行くもので、
私はまさにその歴史的瞬間を目撃しているのかも知れません。



レオナルド・ダ・ヴィンチは、これまでの『最後の晩餐』の伝統的構図である、「裏切り者のユダはテーブルの反対側(手前側)に一人で座っている」のを変えて、同一の側に描きました。

ディズニーはアニメ『白雪姫』で「王子さまのキスで毒林檎の呪いが解ける」というこれまでにはない設定を入れて来ました。

宗教の儀式や意匠や意味解釈も芸術と同様に変容してきた。


変化を受け入れるのも良いし、伝統を守るのも良いし、
変化を憂いでも良いし、楽しんでも良い。

重要なのは、「知っておく」ことのように思うのでした。



最後までお読みいただき有り難うございました!!

『ルックバック』:『この世界の片隅に』以来の充実感!



観に行って来ました。やっぱり「おや?なんかこの作品観たいな」と感じた作品はちゃんと映画館まで足を運ぶべきだと改めて思った次第です。
観に行って良かった!


絵を描いてる人(→私)、
そして2人でタッグを組んで制作してる人(→私)、
には泣かずにはおれない映画でした。


「誰かと一心同体で一心不乱でモノを作る」というのは本当に幸運である。奇跡である。



自分より才能があることがアリアリと分かってしまった時、
「普通だよね」の言葉で打ち砕かれるプライド、
尊敬する相手に思いもよらぬリスペクトの言葉を自分に向けられた時、
二度と戻らない一心同体・以心伝心で何かを作り上げたあの頃、
そして別れ。

天才の作品は予言になってしまう恐ろしさ



なんで絵なんか描いてるの? という問い


刺さり過ぎて見終わった時にはライフ「0」状態でした。



とても悲しい物語だけど、
「制作」というものの人間における根源性、そしてその制作行為の美しさが宝石のように瑞々しく輝いている青春譚。

観終わった後の充実感はアニメでは『この世界の片隅に』(2016)以来でした。

流行モノというよりも芸術的なアニメです。



ただ、現代日本のハイコンテキスト過ぎる設定が気になりはした。

2人が別れる理由が、「漫画の連載」という週刊誌業界のスケジュールの都合によるものなので、
フツーの労働環境であればフツーに2人は別れなくて済んでいる。

例えば2人を引き裂く環境要因が戦争とか自然災害だったらかなり人類共通のシチュエーションとなるが、
漫画連載のジョーシキを何となくフツーなものとして感覚の前提に置いてることは、狭いムラ社会を世界としてしまっていて、その「狭さ」はお笑いも含めた日本文化の特徴と魅力なのかも知れないが、ちょっと気になりはした。

でも多分、分かっていてそれをやってるんだと思うけど。
わざと身内にしか分からないムラの感覚を前提として引き込むセンスというか。これって自分たちのムラに優越性を感じてるから出来る技ではある。

昔の例で恐縮だが、とんねるずのお笑いがそれであった。スクールカースト上位にしか分からないセンスを前提としていて、見てる側がそっちに行きたくて引き込まれてしまうノリ、というか。


話がちょっと逸れてしまった。。

そういう特殊な漫画家(アーティストも含め)の労働環境を「憧れ」と引き換えに何の疑問もなく受け入れてしまっていて、
労働に対する人権意識の低さを美しさに変換させて悲劇を産んでいるこのパターンは
『フランダースの犬』を想起させる。
人権侵害を受けている子どもをそのまま放っておいて殺してしまってから悲劇として感動してしまうパターンだ。


随分と昔になるが、『フランダースの犬』が原作のベルギーかオランダあたりで全くウケてない理由は、
「貧しい子どもと犬を見殺しにするような社会の設定にリアリティがない」からだと聞いたことがあって、
結構ショックを受けたことがる。


日本人はなぜか弱者(貧者)が弱者のまま、無自覚な美しさでもって、そのまま殺されてしまう悲劇物語が大好きだ。




それから、
日本人なら知っている「京都アニメーション放火殺人事件」の悲劇を物語に織り込んでいて、
つら過ぎる残酷な事件を取り扱う社会性自体はとてもチャレンジングだし、この事件に対して作者の強い思いがあるからこそ、なんだと思うけど、
誰もが犯人側にならざるを得ない可能性が含まれていることが、この「京アニ事件」の悲しみと絶望の闇の深さでもあるのだが、
アニメのニュアンスとしては「わけのの分からない殺人魔が突然現れる」という唐突な感じが若干してしまう。

「完全に排除されるべき悪人」が何の説明もなくポンと出されてしまった感があって
このパターンだと、なんでも簡単に悲劇にできちゃうし、
精神疾患やうだつの上がらない男性を社会から差別・排除する「弱者男性問題」を助長しかねない感じもしてしまい、少しヒヤヒヤした。
私も含め男性の99%以上が藤野&京本(藤本タツキ)さんより才能も運もなく努力もできない人間なのだから。



物語の主人公が天才なのは確かにしょうがない。
『葬送のフリーレン』も『薬屋のひとりごと』も主人公が天才過ぎることによって物語が成立している。


クリエイターやアーティストが大絶賛している『ルックバック』。

これ、自分が特別だと思いたい人にはとても刺さる映画で、
要するに「天才が勝つ」という身も蓋もない映画でもある。
天才なのは京本ではなくて藤野であるところがこの物語のエグいところで、
「(社会性の低い)引き篭りの芸術家タイプの自分とサヨナラした漫画家である原作者」のメタファーでもあるだろう。


主人公の藤野の年齢は二十代前半くらい。

実はその後の人生の方が長い。
プロとなった漫画家は売れた漫画の再生産、セルフコピーでその後の40年以上を食い繋ぐ現実が待っている。



私が本当に見たいのは、40年後の還暦を越えた天才藤野の物語である。



この映画が500年先も残る地球的普遍性を携えてるかは分からないが、
肥大した自我を抱え続けている私を打ちのめし泣かせてくれた映画であることは確かだ。
制作に躓いたり、絵を描くことに慣れて自分で感動することを忘れてしまいそうになったら、
この映画を観て、叩きつけられ、打ちのめされて、泣き崩れて、そして再び立ち上がろうと思う。




なんか、後半は褒めてる感ちょっと薄まってる感じあるけど、
思ったことは良いも悪いも書いておこうと思ったから自分の為に書きました。
というか、
ここまでいろんなことを考えさせてくれるってこと自体が私にとって特別な映画の証しだし。

それに、
21世紀以降の「国産青春アニメ」としての「古典」になって行く可能性は高い。
アニメ映像作品としては何もかもがクオリティが高過ぎて、教科書として数え切れないほど参照される作品となるのはほぼ間違いない。



素晴らしい映画を有り難うございます! 本当に「珠玉の作品」!!



最後まで読んでいただき有り難うございました!!

※ちなみに私は原作者の「藤本タツキ」さんのことを「たつき諒」さんだと勘違いしていて、キャリアの長い方だと思い込んでいたけど、若干31歳でした。天才すぎ。