ジャクソン・ポロックで検索した画像より |
なぜジャクソン・ポロックをタイトルにしたのかと言いますと、
私はどこか、
「ジャクソン・ポロックが44歳で死なず、ドリッピングを乗り越えた後に絵はどうなるのか?」
を実践しているような気がしてるからです。
つまり、
線譜は一つにポスト・ポロック的な要素もあるのです。
そんなこと言った事ないけど(笑)
あ、ありました(笑)
今年のピカレスクでの個展の解説で触れてます。
【羽化の作法 65】現在編 瞑想の続きと個展『0.03』
ジャクソン・ポロックは、「抽象表現主義」の代表的なアーティストと言われています。
「抽象表現主義」の特徴として以下のようなものがあります。(ウィキペディアより)
・画面に中心がなく、地と図の区別がない、「オールオーバー」(均一)な平面
・キャンバスは、作家の描画行為の痕跡(フィールド)であると考え、創作過程を重視する
「線譜」も天地がなく、行為の痕跡として線が剥き出しになっている状態を描いています。なので、自分も抽象表現主義のくくりに入るのかなあと思ったりしました。
(略)
ジャクソン・ポロックの「ノイズ・ミュージック」のような感じは、ペンキで描いてた頃からあって、今の線譜にまで引き継がれています。
私は線でテキトーに、わーっ!っと描いたり、ぐるぐるぐちゃぐちゃ描いたり、してきました。しかし、そのような描き方をするきっかけとしてポロックがいた訳ではありません。
なんとなく自然にペンキを投げ付けたりドリッピングしたりしてました。それは「衝動」の表現でした。
ペンキで絵を描いてた95年頃からボールペンで線画を描き始める2005年あたりまで、ポロックに関心はさほどなかったのですが、
2012年に近代美術館で開催された『生誕100年 ジャクソン・ポロック展』を観て、なんだかポロックに憑依されてしまった感じがしたのです。
ポロック展を観に行ったのがちょうどポロックが死んだ44歳だったと言うのもありました。
ポロックの初期の具象の油絵を観れば分かりますが正直凡庸な絵です。きっと本人もそれを感じてたと思います。
「このままでは何者にもなれない」
一攫千金、九回裏ツーアウト満塁ツーストライクスリーボールでサヨナラ逆転満塁ホームランを放ちたいと願ったに違いありません。
そして、ポロックはドリッピングで一躍スターになります。そうです「奇跡」を起こしたのです。
批評家とタッグを組んだ「戦略的な成功」と言う人もいるかも知れませんが、ポロックの野望から生じた偶然性の強い奇跡だっだと感じるのです。
その後は画風を変えようともがいてるような感じがあります。
そして、
プレッシャーからなのかアル中になってしまい、最後は酔っ払い運転で事故死してしまいます。
もし、批評家と企てたクールでロジカルな「戦略的」作戦なら、アル中になんかならずにドリッピングで安定したシリーズを重ねて行くと思うのです。
何しろピカソのように超絶上手だからこそ絵画が抽象化して行ったのではないですからね。
ポロックのアトリエ再現の展示会場をひとり歩きながら、
「あぁ、俺はポロックの<その後>を描いてるんだなぁ・・・」
って思ったのです。
そしてなんだか涙が溢れてきてしまったのです。
まぁ、自分の勝手な思い込みなんですけどね。
ポロック展のレビューをデジクリに書いてます。
「武&山根の展覧会レビュー 追いつめられた飛び道具──【生誕100年 ジャクソン・ポロック展】を観て/武 盾一郎&山根康弘」
このレビューは突然、ポロックとポロックの友人ヤスとの寸劇に入ります(笑)
そこで「ライラックを見て描く」話しを持ち出します。
Y :わかったわかった。そんなに怒んなって。ほら見てみ、ジャック。ライラックや。そこに生えてたぞ。面白い形してるやん。ちょっとこれ一緒にクロッキーしてみようぜ。飲みながらでええから。
ポ:ライラック? ほう、、美しい。。いい形だ、いい色だ! ...しかし俺は今、そんなことに関わっている暇はないんだ! 早く新しい藝術を完成させなくてはならないんだ! ほらヤス、見てくれ。お前は東洋の血も入ってるんだろ? これは凄いじゃないか!「書」というそうだ! 俺のやりたいことと近いと思うんだ!
Y :いや、それもいいねんけどな、そのためにもこの身近なものから、このなんでもない花から描いてみる、っていうのもありちゃうか? そんなに悪くない提案やと思うで、ジャック。
ポ:(ライラック、花言葉は友情。。なるほど。。)なぁ、ヤス、、お前の気持ちには感謝するよ。だけどな、俺は今、もっと新しいことに挑戦しているんだ。悪いがライラックなんてどこにでもあるじゃないか。どこにでもあるものじゃダメなんだよ!(ウイスキーをあおる)
これは、「もう一度、<見て描く>と言う基本に立ち戻ってみたら良かったのではないのか?」と言った印象をポロックに抱いてたから出てきたセリフだったと思うのです。
このレビューは案外深いですよ(笑)
以上、ジャクソン・ポロックのエソラゴトでした。
追記
ポロックの時代背景がこれでなんとなく分かります。
「ポロックが「過大評価」されるようになったのはなぜなのか?」
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