「アート」と他のサービスとの違い
多くの商品・サービスは「課題の解決」で成り立っている。
アートも結果として「課題の解決」に役立つものが売れたりはしている。
しかし、アートの源泉は内発的なものである。
外から与えられた課題に対して見事な解決を出力することとは根本的に違う。
だからこそアートとは誰かの「当たり前」の外側に現れることがある。
一方で課題解決とは「当たり前」の中で、より便利に、より効率的にしようとする動きである。
つまり、
アートとは内発的で、時に「当たり前」そのものを揺さぶるものである。
アートが売られる場所
これらがアートの源泉ではあるが、このアートを価値付ける時に必要なものが「権威」と「市場」なのである。
もし本当に「権威」と「市場性」を嫌った人がいたら、その人は自分の作った作品を「アート」の市場で売ろうとはせずに、こっそりしまっておくだろう。
ところが、そんな人を私は見たことがない。
見たことがない理由は二つある。
一つは、そんな人がいたとしても出会えないし気が付けない。
自分の作品を認めてもらいたい欲望が発生しないならば、その人は何もアピールしないので、発見するのは不可能である。
そして、もう一つはそんな人は存在しない。
自分の作品を社会に認めさせたい欲望に打ち勝ってこっそり隠しておく人なんてほぼ存在しない、ということだ。ヘンリー・ダーガーは本当に特異な一例だろう。
「アール・ブリュット」というのもあるが、描いている本人は、例えば先生とか家族とか誰かに認めてもらいたい一心で描いてたりする。
先生とか家族がマーケットに売り出して有名な先生や評論家やキュレータにプロデュースしてもらって「アール・ブリュット」となるので、実は決して100%純粋ってワケでもなく、そこには「権威」と「市場」のエキスがガッツリと染み込ませてあるものなのだ。
よって、内発的に作られ、「常識」から外れた内容であれば、即「アート」とならないのである。
きちんと「権威」を纏わせて、「市場性」をたっぷりと染み込ませて「アート」になるのだ。
この内発性(往々にして非権威的で非市場的な発生だったりする)と、権威と市場性のアンビバレントで奇妙な共犯関係は「アート」の重要な側面である。
これ、大分、昔に書きかけていたブログ記事なんだけど、アップしてみた。
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