組み合わせ次第


個に対して幻想を抱き過ぎてしまった近代。
スタンドアローン時の能力を判定して社会構成の基準とする「試験」という仕組みは近代の理にかなっていた。

しかし、最優秀な人たちを集めて政権を形成しても社会はあんまり良くならないこともわかってきた。
例えば、官僚の一人一人を抜き出してみるときっと素晴らしくとても優秀なのだろう。ところが、官僚全体で見ると個体の総和になるどころか、議事録を黒く塗り潰したり、資料をシュレッダーにかけたり、判子のために出勤したりと、たった1人の子供の倫理観や判断能力にも及ばないような稚拙なことが起こったりする。

そもそも「テスト結果」が価値基準になってること自体が間違っているのだろう。
カンニングを禁止して個体に入力されている情報量の高低で人を測る制度はもう不必要だ。

なぜなら人類が抱えている問題は全て集団で解決するものだからだ。
人は組み合わせで信じられないような成果を出す。個体能力は環境と人の組み合わせて容易に変化するのである。

サリバン先生とヘレンケラーが出会わなければ、後の人類にとって重要な知見を残す奇跡は起こせなかった。

スタンドアローンのテストで振り分けて高得点者を集めようとする方向性だけでは立ち行かなくなるのは目に見えてる。


実際「ガブリエルガブリエラ」も、個々の社会性や能力には残念なところが多々ある。ところが組み合わせることによって「1+1=100以上」の現実を引き寄せている。

それは脳ネットワークが2人になると単純に二倍にはならず膨大な組み合わせが生まれるからだろう。いつもいつも思いもよらない面白いアイデアが生まれ、ワクワクする制作ができるのだ。
三人いたら三体問題的に予測不能な無限の知恵が出ることになる。「三人寄れば文殊の知恵」という諺は数学的に正しいと思う。



「近代」を引きずって今も残る「個」への勘違い。
未来には「個」という概念が今までとは全く異なっていることになるでしょう。


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