映画『アン・リー / はじまりの物語』を観ていて、物語そのものより先に、身体の動きが気になった。
歌う。
祈る。
震える。
踊る。
信仰というと、静かに祈るというイメージだけど、
シェイカー教の信仰はまず身体に現れ、映画ではミュージカルとして表現されていた。
アン・リーは1736年、マンチェスターに生まれたとされる。
マンチェスターという街の名前を聞くと、私はどうしても音楽のことを思い出してしまう。
Joy Division、The Smiths、The Stone Roses、Happy Mondays、Oasis etc。。。
マンチェスターからは、良いバンドがたくさん出ている。
「おマンチェ」もまた変な踊りが印象的だった。なんか土地の記憶のようなものが残っているのだろうか。
シェイカー教は、身体が祈っていた
シェイカー教は、正式には「キリスト再臨信者協会」と呼ばれる宗教共同体で、歌や踊り、身体の震えを伴う礼拝によって知られている。
「Shaker」という呼び名も、礼拝中に身体を震わせるような動きがあったことに由来するとされる。
身体が震える。
身体が動く。
身体が歌う。
信じるということが、頭の中の思想ではなく、身体の状態として現れる。
傍から見ると少しキモくもあり、同時にとても自然なことのようにも思える。
シェイカー教の教義に結婚してはいけない、というのがあるが、
なんとなくだけど、この宗教、今、生まれていたら案外うまく行きそうな感じもしなくもない。
マンチェスターという土地
18世紀から19世紀にかけて、マンチェスターは産業革命の中心地のひとつになっていった。
綿工業、工場、人口流入、貧困、労働者の街。
土地には身体動作のミームのようなものが残るのではないか、とは思う。
祈りで震える身体。
工場で反復する身体。
貧しさの中で耐える身体。
音楽で解放される身体。
それらが、はっきりとした歴史の線ではなく、もっと曖昧な身体の記憶として、土地に染み込んでいるのかもしれない。
あの変な踊り
マンチェスターの音楽には、うまいダンスというより、身体が勝手に持っていかれてしまうような動きがある気がする。
Joy Divisionのイアン・カーティスの動きもそうだし、
Happy Mondaysもそうだ。
イアン・カーティスの動きには、内側から何かに引き裂かれているような切実さがある。
ハッピーマンデーズは意味から解放されてしまった祝祭のような可笑しさがある。
どちらにも「きれいに踊ろう」としていない感じがある。
祈り、労働、音楽
祈りも、労働も、音楽も、身体の反復を持っている。
祈りは、言葉を何度も唱える。
労働は、同じ動作を何度も繰り返す。
音楽は、リズムを何度も反復する。
反復は人を別の場所へ連れていくこともありそう。
同じリズムを繰り返しているうちに、いつの間にか意識の位置が少し変わっている。
瞑想も、祈りも、労働も、ダンスも、ひょっとしたらそこでは近いものなのかもしれない。
身体が同じ動きを繰り返すことで、頭で考えている「私」の輪郭が少しゆるむ。
それを神と呼ぶ人もいるだろうし、音楽と呼ぶ人もいるだろうし。そんな何かが、土地の記憶となることもあるのかもしれない。
線もまた、身体の記憶なのかもしれない
私が描いている線譜も、頭の中で考えた図形というより、身体が反復した痕跡に近い。
一本の線を引く。
また線を引く。
少しずれて、また線を引く。
それを繰り返しているうちに、線はだんだん音楽のようになっていく。
描いているというより、身体の中にあるリズムが、紙の上に残っていく。
そう考えると、絵もまた、祈りや労働や音楽と遠く離れているものではないのかもしれない。
絵は、頭の中のイメージをただ写すものではなく、身体が世界に触れた痕跡に近い。
身体は、土地の記憶を持っているのか
マンチェスターのバンドの身体表現と、18世紀のシェイカー教。
一見何の繋がりもないが、身体は、土地の記憶を持っているのではないか。
映画『アン・リー / はじまりの物語』を観てから、気になっている。
祈りも、労働も、音楽も、絵を描く線も、頭で考えるより前に、身体から出てくる。
そして身体から出てきたものは、言葉よりも長く残ることがある。
あの変な踊りは、ただ変なのではなく、どこか遠い祈りや労働の残響なのかもしれない。
そんなことを考えながら、また線を引いている。
参考
『アン・リー / はじまりの物語』公式サイト
Shaker Heritage Society - History of the Shakers
The Guardian - Cotton Capital: how slavery made Manchester the world’s first industrial city
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