江口寿史氏のトレパク問題について
絵を描いている人間としてどう思うのか。
まったくまとまってない雑感。
私としては江口寿史氏は漫画家という認識なんだけど、 どちらかというとイラストレーター、最近だと画家という印象のようです。
漫画の一コマをトレースしている場合は案外問題にならない気がしてて、
むしろ何をトレースするかが作者の表現になっていた記憶がある。
しかし、今はどうなのかな、、?
江口寿史作品をアートと捉えると、
「アプロプリエーション」[註1]や
「シミュレーショニズム」[註2]の文脈でも語れそうなので、
作品自体に問題があるか? と捉えるとそうでもない。
それが商業イラストとなると、
「時代批評」というコンセプトより、
制作手順の簡略化や被写体の権利侵害といった「ただの搾取」と捉えられてしまうことは否めない[註3]、
というふたつの考え方に引き裂かれてしまう。
江口寿史氏はずっとトレパクをやって描いてきてるので、
これがNGとなると作家生命の終わりになりかねない。
トレパクされた本人が不快感を示しそれは対応したらしいけど、
(オマージュの一般的な意味と法的整理は[註4])
ここでちょっと思い出したことを書く、
3.11の大震災で原発が爆発し、原発反対のデモが日本中で行われた時、
かの、坂本龍一も精力的に反原発を訴えていた。
その時に、デモの「再起動反対!」と繰り返されるシュプレピコールをサンプリングし、坂本龍一がアンビエントな曲を被せて公開したのを覚えている。
その曲はさすが教授という美しさはあったが、何故かちょっとした違和感も覚えたのだ。
私は再起動反対のデモを現場に行っている人たちの中からそういったサンプリング&リミックスが発信されて欲しかった。
現場の有象無象によるクオリティの低いのから高いのまでのサンプリング&リミックスムーブメントがあってから、
坂本龍一がそっと後押しするように最高級品を出して欲しかった。
坂本龍一が天才過ぎるが故、誰よりも早くサッとそのデモの音声を名作品に仕上げてしまったのである。
だからなのか、デモの現場の音声を音楽化して出してくる人たちは見かけなかった。
善意ではあるが、どこかちょっと収奪的な何かも感じてしまったのだった。
この感覚は非力で無名な人間の僻み根性から生じているところもあるが、
大御所による一般人のサンプリングはあんまり良い印象にならない危険性もありそうだ。
話は江口寿史氏のトレパク問題に戻る。
とはいうものの、作者の過去の言動がほじくり返されて炎上してしまっていることに対しては、
なんかある種の恐怖を感じてしまう。
絵を描く人間なんてアホなんだから、失礼なことを言ったりやったりいっぱいしてるに決まっていて、 私も例外ではない。
だからと言ってクリエイターやアーティストが無礼で良いってわけでもない。
突然思い出したから書くけど、
あんなに美しい曲を生んだドビュッシーなんて、ほとんどクズ野郎ですからね。
格調高いと思われている芸術だって作者はことのほかアホですがな。
ホワイト社会になることは悪いことではないけど、品行方正じゃないと潰されてしまうのはむしろ文化の衰退に繋がりはしないか?と思うと同時に、
こういった抑圧が表現のエネルギーになる可能性もあるのかも知れない。
でも、このトレパクも
「お金にしてなければ良い」という純粋性への着地点があって、一見良さげだけど、落とし穴だと思ってます。
総じて思うのは、
表現で食えてるって素晴らしいことで、そこは大切したいな。
註(参考リンク)
- アプロプリエーション(既存像の意図的借用と文脈転倒) : Tate | Appropriation / MoMA | Appropriation ↩︎
- シミュレーショニズム(Neo‑Geo)(コピーが前提の時代感とオリジナル/複製の曖昧化) : The Art Story | Neo‑Geo / Wikipedia | Neogeo (art) ↩︎
- サンプリング&リミックス(音楽における制度化された借用と分配の問題) : Los Angeles Times | Daft PunkとEddie Johns報道 / WhoSampled | 使用サンプル情報 ↩︎
- オマージュ(敬意の表明であって法的免罪ではない/引用・許諾・人格権の配慮が必要) : Wikipedia | オマージュ / CRIC | はじめての著作権(引用の基本) ↩︎
※本記事の註は一般的な参考リンクです。個別案件の法的助言ではありません。
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