電話が鳴るといつもほんのちょっとだけ何か期待をする。
「なんだろう?」と思いながら黒電話の受話器を耳に当て「もしもし〜」と出ると、相手は見知らぬ女性の声だった。発音から外国人かな? と思った。
声の主はフランス人ジャーナリストのコリーヌ・ブレという人だった。
「平井玄さんから電話番号を教えて貰いました。新宿の段ボールハウスに絵を描いている人ですか?」と聞かれた。
その時は平井玄さんを知らなかったので、なんで平井玄という人が自分の電話番号を知ってるのだろう? と思ったが、「そうです」と答えると、「素晴らしいですねえ!」と褒められたのですっかり気を良くして、電話越しの見知らぬ女性と話をした。
内容は「コリーヌの会」というのを開いてるので、今度ぜひお会いしましょう、とのことだった。
平井玄
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BA%95%E7%8E%84
コリーヌ・ブレ
https://www.amazon.co.jp/%E6%9C%AC-%E3%82%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AC/s?ie=UTF8&page=1&rh=n%3A465392%2Cp_27%3A%E3%82%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AC
僕は普段は母に「何をしてるか、どんなことがあったか」などはあんまり話さないけど、「フランス人の女性ジャーナリストのコリーヌ・ブレっていう人から電話があった」ことは積極的に伝えた。
その後、コリーヌとはちょくちょく会うことになる。
5月23日(金)は新宿ロフトプラスワンで、駒場寮がテーマのイベントだったと思うが、そこでコリーヌと会う。
5月28日(水)は、コリーヌがノンフィクション作家の豊田正義さんを連れて来て三人で新宿で飲み、そのままコリーヌの家に泊まることになった。
ちなみに、翌日は山本夜羽音さんとしょんべん横丁で飲んだと、日記にある。
豊田正義
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E7%94%B0%E6%AD%A3%E7%BE%A9
山本夜羽音
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E5%A4%9C%E7%BE%BD%E9%9F%B3
5月30日(金)コリーヌの会に初出席する。メディアアーティストの大榎淳さんと会う。
大榎淳
http://www.tku.ac.jp/department/communication/teacher/?id=1/0000099
そこでコリーヌは、震災後の神戸のことを主に話していた。震災から三年経ち、メディアの報道もなくなり、すっかり復興したかのような印象を与えているが、まるでそのようなことはない。むしろ今の方がシリアスなところがある、と。
1995年の大ニュースは、なんといっても阪神淡路大震災と、オウム真理教・地下鉄サリン事件だ。
当時、僕にとっては大震災よりもオウム真理教の方が衝撃的だった。友達がスレスレで違う地下鉄に乗ってたりしてかなり生々しかったし、今までぼんやりしていた「日本」のグロテスクな正体が地下から吹き出して来たようなリアリティを、オウム真理教に見たりしたのだった。
だから、スルーして来た震災のことを言われると罪悪感のようなものを感じ、何かやらなければいけないような気もしてくるのだった。それにしても神戸はちょっと遠い。
そして、コリーヌの家に自分の作品を持って行って飾ったり、娘のローラちゃんとお絵描きをして遊んだりするようになった。
8月2日〜10日に東大駒場寮オブスキュアギャラリーで行った「世紀末とのコラボレーション」が終わり、8月17日の新宿夏まつりが過ぎ、秋が来た。
羽化の作法[52]世紀末とのコラボレーション
http://bn.dgcr.com/archives/20171212110200.html
https://take-junichiro.blogspot.jp/2017/12/52.html
1997年10月4日(土)、僕はコリーヌとローラ、そしてコリーヌの友人ルネと四人で神戸に行くことになるのだった。この前神戸に行ってから、ちょうど一年だ。
羽化の作法[41]神戸占い館での製作と写真展への参加
http://bn.dgcr.com/archives/20170620110200.html
https://take-junichiro.blogspot.jp/2017/06/41.html
新幹線で京都まで行き、京都に住む蒔田さんという、ボランティアをしてる女性の車に乗せてもらって神戸に向かった。
車はかなり古くてかっこいいワーゲンだった。「この車、ドアが閉まらないのよね」と言って乗り込むと、本当にドアがきちんと閉まらない。蒔田さんは颯爽とハンドルを切り、高速をかっ飛ばした。
案内されたのは、震災後三年経った今もなお、仮設住宅に暮らしている人たちだった。何か所の仮設住宅を回った。
蒔田さんと個人的に付き合いのある人にも会いに行った。ひとりは市街地の仮設住宅に暮らすバーのママさん。そしてもうひとりは、市街地から遠く離れた山の方の仮設住宅に犬と暮らしてる方だった。
制作ノートNo.11 1997年10月4日 神戸へ |
最後に向かった場所が、神戸市須磨区にある「しんげんち」という場所だった。そこは行政が建てた仮設住宅ではない。被災した人たちが公園に作っているテント村だった。コンテナハウスが並んでいる。テント村の人たちと集会所のコンテナハウスで食事をした。
女性陣はそのまま集会所に泊まり、僕は倉庫代わりになっているコンテナハウスに泊まることになった。
制作ノートにはこう記してある。
《震災の問題は行き着くところまで行き着いてしまったという感じがある。これから先は、個々人がひとりの人間としてどう生きて行くかということなのかも知れない。
ただ、いくら個人で生きて行くとしても、アジールは必要なんだと思う。
神戸の仮設住宅を見てまわった。事の問題はいつも根深い。行政に憤り、支援の虚しさを不毛を嘆きつつも、ボランティアの人たちはみな生き生きしていた。関西弁のせいなのだろうか?
関東人は考え込む、関西人は生活をする。そういう感じがした。僕はなんだか悲しみと憤りを深くするだけで、何も出来ないような気がするのだ。》(つづく)
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