星になったオヤジ

線譜『9つのチェロのためのエチュード』部分

4月30日9時46分、父は永眠した。享年76歳。

「父と息子」という関係形成に失敗したまま終わってしまった感じがする。
或いはそういう落とし所のなさを抱えることが「父」という存在なのかもしれないが。

物心ついた時には離婚して母子家庭だったのだが、僕と妹の苗字は父の姓のままで、母だけ旧姓に戻したのでややこしかった。


おやじの人生はラッキーだったと思う。

若かりし頃は革命と演劇に打ち込み、その後製作会社を立ち上げてずっと運営してきてた。

家制度は悪だからと離婚をして家族を捨て、宗教は悪だからと祖父のプロテスタントの家を捨て、その思想信条を僕に言って聞かせた。

しかし、最晩年は捨てた家族の元に戻り、骨になって祖父の信仰してたプロテスタント教会に戻る。


本性は逆だったのだ。



不思議なことに親父が死んでも悲しくない。
二年前から入院していたのでどこか心の準備はできてたのだろう。
或いは、悲しいと感じる領域を超えて辛いので何も感じなくなってるのかもしれない。


入院先の病院に駆け付けた時には親父はすでに死亡していた。
白布をめくるとずっと険しかった表情が消えて安らかな顔だった。

「ああ、良かったねえ……」と言いながら僕は親父の顔に手を当てていた。


5月2日に家族葬を行った。
5月23日に伊勢崎の教会の納骨場に納骨する。


以下関連ツイート

ここ出来たの最近ですよね。 と言ったら
15年前からあります。 と。

「15年前は最近」と思う時間感覚なのか
「あれ、最近こんなもんできたんだ」と思った「最近」という印象がそのまま記憶されていたのか
https://twitter.com/Take_J/status/593764986029252608
(地元のメモリアルホールの職員さんとの会話)



「捨てておきながらずっと愛していた」という感情を理解するのは難しい
https://twitter.com/Take_J/status/593773448054362112


子どもの頃、親父と卓球場に行ったことを思い出した
僕はカウンターに行った
その時、受付の人が「誰と来たの?」と聞いてきた
僕はなんと答えていいか分からず「友だちみたいな人と」と答えた

父は不在のまま、そして永遠に不在となった
https://twitter.com/Take_J/status/594282498475085824


4月30日父が他界しました。享年76歳。
5月2日に家族葬を行いました。
5月23日に伊勢崎の教会の納骨場に納骨します。それまでは上尾の僕の家に置いてます。
https://twitter.com/Take_J/status/595006734919335936


若かりし頃は革命と演劇に打ち込み
その後会社を立ち上げなんとか運営してた
自由に生きた人だったけど
家族を捨てたことを後悔してたみたいで
検査で連れて行った病院で「自分の人生は間違っていた」と懺悔の言葉のようなことを口走った
それが親父との最後の会話だった
https://twitter.com/Take_J/status/595014906459521024
(「失敗」と言っていたかも。具体的な言葉の記憶は曖昧だけど、懺悔のように素直な祈りに近い告白だったという印象)


家とは天皇制なので否定、宗教は悪、という思想を僕には言ってたが
最後は家を捨てたことを悔やみ、骨になって祖父プロテスタント教会の場所に戻る、、
理屈イデオロギーと本性が真逆の人だった
https://twitter.com/Take_J/status/595017693721284608


若い頃にシビれることと
老人になって大切だと思うことは
正反対の性質を持つ
という教訓を身をもって伝えくれたわけだあなあ、、、
https://twitter.com/Take_J/status/595020027142672385

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