散歩をしながらつらつら考えてたことメモ

僕が住んでいる上尾は言ってみればまあ何の変哲もないちょっとした田舎である

そして僕達の棲む星<地球>は太陽系の小さな惑星で
その太陽系は天の川銀河の端っこのいわば田舎に位置する
天の川銀河も宇宙からみたらまあ辺境の田舎みたいなものだ


受動意識仮説が正しければ<私>というものは、
自分という総合体の中であたかも<私>が意志を持って自分という総合体に命令をして動かしてるように錯覚してる「まとめ係」に過ぎなくて
ほとんどのことは無意識の小人君たちが頑張ってやってくれているのだ


こうやって大きな中心だと思ってきたものが本当はちっぽけだと見えてくることが、
この宇宙や自分を理解することだったりする

だとするとこの時空四次元も次元の田舎で、
メインは五次元だったりするのが正解だったりするのかもしれない
なので、「意識」や「魂」は何も時空四次元に居なくても良いのかも知れない

なんとなく心は脳だけにあるような気がしないし
魂は昔から時空を超えるとされている


瞑想から覚める時はいつも時空四次元に降りてくるような感覚がする
瞑想中の意識は時空四次元から解放されている感じなのだ


意識は時間と空間と重力の束縛を受けない気がする
例えば、意識は五次元空間に存在していてもいいのかも
そう考えると、魂の輪廻もあるような気もする


五次元の宇宙に時空四次元の膜宇宙があって
我々はその膜に棲み
その膜から逃れられない存在だとすると膜宇宙は絵画だ

そして、この僕らの生きてる時空が事象の地平面に記述されたデータのホログラムだとしたら、それも絵画だ

https://www.facebook.com/take.junichiro/posts/10207699699952805?pnref=story


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