抽象は具象の進化なのか?


めんどくさいタイトルを書いてしまった!w

もやもやとずっと疑問だった問題のひとつはこれである。

確かにそうだ。というところと
いや違う。というところと
両方ある。

何度も何度も意識には登るテーマだったけど、面倒臭いので放っておいたのだ。

抽象とは概念思考のことを指す。
具象は象徴思考のことを指すだろう。

ヒトはまず最初に象徴思考が芽生える。「コレナーニ?」と。具象である。
そして概念思考をするようになっていく。「ドーシテ?」と。この概念思考に抽象化が含まれる。概念思考とはちょっとややこしい。


抽象化とは概念思考なので、象徴思考を経ないとできない。
よって、具象画から抽象画へは人間の脳の発達の象徴思考から概念思考へのプロセスと相似を成すので、抽象画は具象画の進化である、と。


だがしかし、線譜は抽象画の類いなのだけれど、具象から抽象に進化してそうなったのではない気がしてるのだ。
むしろ時間を逆行して遡った果てに抽象画のような形態になったような感じなのだ。


「具象から抽象に行く」という流れは美術文脈として了解されている。ひょっとして明治以降の日本が作り上げた「西欧藝術の文脈」なのかもしれないが。

現在、抽象より具象的なアプローチで描いている日本人アーティストの方が多く感じる。
「浮世絵と漫画」という文脈や、「八百万神信仰とキャラクター」という文脈がそれらを支えている。
グローバルに対抗する「極東の群島(日本)のアイデンティティ」だ。


自分の作品はその主流には乗っかれないでいるし、自分の文脈を考えようとしてもしんどい。

まあ、
そもそも文脈なんて要らない、という可能性もある。
そうやってきたし。


けど、やってきたことを文脈化できないとちょっと大人じゃないなあ、とか思い始めている(笑)




僕の絵の解釈は、
「絵とは行為の痕跡であり、そもそも抽象画として生まれる。
次いで物語りが生まれ、具象画になっていく。」
である。




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