絵とオブジェと物語

歌川芳員「東海道五十三次内 大磯 をだハらへ四リ」


歌川芳員作のこの浮世絵には「虎子石(とらこいし)」という、なんとも可愛らしい幻獣が登場している。
参照:歌川芳員の浮世絵に出てくる珍獣、虎子石がポーチとクッションになって現世に蘇る! : カラパイア

この妖怪のモデルは、神奈川県大磯町の「延台寺」に祀られている「虎御石」と呼ばれている石のようである。


この石には物語がある。


むかし、東海道「大磯の宿」に、山下長者(やましたちょうじゃ)とよばれていた人が、住んでいました。

長者には、跡取りの子がなかったので、高麗山(こまやま)のふもとの、 虎池弁財天(とらいけ・べんざいてん)のお堂でおこもりをして、「どうか子どもを授(さず)けてください」と、 お祈りをしました。

すると、満願(まんがん)の夜に、弁天(べんてん)さまが夢の中にあらわれて、
「汝(なんじ)の枕元(まくらもと)に、小石をおく。これに祈れば、望みのごとく子が生まれよう」と、お告げがありました。

つぎの朝、長者が目をさますと、枕元に小石が置いてありました。

長者は、弁天さまのことばどおり、枕元に置いてあった小石を、家に持って帰り、いっしょうけんめいにお祈りしました。
そのかいがあったのでしょう。やがて女の子が生まれました。
虎池弁財天のお告げでさずかったので、長者は、この子に「虎女(とらじょ)」という名前をつけました。

枕元にあった石は、はじめは小さなものでしたが、虎女が育つにつれて大きくなっていき、 とうとう子どもの背たけぐらいもある、細長い大きな石に成長しました。
虎御石より)


と、このような物語からこの虎御石には「子授け」のご利益があるとされている。


「虎女」って名前がすごいですが、小石が大きくなるところも超常的で面白いですねえ。


ところがこの虎御石、これだけではありません。
この物語にはさらに続きがある。


虎女は、年ごろになって、曾我十郎祐成(そが・じゅうろうすけなり)と、愛し合うようになりました。

祐成は、弟の曾我五郎時致(そが・ごろうときむね)とともに、父の仇(かたき)、 工藤祐経(くどう・すけつね)を討(う)とうとして、つけねらっている身でした。

ところが、祐経の方でもそのことを知っていて、身の安全をはかるために、先手を打って、 曾我兄弟を討ち取ろうと、二人の命をねらっていました。

ある夜、祐成がいつものように、虎女のもとをたずねていくと、待ちかまえていた敵(てき)が、 遠矢(とおや)を射(い)かけてきました。

その時、どこからか大きな石が飛んできて、矢をうけてくれたので、 祐成は、あやういところで命拾いをしました。

あくる朝、虎女が見ると、虎女とともに育ったあの石に、矢の当たったあとが、 はっきりついていました。
虎女は、この石は「身代わり石」と名づけ、ますますたいせつにしました。

虎女の死後は、虎女の石という意味で、「虎子石(とらごいし)」とか、 「虎御石(とらごいし)」とよばれるようになりました。
虎御石より)


なんと、あの重たそうな虎御石が飛んできて、仇討ちの弓矢から身を守ってくれたのです!
なんだか今聞くと荒唐無稽でキッチュな感じするけど、すごいですねえ。


このお話は『曽我物語』という日本三大仇討のひとつなんだそうです。


この仇討ち事件はきっと本当にあったのだと思いますが、どのようにして「虎御石」という超常現象が登場したのか、不思議であります。

今もこうやって残っているのも面白い。

何百年も残るには、「事実」が「物語」になり、そして「絵」と「オブジェ」が物語を支えた時なのかもなあ、と思ったのでした。

【タウンニュース大磯・二宮・中井版】「虎御石」を特別開帳 大磯 延台寺で より



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