【羽化の作法 07】道行く人と道で暮らす人との境界線上で




●道行く人に背を向けて

段ボールハウスは地べたに置かれているので、描くときはほとんどしゃがんだ姿勢になる。一日の乗降者数が数百万人もいる新宿駅で、通路からはみ出し人波に背中を向けて描いている。丸腰だ。しかし、そこに魅力もあった。

場数を踏んでいくうちに、だんだん通行人に対する恐怖心がなくなってくる。リュックは必ずしも背負わなくなる。そしてそのかわりにTシャツの背に「I can not speak English.」とか書いて着てたりした。

なぜなら、英語圏の外国人から話しかけられることはすごく多かったからだ。「ストリートで表現してる人は英語がペラペラ」という先入観を外国人は持っているのか、何のためらいもなく英語で話しかけてくるのだ。


もし、僕が海外に旅行に行ってストリートパフォーマンスをしてる人に話しかけるとしたら、現地の言語を使うよなあと思って、そこに何か英語圏の人たちの日本人を見る意識を感じざるを得なくて、カウンター的な意味を籠めて「I can not speak English.」と書いたのだった。英語が喋れない日本人の屈折した気持ちが現された「作品」である(苦笑)

通行人とのトラブルを恐がって気を張って描いていたが、通行人の反応はポジティブなものが圧倒的に多かった。

ほとんどが「励まされました!」とか「自分の信じたことをやればいいんですね!」とかだったのだ。話しかけて来る人たちは意外にも二十代とおぼしき若い女性が多かった。女性は感想を述べる、男性は意味を述べる、という感じだ。

実は、僕はこのことに強く打ちのめされた。「打ちのめされるくらいの強度で救われた」と言った方がいいだろうか。

社会のレールの上に乗っかって、上手して生きてる圧倒的多数の人達に向かって、僕は「ふざけるなあ!」という気持ちをぶつけるように描いていた。

路上で寝ている人と自分を重ね合わせてドロップアウトしてる側から、「社会人というヤツら」に一撃を食らわすつもりで描いていた。だがしかし、圧倒的に好意的な言葉を返されたのである。「励まされた!」と感謝されたのである。

気持ちとしては窮地に追い込まれた側の「無差別テロ」的なところがある。しかし、その方法が「銃撃」ではなくて「藝術」だと、人を傷つけるどころか逆に人を励ましたりできるのだ。

この体験こそが、僕のアーティストとしての原点と言っても良いだろう。



●道で暮らす人たちの中で

1995年というのを、ある人は阪神淡路大震災で、ある人はオウム真理教事件で、ある人はWindows95で記憶しているだろう。

同じ時、むき出しの野宿者が新宿駅周辺にたくさん暮らしていた。言ってみたら、「乞食」とか「浮浪者」という存在が露出されていた。「平常な日常」と「平常ではない日常」が隣り合って互いに可視化されていた。このことは、けっこう記憶から抜け落ちていると思う。

路上で暮らさざるをえない人たちの呼び方も変わってきた。昔は、「乞食」か「浮浪者」だった。それが「ホームレス」となり、僕らが段ボールハウスに絵を描き始める頃は「野宿労働者」と呼ばれ始めていた。

ホームレスの人たちの多くは、もともと日雇い労働者だったらしいからだ。バブルがはじけ、都市の建設ラッシュも終わり、それと同時に便利な労働資源だった日雇い労働者たちが不要になる。

すると、簡易宿泊所なんかも利用できなくなり、路上で暮らすしかなくなる。社会保障なんかない。構図としては、いまの非正規労働者問題もまったく同じである。

だけど僕が見つめていたのは、労働問題ではなかった。心や哲学的な問題として「ホームレス」という存在を見ていた。仕組みの内側に入れない、システムからはじき出されることは、果たして単純に悲劇なのだろうか、不幸なのだろうか?

僕は仕組みの内側に入れない人々が暮らしている姿に、ユートピアやファンタジーを懸命に見い出そうとした。

僕の目に映る新宿段ボール村は、実に多様でバラエティに富んだ人たちが生活している場のようだった。日雇い労働者だけでなく、元自衛官、サラリーマン、それに女性も結構いた。美味しいごちそうをいただいた体験があるせいか、板前さんが最も多い印象である。

それから、目立って多く感じたのは、成人した知的または身体的に障がいのある人だった。障がい者でホームレスってあんまり語られないけど、僕にはとても多くいるような印象だった。

思い出してみると、小中学生の頃って学級に一人か二人は障がいのある子っていた。しかし社会に入ると、障がいを持った人と仕事をする機会ってほとんどなくなる。いつの間にかいなくなってる。けど、それってどこかいびつなのかも知れない。

家族でホームレスという人もいた。実際に結婚しているかは別として、カップルも結構いた。

いちばん最初に描いた「新宿の寅さん」と呼ばれてた佐々木さんも、親娘で段ボールハウスに暮らしていた。血は繋がってないらしいのだが20代前半の若い女性だった。僕らは佐々木さんのことを「親分」と呼んでいた。

ある時、僕らが段ボールハウスに絵を描いているすぐ近くで、親分がみんなと酒を呑んでいた。住民たちが昼間から宴会をやっていることはちょくちょくあった。ちょうど会話も聞こえる距離だった。呑みながら親分はこんなことを言っていた。

「うちの娘も早く嫁に出したいなあ……」

血は繋がってなくても娘を心配する親心は同じである。宴会は一瞬だけ間が空いた。きっといろんな思いが渦巻いたのだろう。

僕も、ホームレスの女性と結婚する人は現れるのだろうか? とか、ちょっとヘヴィな方向を無意識的に思考してしまってた。

そのあと、親分が続けてこう言った。

「なにしろ箱入り娘だからなあ」

呑んでいたみんなも、「ホントに箱入りだわ!」と笑っていた。

僕はものすごい勢いでずっこけたが、なんとか聞こえていないフリをして絵を描き続けていた。

(つづく)


【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/アーティスト歴20周年】

2015年最後の展示です![トンドの夢想家達展 vol.3]
12月4日(金) 5日(土) 10日(木) 11日(金) 12日(土) 17日(木)
18日(金) 19日(土) ※全8日間 ・開廊日は変則的なので注意して下さい
13:00〜19:00(最終日は18:00閉廊)
ギャラリー オル・テール
http://d.hatena.ne.jp/Take_J/20151203/1449140324

武盾一郎×立島夕子二人展無事終了しました! ありがとうございました!
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