同窓会(忘年会)

2025年12月30日に中学の同窓会があって参加してきた。

中学時代を黒歴史と感じていた。
内心ぼんやりとした苦しみを抱えていて、それがなんだったのか曖昧で
その後、黒歴史として捉えるようになり、ネガティブな悶々としたものが蓄積して、
地元意識すらも苦手になってしまっていった。

自分でこしらえた物語でしかないことは分かっているけど、
同窓会に行く前はちょっと緊張した。

実際に会ってみると
昔のことは私と同様にうろ覚えだったり、
また、意外な記憶が蘇ったり、
中学時代に喋ったことない人もいたけど、
楽しくおしゃべりをした最高の同窓会だった。
参加してよかった。


ひとつ明確に分かったこと。

小学生の頃に団地の水のないプールでスケボーしたりローラースケートしたり、
団地のグラウンドで天下(ボール遊び)をしたり、
マンガを読んだり描いたり、
子供らしい、まるで動物たちのじゃれあいのような素朴な遊びをしていた仲間たちが、
中学に入ると、「ヤンキー」になってゆき(地方ではごく当たり前の現象であったが)、
自分は取り残されてしまった感じがしたのだった。

「ヤンキー」は、自分からすると、ボンタン(ドカン)を履いてリーゼントやパーマをかけて大きく見せて、群れて暴力的で恐ろしい存在と感じていた。
自分はそうなると、「真面目な生徒」という皮を被らなければ、「ここでは生きていけない」と思ってしまった。
恐竜時代の小さな哺乳動物のように、「勉強ができる風」を装ってヤンキーたちに目を付けられないように3年間を凌がなければならなかった。
でも、これは割とありがちで喋りやすい内容だ。

実のところは、
小学生の時に一緒に遊んでいた友だちが中学に入ると疎遠になってしまった、その寂しさにひどく傷付いていたのだった。

そのことを自覚することができたのだった。

この些細な思春期の傷は、意外と大きくて、
その後、大学には行くものの、
内心では、流されて勉強してしまった自分を憎み、
意味も無く偏差値を上げようとした自分を憎み、
ひいては学歴社会をも敵とみなして憎み、
パンクバンドをやって、大学を中退し、
「マジメ」な人と思われないよう、
自分を破壊しようと頑張ってしまうに至るのだ。


おかげでいろいろ踏み外して、
絵を描く事になって今に至るわけだけど、


このひとつの要素に
「中学生になって小学時代に遊んだ友だちが疎遠になって寂しくなったインナーチャイルド」が、
巨大な化け物となって自我を苦しめてたんだなあと思うと、
なんだか愛おしくて仕方がない。

寂しいだけだったんだ。


中学の同窓会で、小学生の時に一緒に遊んだ人も来てて、普通に喋ることができた。
中学時代の黒歴史は自分で作った幻想でしかないことを実感したのだった。

40数年後の朝、
「寂しかったんだね」と、中学時代の自分にヨシヨシしてあげることができた。

間に合った。
有り難う。


そして、今も小学生の頃のような遊びをしている。
黒歴史があってもなくてもこれは同じだっただろう。



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