描くことは苦行だったけどようやく楽しくなってきた

最近しみじみと描く楽しみを感じるようになった。ようやく。

それまでは追い込んで描いている苦痛を確認するかのように描いていたところがあった。


絵を描き続け始めた頃は絵を描くとスーッと心が楽になった。
胸の内にあったものを吐き出して軽くなったような感じ。

その快感は息を止めるほど集中してる時間があると訪れる。
ギューッと自分を絞るとそのあと楽になるような感じで。


「息を止めてしまうほど集中する」というのは「自分を追い詰めている状態」と似ている。
追い詰めると集中してるはちょっと違うんだけど、なぜか「追い詰める」ことが目的化してくるようになっていった。


極限状態に憧れていたのだろう。
そうすれば何か突破できると思っていた。


路上に出て絵を描くことから始めたので「危険に追い込まれてる状態」を「集中してる」と学習してしまったのかも知れない。


その後僕は、自宅に引き籠って描くようになるのだけど、そこは基本的に「危険に追い込まれてない」場所だ。
なので最初は「集中の仕方」が分からなかった。集中する、というより追い込むシチュエーションを作ろうとしてしまうのだ。トランス状態に持って行ってから描く、とか、なんかいちいち面倒なことをしてしまっていたのだ。


「描く行為」は苦行だった。滝に打たれて祈りを捧げるような苦行だったのだ。
それを必要としていたことも確かだ。

自らを追い詰め、苦しみの果てに楽園を見出す、この方法が自分に合っていた時期が通り過ぎたのだろう。



諦めて自宅アトリエでコツコツ描いてるうちに、集中することと追い詰めることは違うことを発見していく。
集中するには何かを諦めることが必要なのだ。

自分がリラックスしてる方が調子がいいのでよく寝るようにする、とか、追い込んで長時間描いてもその後何日か使えない状態になるので、休憩して作業を終わらせて、毎日淡々と制作したほうが集中できる、とか。
そういうことを繰り返し続け、「追い詰めることなく描くことに集中する」ことができるようになっていった。

そうすると、描いているのが楽しいと感じてくるようになってきた。


描く行為を楽しく感じるように仕向けて続けると、楽しく感じるようになるのだ。

苦行の祈りから、安らかな祈りを捧げる描き方になった。


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