現代美術やオタク文化のどこが面白くないかというと、「引用」だらけで構成されている表現だからである。
感情心情も引用、回答も引用、想像も引用。コピペコピペで「わたくし」という証明を成立させる。
これが現代美術とオタクの類似点であることは確かだ。
引用ばかりの表現は嘘臭い。フェイクを開き直って楽しむのもありだろうけど、きっといずれどこかで生命の根源に触れたくなってしまうだろう。
「お前の魂をお前の言葉で喋れ!」と思うわけである。
それを「オリジナル」と呼んだりするのである。
だがしかし、魂の叫び声をあげてみようとするほど、言葉にならない。またはオリジナルとは程遠い使い古された陳腐な言葉しか出てこない。
「うがー!」みたいなものか、
「愛だー!」みたいなものか。
そらそうだ。
もし、魂の叫びの表現ができたとするなら、それは普遍的なわけだから、まるでオリジナリティはないのだ。
「オリジナル」という概念は幻想なのだ。
あるいは、「引用の編集」に他ならないのだ。
実際のところ、コピペコピペコピペと上手にコピペを組み合わせたのがオリジナルの正体なのだ。
しかし、人生は引用だけでは対処できない局面が遥かに多い。
「引用」だけの表現物、作品は現実世界に対してあまりにも虚弱なのだ。
一方、魂の叫びは作品に至らない認識をされてしまうため基本的に無視される。
作品を作る場合は、往々にして
コピペアルゴリズムからその問題に取り組む、か、
魂の叫びからその問題を突破しようとする、か、
みたいな対立軸があったりする。
パクリ系かオリジナル系か、みたいな。
虚弱か無理ゲーか、みたいな問題である。
結論から言うと、とりあえずは前者の方が社会的にうまくのである。
というイメージを僕は持っているが、本当のところは分からない。
僕は後者の「魂の叫び系」で、実際うまくいかなかった。
これから、どうやってサバイブしていくか。
分からないけど分かっている気もする。
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