見立ての遊びを、現代美術として更新する

ねえ、あそぼ…
― 夢魔の國の胡蝶 ―
ガブリエル・ガブリエラ(2026)


子どもは鬼ごっこをするとき、鬼が本当に実在するかどうかを議論しない。

誰かが鬼になり、触れられた人が次の鬼になる。
その間、子どもたちは本気で逃げ、本気で追いかける。

ままごとでは、葉っぱがお皿になり、石ころが食べ物になる。小枝が包丁になり、段ボール箱がテーブルになる。

誰も本物の料理だと勘違いしているわけではない。それでも、遊びの中には確かに一つの世界が成立している。

いることにして、本気で遊ぶ。

私は、このことが芸術にとって非常に重要なのではないかと思っている。


遊びの中に、古い文化が生きている

子どもの遊びは、どこからやって来るのだろう。

ままごとは、大人の暮らしを模倣しているように見える。けれど、鬼ごっこやかごめかごめ、意味のよく分からないわらべうたなどはどうだろう。

誰が最初に始めたのかも分からない遊びを、子どもたちはいつの間にか覚え、繰り返し、次の子どもたちへ伝えていく。

面白いのは、その意味や起源を知らなくても、遊びは受け継がれていくということだ。

民俗学では、子どもの伝承遊びと、古い祭礼や宗教儀礼との関係が研究されている。[注1]

例えば、わらべうたには、土地や時代によって変化しながら受け継がれてきたものがある。[注2]

また、子どもの遊びには、神話や古い宗教儀礼に由来すると思われる要素が残されている可能性も指摘されている。[注3]

もちろん、鬼ごっこの鬼が、古代の儀礼から直接生まれたと断定できるわけではない。

けれど、文化の本来の意味が忘れられた後も、動作や言葉や規則だけが遊びとして受け継がれていくことはあり得る。

子どもの遊びは、本人たちの知らない文化の記憶を運んでいるのかもしれない。

そこには、祭りや祈りのようなものだけでなく、恐怖や禁忌、排除や競争といった、人間社会の暗い側面も含まれているのだろう。

子どもの遊びは、必ずしも無邪気で純粋なものばかりではない。[注4]

だからこそ、人間の文化が持つ複雑なものを、思いがけず保存しているようにも思える。


文化を受け継ぎながら、つくり替える

しかし、子どもたちは伝統をそのまま保存しているわけでもない。

遊びの規則は地域によって違うし、同じ遊びでも、その場にいる子どもたちによって変わる。

誰かが新しいルールを思いつけば、遊びはそこから別のものになっていく。

つまり、子どもは文化を受け継ぐと同時に、自分たちでつくり替えている。

そして、その子どもたちが大人になり、今度は大人の文化を担っていく。

大人の文化が子どもの遊びに影響し、子どもたちの遊びがまた新しい文化を生み出す。

こうした循環が、どこかにあるのではないだろうか。

歴史家ヨハン・ホイジンガは『ホモ・ルーデンス』において、遊びを文化形成に深く関わる営みとして捉えた。[注5]

文化が遊びを生み、遊びが文化を生む。

もしそうだとすれば、遊びとは単なる娯楽でも、大人になるための練習でもない。

文化が生き続けるための、一つの仕組みなのかもしれない。


日本文化にある「見立て」の遊び

このような遊びの構造は、日本の伝統芸術にも見出せる。

例えば、人形浄瑠璃。

舞台では、人間が人形を動かしていることが見えている。けれど、観客は人形を生きた登場人物として見ている。黒衣はそこにいるのに、見えないことになっている。[注6]

誰も本当に人形が生きていると勘違いしているわけではない。

それでも、人形の悲しみに涙を流すことができる。

絵画にも「見立絵」という表現がある。

江戸時代の浮世絵では、古典文学や歴史上の人物を、当時の風俗や人物に置き換えて描くことが盛んに行われた。[注7]

元の物語を知っている人は、その置き換えの面白さを楽しむ。

そこでは、現実のものに別の意味を重ねることで、新しい表現が生まれている。

子どものままごと、人形浄瑠璃、浮世絵の見立絵。

これらは同じものではない。けれど、そこには共通する想像力の働きがある。

現実に存在するものを、別の何かとして受け入れる。

そして、その約束を共有することで、一つの世界が成立する。

見立ては子どもの遊びであると同時に、日本の芸術文化の中で高度に洗練されてきた表現方法でもある。


現代において、見立てを更新する

ただし、見立ては日本だけに存在するものではない。

西洋の演劇にも仮面劇にも、神話や寓話にも、現実に存在しないものを存在するものとして扱う文化がある。

現代では、映画やゲーム、アニメーション、仮想空間などにも、その仕組みを見出せる。

虚構であることを知りながら、その世界に入り込み、そこで起こる出来事に本当の感情を動かされる。

グレゴリー・ベイトソンは、遊びを成立させる意味の枠組みについて論じている。[注8]

遊びの中では、現実と同じ動作であっても、別の意味を持つ。

この仕組みは、時代や文化を越えて、さまざまな表現に見出すことができる。

では、日本の見立ての文化を、現代の芸術や、世界各地の神話、物語、視覚文化などと組み合わせたら、どのようなものが生まれるのだろう。

単に昔の文化を再現するのではない。

さまざまな文化を取り込み、組み替え、今までになかった新しい世界をつくる。

私は、そこに現代美術としての可能性を感じている。


十三月世という見立て

私たちガブリエル・ガブリエラは、現実の世界を十二月世と呼んでいる。

そして、光の精霊たちが棲む十三月世(13MoonVerse)、闇の精霊たちが棲む霧の國(Nebelreich)という世界をつくっている。

そこには精霊がいて、さまざまな物語がある。

それらを絵画や呪薬(ジュエリー)として具現化していく。

十三月世大使館もまた、一つの見立てである。

埼玉県上尾市にある小さなギャラリーが、十二月世と十三月世をつなぐ大使館になる。

訪れた人は、絵画や呪薬に出会い、その世界に参加する。

私たちは、十三月世の実在を証明しようとしているわけではない。

十三月世があることにして、本気で遊ぶ。

そして、その遊びを本格的な造形芸術として成立させようとしている。

作品は物語の説明図や小道具ではない。一つひとつが独立した美術作品でありながら、全体として一つの世界をつくっている。

さらに作品を購入することは、その世界の一部を日常の暮らしに迎え入れることにもなる。

もちろん、購入しなくても世界には参加できる。

けれど、作品を所有することで、その世界との関係は長く続いていくかもしれない。

遊びそのものの価値と、美術作品としての貨幣価値。

それらを単一の尺度に還元せず、共存させることも、私たちの重要な課題である。


見立ての遊びを、現代美術として更新する

子どもの遊びには、古い文化の記憶が残っているのかもしれない。

そして日本の芸術には、見立ての遊びを高度な表現へと発展させてきた歴史がある。

私たちがやろうとしていることは、その文化を単に保存したり、子どもの遊びを再現したりすることではない。

受け継がれてきた見立ての仕組みを、現代の技術や表現、西洋を含むさまざまな文化と組み合わせ、新しい芸術として提示すること。

そして、完成した作品を鑑賞するだけでなく、そこから新しい物語が生まれ続ける世界をつくること。

ガブリエル・ガブリエラの合言葉は、「Meet Your Wonder Child!」である。

それは、子ども時代へ戻ろうという意味ではない。

大人になった今だからこそできる、想像力と技術と知識を使った、本気の遊び。

子どもたちが知らず知らずのうちに文化を受け継ぎ、つくり替えてきたように、私たちもまた、新しい文化を生み出すことができるのではないだろうか。

いることにして、本気で遊ぶ。

その遊びが、どこまでアートになり得るのか。

私はそれを試している。



注・参考文献

[注1]伝承遊びと儀礼・祝祭
山本清洋「伝承遊びの構造分析」。日本の伝承遊びを、規範や役割、宗教的儀礼や祝祭との関連から考察した論考。
https://jslrs.jp/journal/pdf/14.pdf

[注2]わらべうたの伝承
安藤江里「わらべうたの伝承と幼年期教育における文化の継承―最古のわらべうた『子とろ子とろ』の歴史を通して」。子どもの伝承遊びが継承過程で変容することを扱う。
https://cir.nii.ac.jp/crid/1050285700410372864

[注3]子どもの遊びと古い神話・儀礼
“On children's games:” A translation of “Lasten Leikeistä”(2021年公開)。子どもの遊びに、古い宗教儀礼や神話の痕跡を見出す歴史的論考の翻訳。個々の遊びの起源が実証されているという意味ではない。
https://doi.org/10.1080/21594937.2021.1951458

[注4]子どものフォークロア
Brian Sutton-Smithほか、Children's Folklore: A Source Book。子どもの遊びや伝承文化の複雑さを、民俗学や人類学など複数の視点から検討した論集。
https://digitalcommons.usu.edu/usupress_pubs/71/

[注5]ヨハン・ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』
Johan Huizinga, Homo Ludens(1938)。文化形成における遊びの意義を論じた古典的著作。
https://www.dbnl.org/tekst/huiz003verz06_01/huiz003verz06_01_0002.php

[注6]人形浄瑠璃と黒衣
文化デジタルライブラリー「人形浄瑠璃 文楽・遣うしくみ」。黒衣は舞台上に存在していても、見えないものとする約束事がある。なお、出遣いでは人形遣いが顔を見せる場合もある。
https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc26/ningyo/shikumi1.html

[注7]江戸時代の見立絵
太田記念美術館「幕末の見立絵―三代豊国・広重・国芳」。古典や物語、別の題材を連想させる表現を通じて、江戸の人々が楽しんだ見立絵を紹介。
https://www.ukiyoe-ota-muse.jp/2013_mitate-e/

[注8]グレゴリー・ベイトソン「遊びと空想の理論」
Gregory Bateson, “A Theory of Play and Fantasy”(1955)。遊びを成立させるコミュニケーションと意味の枠組みについての研究。
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/13297882/

本稿は、民俗学、文化人類学、遊びの研究を参照しながら、ガブリエル・ガブリエラの芸術理念について考察したものである。子どもの遊びと古い儀礼との関係については諸説があり、文化的な類似性が直接の歴史的起源を証明するわけではない。

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