鉛筆線譜 |
二十歳頃に思ったことがあった。
「お金を稼ぐんじゃなくて、物々交換で生きていけないだろうか?」と。
正直、私は「お金」が欲しいのではない。
例えば、作品を作ったら、食べ物と交換すればいい。
あるいは、作品を作っている期間の制作できる環境を保証してもらえればいい。と。
そういう生き方ってできるんじゃないのか?と。
でも、どうやって…?
具体策は思い付かなかったけど、
「お金」という存在を消去した世界を夢想したのだった。
これが自分の潜在的なビジョンとなった。
このビジョンは、オリジナルではなかった。
親から刷り込まれた「資本主義は悪」かつ「国家主義は悪」という価値基準に、
青年期の自分は自分なりにナイーブに悩んでいて、
それに対する「答え」のようなものだった。
国がダメで、会社がダメだったらどう生きればいいんだ?
お金儲けがダメなら公務員もダメ、会社員もダメ、どうすればいいんだ?
革命家になるしかないのか?
資本主義の悪と闘い、国の悪と闘う革命家は、でもどうやって生活するのだ?
分からない・・・・
そうだ。
パンク・ロッカーになって、物々交換で生きよう!
これこそが親からの課題、資本主義と国家主義の悪に立ち向かう生き方だ!
追い込まれた人間が、最も合理的ではない「答え」を盲信してしまう、
最もありがちなパターンを導き出したのであった。
そして大学を辞めるのであった。
と書くと大学生になってから大学を辞めようと思ったみたいだけど、
実は高校時代、「大学に入るけど辞める」と思っていたのだ。
なんだ自分?
で、ついでに思い出したけど、
中学入った時に「大学行くよ」ってクラスメイトに言って、
「うわー、大学なんて行くのー?」と言われていたのだった。
(当時の田舎の公立中学生では大学進学するのは多数派ではなかった)
なので自分は小さい頃から自分の人生を知っていたような気がする。
0 件のコメント:
コメントを投稿