何十年も使ってた大きなプラスチック収納ケースを10個と大量のカゴを捨てる。
大きなプラスチックのケースに適当にモノを入れ
バラバラの色形のカゴを買ってはモノを放り込んでいた。
要らないもの捨ててみると、そこにあったほとんどが要らないモノだった。
そして収納はほとんど収納として意味を成してないことが分かった。
言って見れば「保留のゴミ箱」のようなものだった。
持ちモノを大量に捨てたのだが、収納も入れ替える必要がある。
残った持ち物を確認して、収納するワゴンとケースを探し、本棚、収納棚を買う。
ワゴン、ケース、棚が揃ったら1つ1つを分類して収納する作業に入る。
分類してくところでまた捨てるモノが出るだろう。
●分類できない
ところで私は、
そのモノが何に「分類」されるのか? が分からなかった。
家のモノは「情報の扱い方」の「物理空間化」だろうから、
私は情報をタグ付けしないで記憶してるのだろう。
その事を良く捉えれば、
モノとモノにレッテルを貼ってないのでモノを巡るジャンルの横断がスムーズになる。
しかしほとんどが引っ張り出せずに忘却して無意識下に溶け込んで行く。物質的にはそれらはゴミである。
しかし、創作としては、
無意識下に溶け込んだ記憶のスープから無意識的に線を紡ぎ出して線譜にしてる。
モノを分類しないのは創作スタンスだったとも言える。
脳状態が部屋のモノとしてダダ漏れになっていた感じだ。
家の中が片付いたからといって発想が貧困になる、なんてことはあるだろうか?
むしろ想像にとっては良さそうな気がするのでスッキリ片付けよう。
断捨離は人生の再生作業だ。
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