GrowHairさん(ケバヤシさん)がデジクリから去っていかれました。
Otakuワールドへようこそ![335]受験生並みの猛勉強の夏
http://bn.dgcr.com/archives/20200828110100.html
理由は、意識の謎の解明に必要な数学の研究ためのようです。
《しかし、正解を聞いたときに驚くことができるためには、理解できないことには話になりません。なので、私としては、上がってきた仮説は、すべてきっちりと理解しておきたい、と思っています。
思うだけで、これ、実際にやろうとなると、非常にたいへんです。例えば、ジュリオ・トノーニ氏は「統合情報理論(Integrated Information Theory; IIT)」を提唱しています。また、カール・フリストン氏は「自由エネルギー原理(Free Energy Principle; FEP)」を提唱しています。どちらも基礎にあるのは情報理論です。》
《あと、意識の仮説として、圏論を基礎に置いたものが出てきています。土谷尚嗣氏(モナシュ大学准教授)と西郷甲矢人氏(長浜バイオ大学)による共著論文が2019年に発表されています。
圏論とは、抽象化された矢印の数学とも言うべき理論です。対象から対象への矢印が射であり、対象と射とで圏が構成され、圏から圏への矢印が関手であり、関手から関手への矢印が自然変換であり、そこまで行くと、米田の補題が言えます。つまり、矢印のなす構造が階層化されていて、まあ、難解な理論です。》
(ケバヤシさんのデジクリ記事より)
ケバヤシさんは意識の謎を探求する同志なのですが、遥か遠くに行ってしまわれた感があります。
しみじみ
「行ってしまわれた……」(『風の谷のナウシカ』より)
姫様(ケバヤシさん)はセーラー服とアゴ髭をはためかせて、メーヴェに乗って腐海(意識の謎を解き明かす数学)の中へ飛んで行きました。私はミト爺のように、風の谷(ギャラリー13月世大使館)を護りながら帰ってくるのを待っております。
ナウシカ 参照
お供できないのは悔しいですが、意識という主観が科学的に解き明かされて行くのはワクワクします。
起源の謎は3つあるといわれています。「宇宙」と「生命」と「意識」です。なぜ解き明かされないのかというと、客観的に観測・観察できないからです。
その壁をどうやって乗り越えるのか?
私には無理だけど人類ならできる!(他人任せかっ!)
けど、こうやって関心を持つことだって貢献にはなるはず。私のできることをやります。
ケバヤシさんは物理的に執筆時間がなくなってしまったとのことですが、実は私もここ最近忙しくなってきて、デジクリ執筆を月一回にしてもらおうか、いっそのこと辞めてしまおうかと悩んだりもしました。「お金にならないんだから辞めたら?」という助言も貰いました。
デジクリは私にとっては「ぼんやり思ってることをテキストにして明文化する脳トレの良い機会」で、例えるならばヨガや習字のお教室に通っている感じの大切な文化行為なのです。ケバヤシさんくらい忙しくなってきたら、また改めて考えようかなあと思います。
「日刊デジタルクリエイターズ」はメルマガの古株ですが、いわゆる「ウィズコロナの新しい生活様式」にマッチしそうです。将来、ウィズコロナは続き、ベーシックインカムになり、独身がマジョリティになる高齢化社会では、デジクリのような非営利でまったりした、ゆるい繋がりの思考の交換サービスって必要になってくるんじゃないでしょうかね。
話を「意識」についてに戻します。まず今現在、意識について考えてることをまとめてみようと思います。
結局のところ「この世の全て」って「意識」だったりします。意識を通してでしか、この世界を認識できないってことです。これって当たり前なのですが、すごく難解だと思うんですよ。
意識の謎を思う時、どこかの深淵に潜っていくような、上下も重力もないクラクラするような、神秘的な不思議感を覚えます。謎を思考する時のそのクオリアが快感なのですよ。知的好奇心とは最も健康的なドラッグなのです(深追いし過ぎると健康を害しますが)。
私たちが認知し得る全ては「意識」にあります。私たちはそのほとんどが「無意識」の働きで生存しているにもかかわらず。
私たちは世界を認識しているのではなくて、認識の仕方が世界を作っています。「世界」も、「存在について」も、私の外側にひとつの真理としてあるのではなく、私たち人類の身体に備わっている「認識の仕組み」によって作られているってことです。
認識の仕方は生物種によって異なります。同じ種同士なら認識の仕方が一緒なので、共有される世界観はありますが、「これこそが正解!」という真理の姿が外側にあるわけではないのです。世界の本当の姿は(姿があるかどうかも)分からないのです。
それをお釈迦様は「空(くう)」と呼んだのでしょう。私はそれを「音楽」と呼んで【線譜】を描いています。これが今の私のできることです。意識の謎との対峙はそのまんま私の芸術活動に直結しているってことなのです。
時間をかなり遡ってみましょう。私たちは最初はいってみれば「内臓」だったわけです。ほぼほぼ「管(くだ)」だったのです。
そのあと動くために肉体が進化して、それに伴って脳も発達していきました。したがって脳と手足は新参者なわけです。
解剖学者の三木成夫氏は、私たちの身体は大きく「内臓系」と「体壁系」の二つの系があると書いてます。
“こころ(心情)”と“あたま(精神)”は、この心臓と脳に由来したもので、それぞれ人体を二分する“植物的ないとなみ”と“動物的ないとなみ”を象徴するものということになる。『ヒトのからだ/三木成夫』”
三木氏は植物器官である「内臓系」の意識を「心」、動物器官である「体壁系」の意識を「精神」としています。
「内臓系」は無意識的で非言語的、「体壁系」は意識的で言語的。前者は「肚」で、後者は「頭」。最近、「腸」と「脳」で対比させたりしますが、それは「内臓系」と「体壁系」のことですよね。
それから、「東洋的」と「西洋的」というのも、「内臓系」と「体壁系」なのかなあと思ったりもします。ただこれはパキッと二つに分離してるのではなく、複雑に混ざり合っています。
それだけではありません!
ケバヤシさんは物理的に執筆時間がなくなってしまったとのことですが、実は私もここ最近忙しくなってきて、デジクリ執筆を月一回にしてもらおうか、いっそのこと辞めてしまおうかと悩んだりもしました。「お金にならないんだから辞めたら?」という助言も貰いました。
デジクリは私にとっては「ぼんやり思ってることをテキストにして明文化する脳トレの良い機会」で、例えるならばヨガや習字のお教室に通っている感じの大切な文化行為なのです。ケバヤシさんくらい忙しくなってきたら、また改めて考えようかなあと思います。
「日刊デジタルクリエイターズ」はメルマガの古株ですが、いわゆる「ウィズコロナの新しい生活様式」にマッチしそうです。将来、ウィズコロナは続き、ベーシックインカムになり、独身がマジョリティになる高齢化社会では、デジクリのような非営利でまったりした、ゆるい繋がりの思考の交換サービスって必要になってくるんじゃないでしょうかね。
●意識の3つの系
〈空(くう)と線譜〉
話を「意識」についてに戻します。まず今現在、意識について考えてることをまとめてみようと思います。
結局のところ「この世の全て」って「意識」だったりします。意識を通してでしか、この世界を認識できないってことです。これって当たり前なのですが、すごく難解だと思うんですよ。
意識の謎を思う時、どこかの深淵に潜っていくような、上下も重力もないクラクラするような、神秘的な不思議感を覚えます。謎を思考する時のそのクオリアが快感なのですよ。知的好奇心とは最も健康的なドラッグなのです(深追いし過ぎると健康を害しますが)。
私たちが認知し得る全ては「意識」にあります。私たちはそのほとんどが「無意識」の働きで生存しているにもかかわらず。
私たちは世界を認識しているのではなくて、認識の仕方が世界を作っています。「世界」も、「存在について」も、私の外側にひとつの真理としてあるのではなく、私たち人類の身体に備わっている「認識の仕組み」によって作られているってことです。
認識の仕方は生物種によって異なります。同じ種同士なら認識の仕方が一緒なので、共有される世界観はありますが、「これこそが正解!」という真理の姿が外側にあるわけではないのです。世界の本当の姿は(姿があるかどうかも)分からないのです。
それをお釈迦様は「空(くう)」と呼んだのでしょう。私はそれを「音楽」と呼んで【線譜】を描いています。これが今の私のできることです。意識の謎との対峙はそのまんま私の芸術活動に直結しているってことなのです。
〈内臓系と体壁系と霊系〉
時間をかなり遡ってみましょう。私たちは最初はいってみれば「内臓」だったわけです。ほぼほぼ「管(くだ)」だったのです。
そのあと動くために肉体が進化して、それに伴って脳も発達していきました。したがって脳と手足は新参者なわけです。
解剖学者の三木成夫氏は、私たちの身体は大きく「内臓系」と「体壁系」の二つの系があると書いてます。
内臓とこころ 三木成夫
— 武 盾一郎【線譜】部屋に飾れる音楽 (@Take_J) September 5, 2020
《体壁系》
動物器官
外皮系(感覚)
神経系(伝達)→脳
筋肉系(運動)
《内臓系》
植物器官
腎管系(排出)
血管系(循環)→心臓
腸管系(吸収) pic.twitter.com/J8fmZKs7JL
内臓とこころ 三木成夫
— 武 盾一郎【線譜】部屋に飾れる音楽 (@Take_J) September 5, 2020
《体壁系》動物器官
外皮系(受容)
神経系(介在)→脳(♂)
筋肉系(排出)
《内臓系》植物器官
精巣(射精)
性管系(介在)→子宮(♀)
卵巣(受精) pic.twitter.com/OrP9F2S5CS
“こころ(心情)”と“あたま(精神)”は、この心臓と脳に由来したもので、それぞれ人体を二分する“植物的ないとなみ”と“動物的ないとなみ”を象徴するものということになる。『ヒトのからだ/三木成夫』”
”こころ(心情)”と”あたま(精神)”は、この心臓と脳に由来したもので、それぞれ人体を二分する””植物的ないとなみ”と”動物的ないとなみ”を象徴するものということになる。(ヒトのからだ/三木成夫)
— 武 盾一郎【線譜】部屋に飾れる音楽 (@Take_J) December 19, 2013
三木氏は植物器官である「内臓系」の意識を「心」、動物器官である「体壁系」の意識を「精神」としています。
「内臓系」は無意識的で非言語的、「体壁系」は意識的で言語的。前者は「肚」で、後者は「頭」。最近、「腸」と「脳」で対比させたりしますが、それは「内臓系」と「体壁系」のことですよね。
それから、「東洋的」と「西洋的」というのも、「内臓系」と「体壁系」なのかなあと思ったりもします。ただこれはパキッと二つに分離してるのではなく、複雑に混ざり合っています。
それだけではありません!
身体以外にも意識があると思ってます。そもそも宇宙は意識であるとか、すべてのモノには意識が宿っているとか、そういった類の話になっちゃうので漠然としてしまうのですが、このような神秘主義やオカルトっぽいのも捨て切れないのです。
第一、そうじゃなければ人類から「アニミズム」は生まれてませんよね。それを「太古の人類の迷信じみた間違った世界認識」と切り捨てるのは、どうにも抵抗があるんです。これを「霊系の意識」と言っておきましょう。
まとめると、意識には二つの系、「内臓系」と「体壁系」があって混ざり合っている。さらに身体以外にも「霊系」の意識がある。
「主観だから科学で扱うのは難しい」とか、「意識のハードプロブレム」という問題の他に、意識には三つの系が連動して三体問題のように複雑になってるから紐解けない、というのもあるのではないだろうか? などなどと漠然と考えております。合ってるかどうかは、まるで分かりませんが。
現在、科学的には意識は脳にあるとされています。人間の脳身体は神経の電気制御で動きますよね。体壁系は電気製品なわけです。物理学と化学で動きます。これは再現(製造)できるってことです。
もし「意識」が、「クオリア」が、ひいては「私」が、脳由来であるならば、いずれ解明されるってことです。
「だがしかし!」と、私はどこかで思ってしまうのですが、この科学の進歩のベクトルは止められないし、それに純粋にワクワクするのも確かです。
私は「本物のインテリは在野」説、というか願望を持っています。すごい人はなんだかヘンピな場所で、群れずに、変わり者として暮らしていたりするんです。というか願望ですが。
イメージとしては手塚治虫の漫画の主人公「ブラック・ジャック」でしょうか。(二次元かいっ!)
現実にもいます。南方熊楠です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%96%B9%E7%86%8A%E6%A5%A0
でも、それって昔の人じゃないか。現在はそんな人いないだろう、と思ってしまいますよね? でも、いるんです。現在私が注目している、三人の在野の研究者を紹介します。
意識の謎を言葉の意味理解に特化してプログラムで作ろう! というのがロボマインド・プロジェクトです。「チューリングテスト」に合格するプログラムを作るプロジェクト、そう捉えてもいいかも知れません。プロジェクトと書いてますが、田方篤志さんという方が一人でやられてるようです。
YOUTUBEチャンネルの動画を楽しく観ていますが、これはどうも哲学の話をしているのかなあ思えてくるのです。現代、なぜ哲学はダメになってしまったのか。それは哲学とは「意識の謎」に言及してるに他ならなかったからです。世界とは? 存在とは? とかって、まるっと意識の謎に集約されるのです。
ロボマインド・プロジェクトは「それ(哲学)って言葉の意味理解のことだから難しい言葉を増やしたり、ダラダラと思考実験とかしてないでプログラム作って実際に動かせばいいじゃん」ってやってるのです。
哲学を批判してるようにも聞こえますが、行き詰まった哲学をプログラムの実践で押し動かそうとしてるようにも感じます。
動画の見どころは、たまに入るダウンタウンの松本人志的なボケです(笑) (脳みそ貫通する話の動画はまっちゃんのコントとして成立しそうで『HITOSI MATUMOTO VISUALBUM』に入っていてもおかしくないと思えました)
第一、そうじゃなければ人類から「アニミズム」は生まれてませんよね。それを「太古の人類の迷信じみた間違った世界認識」と切り捨てるのは、どうにも抵抗があるんです。これを「霊系の意識」と言っておきましょう。
まとめると、意識には二つの系、「内臓系」と「体壁系」があって混ざり合っている。さらに身体以外にも「霊系」の意識がある。
「主観だから科学で扱うのは難しい」とか、「意識のハードプロブレム」という問題の他に、意識には三つの系が連動して三体問題のように複雑になってるから紐解けない、というのもあるのではないだろうか? などなどと漠然と考えております。合ってるかどうかは、まるで分かりませんが。
現在、科学的には意識は脳にあるとされています。人間の脳身体は神経の電気制御で動きますよね。体壁系は電気製品なわけです。物理学と化学で動きます。これは再現(製造)できるってことです。
もし「意識」が、「クオリア」が、ひいては「私」が、脳由来であるならば、いずれ解明されるってことです。
「だがしかし!」と、私はどこかで思ってしまうのですが、この科学の進歩のベクトルは止められないし、それに純粋にワクワクするのも確かです。
●在野の3人の研究者
私は「本物のインテリは在野」説、というか願望を持っています。すごい人はなんだかヘンピな場所で、群れずに、変わり者として暮らしていたりするんです。というか願望ですが。
イメージとしては手塚治虫の漫画の主人公「ブラック・ジャック」でしょうか。(二次元かいっ!)
現実にもいます。南方熊楠です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%96%B9%E7%86%8A%E6%A5%A0
でも、それって昔の人じゃないか。現在はそんな人いないだろう、と思ってしまいますよね? でも、いるんです。現在私が注目している、三人の在野の研究者を紹介します。
〈AIに意識を発生させるロボマインド・プロジェクト〉
意識の謎を言葉の意味理解に特化してプログラムで作ろう! というのがロボマインド・プロジェクトです。「チューリングテスト」に合格するプログラムを作るプロジェクト、そう捉えてもいいかも知れません。プロジェクトと書いてますが、田方篤志さんという方が一人でやられてるようです。
YOUTUBEチャンネルの動画を楽しく観ていますが、これはどうも哲学の話をしているのかなあ思えてくるのです。現代、なぜ哲学はダメになってしまったのか。それは哲学とは「意識の謎」に言及してるに他ならなかったからです。世界とは? 存在とは? とかって、まるっと意識の謎に集約されるのです。
ロボマインド・プロジェクトは「それ(哲学)って言葉の意味理解のことだから難しい言葉を増やしたり、ダラダラと思考実験とかしてないでプログラム作って実際に動かせばいいじゃん」ってやってるのです。
哲学を批判してるようにも聞こえますが、行き詰まった哲学をプログラムの実践で押し動かそうとしてるようにも感じます。
動画の見どころは、たまに入るダウンタウンの松本人志的なボケです(笑) (脳みそ貫通する話の動画はまっちゃんのコントとして成立しそうで『HITOSI MATUMOTO VISUALBUM』に入っていてもおかしくないと思えました)
もし会話するAIができたなら、ピッピやプップなどの13月世の精霊たちに実装させてあげたいです。
「オニョロジー」という、音を軸とした体系を研究されているのが小野田智之さんです。
🎬YouTube絵本📖🐛
— ガブリエルガブリエラ (@G_G_jp) August 22, 2020
みてもらえてうれしいピィー❣️💫
ピッピの《カナンカの鏡》は
光と影の女王チェーニさまからさずかった
宝ものなんだピィー❣️🌟✨
《カナンカの鏡》が守ってくれるから
ピッピは霧の国のフロイデたちにも
つかまらないんだピィー❣️🐛🌞✨
✨ https://t.co/dN97cz40HF pic.twitter.com/81SIFAPV7X
〈おにょTV ー音の図形ー 〉
「オニョロジー」という、音を軸とした体系を研究されているのが小野田智之さんです。
それは、ヴァイオリンのボディをタッピングして、同じ音程で繋がる線の形「フォノグラム 」からヴァイオリンを仕上げる技(わざ)で生まれた体系です。
板の共鳴が消えてしまう境目に「フォノグラム」の渦ができるので、その渦がなくなるようにボディを削っていくと、ヴァイオリンは綺麗な音が響くように仕上がるのだそうです。
この、美しい音色を出すヴァイオリン製作から生まれた「フォノグラム」は、人体にもそのまんま当てはまるというのが、「オニョロジー」の面白さです。
さらに興味深いことに、小野田さんは音を鳴らさなくても「フォノグラム」が見えるそうで、これはある種の超能力です。
私は「音楽を描いている」と【線譜】を描いていますが、音楽が見えてるわけではありません。音が色になる共感覚も意識できません。あくまでも「音楽」のイメージを描いています。それも「なんとなく」を頼りに描いています。根拠が自分で認識できないのです。
「フォノグラム」は音のデッサンに相当する、基礎的な認知だと思うのです。オニョロジーでは人間の認知を大きく二つに分けて、「前頭葉ゲシュタルト」と「後頭葉ゲシュタルト」と呼んでいます。
「前頭葉ゲシュタルト」とは言葉や理屈の思考、そして筋肉を使う運動を指します。この時、その人の「フォノグラム」は渦を巻くのだそうです。
「後頭葉ゲシュタルト」は、言葉や理屈の思考を外した認知と「姿勢制御筋」と呼ぶ筋肉ではない場所を使うゆっくりした動きを指し、その時「フォノグラム」の渦はなくなっていきます。
この身体フォノグラムの渦巻を取り去ることを目的とした、「もじもじ体操」の教室がオンラインで開設されています。
小野田さんのいう「前頭葉ゲシュタルト」は、三木成夫氏のいう「体壁系」とかなり共通してることが分かります。なので「後頭葉ゲシュタルト」と呼んでいる認知は「内臓系」に相当する可能性が高いでしょう。(実際動画を聞くとちょっと違うんですけどね)
三木成夫氏は著書の全編にわたって、「体壁系」より「内臓系」に重きを置いています。小野田さんも「前頭葉ゲシュタルト」より「後頭葉ゲシュタルト」を重要視しています。そこもそっくりです。
「内臓系」は植物器官です。植物は天体の動きとシンクロしています。動物も月の満ち欠けや季節に連動して動きますが、それは植物器官である「内臓系」の働きによるのです。
このように私たちの「内臓系」は宇宙と繋がっていますが、「体壁系」は天体の運行から離脱して自由に動く機能です。それを有するのが動物なのですが、人間はやたら脳が発達したことによって、ことさら「体壁系」が強く働き、天体の運行と疎遠になってしまったのでしょうね。
なので宇宙と繋がりを取り戻すには、「体壁系」の働きを鎮めるのが方法のひとつです。思考も筋肉も極力使わないようにする。それが「瞑想」なのかも知れません。
この「内臓系」重視の考え方は、そのまんま「後頭葉ゲシュタルト」重視の〈オニョロジー〉にも当てはめることができます。
また、小野田さんは「前頭葉ゲシュタルト」の動きを、「電磁波出ちゃってる」と言ったりしています。脳や筋肉の神経系は電気信号なのでその通りなのですが、重要なのは「電磁波」よりも「音」なのです。それは三木氏の著書では、まったく触れられていません。
電磁波も音も波です。私たちはほぼほぼ電磁波で世界を認識しています。オニョロジーは、同じ波でも音の波(振動)で世界を捉え直す世界体系のようにも思えます。
また、オニョロジーは仏教のように、自分で体感しないと意味がありません。そこが最大の魅力と難しさです。
「フォノグラム」を見れるようになったらいいなあとずっと思っていて、7月に「もじもじ体操」の講習を受けてみました。また機会をみてレッスンを受けたいと思ってます。
ところで小野田さんは「KENT」という音の数学理論を発表しています。
http://tomoyukionoda.com/2018/07/02/post-5012/
これは冒頭のケバヤシさんのデジクリを引用した「圏論を基礎においた意識の仮説」と関係がありそうな気もするのですが、どうなんでしょうかね。。
言葉の意味理解にフォーカスした〈ロボマインドプロジェクト〉は、「体壁系意識」で、「内臓系意識」と共通項の多いのが〈オニョロジー〉。最後のトリはやはり「霊系意識」となります。
「胎内記憶」とか「気」とか、怪しい感じがうんとしてしまう現象がありますが、それらは〈PF(パラサイト・フェルミオン)理論〉で説明可能というのが、理論物理学者の種市孝さんです。
「死後存続を科学的に立証できれば安心する人が増えるはず」という種市さん。亡くされたお母さまにお礼を言いたかった気持ちから生まれた理論のようです。
見えない世界を科学する「PF理論ドットコム」へようこそ
板の共鳴が消えてしまう境目に「フォノグラム」の渦ができるので、その渦がなくなるようにボディを削っていくと、ヴァイオリンは綺麗な音が響くように仕上がるのだそうです。
この、美しい音色を出すヴァイオリン製作から生まれた「フォノグラム」は、人体にもそのまんま当てはまるというのが、「オニョロジー」の面白さです。
さらに興味深いことに、小野田さんは音を鳴らさなくても「フォノグラム」が見えるそうで、これはある種の超能力です。
私は「音楽を描いている」と【線譜】を描いていますが、音楽が見えてるわけではありません。音が色になる共感覚も意識できません。あくまでも「音楽」のイメージを描いています。それも「なんとなく」を頼りに描いています。根拠が自分で認識できないのです。
「フォノグラム」は音のデッサンに相当する、基礎的な認知だと思うのです。オニョロジーでは人間の認知を大きく二つに分けて、「前頭葉ゲシュタルト」と「後頭葉ゲシュタルト」と呼んでいます。
「前頭葉ゲシュタルト」とは言葉や理屈の思考、そして筋肉を使う運動を指します。この時、その人の「フォノグラム」は渦を巻くのだそうです。
「後頭葉ゲシュタルト」は、言葉や理屈の思考を外した認知と「姿勢制御筋」と呼ぶ筋肉ではない場所を使うゆっくりした動きを指し、その時「フォノグラム」の渦はなくなっていきます。
この身体フォノグラムの渦巻を取り去ることを目的とした、「もじもじ体操」の教室がオンラインで開設されています。
小野田さんのいう「前頭葉ゲシュタルト」は、三木成夫氏のいう「体壁系」とかなり共通してることが分かります。なので「後頭葉ゲシュタルト」と呼んでいる認知は「内臓系」に相当する可能性が高いでしょう。(実際動画を聞くとちょっと違うんですけどね)
三木成夫氏は著書の全編にわたって、「体壁系」より「内臓系」に重きを置いています。小野田さんも「前頭葉ゲシュタルト」より「後頭葉ゲシュタルト」を重要視しています。そこもそっくりです。
「内臓系」は植物器官です。植物は天体の動きとシンクロしています。動物も月の満ち欠けや季節に連動して動きますが、それは植物器官である「内臓系」の働きによるのです。
このように私たちの「内臓系」は宇宙と繋がっていますが、「体壁系」は天体の運行から離脱して自由に動く機能です。それを有するのが動物なのですが、人間はやたら脳が発達したことによって、ことさら「体壁系」が強く働き、天体の運行と疎遠になってしまったのでしょうね。
なので宇宙と繋がりを取り戻すには、「体壁系」の働きを鎮めるのが方法のひとつです。思考も筋肉も極力使わないようにする。それが「瞑想」なのかも知れません。
この「内臓系」重視の考え方は、そのまんま「後頭葉ゲシュタルト」重視の〈オニョロジー〉にも当てはめることができます。
また、小野田さんは「前頭葉ゲシュタルト」の動きを、「電磁波出ちゃってる」と言ったりしています。脳や筋肉の神経系は電気信号なのでその通りなのですが、重要なのは「電磁波」よりも「音」なのです。それは三木氏の著書では、まったく触れられていません。
電磁波も音も波です。私たちはほぼほぼ電磁波で世界を認識しています。オニョロジーは、同じ波でも音の波(振動)で世界を捉え直す世界体系のようにも思えます。
また、オニョロジーは仏教のように、自分で体感しないと意味がありません。そこが最大の魅力と難しさです。
「フォノグラム」を見れるようになったらいいなあとずっと思っていて、7月に「もじもじ体操」の講習を受けてみました。また機会をみてレッスンを受けたいと思ってます。
ところで小野田さんは「KENT」という音の数学理論を発表しています。
http://tomoyukionoda.com/2018/07/02/post-5012/
これは冒頭のケバヤシさんのデジクリを引用した「圏論を基礎においた意識の仮説」と関係がありそうな気もするのですが、どうなんでしょうかね。。
〈見えない世界の科学研究会〉
「胎内記憶」とか「気」とか、怪しい感じがうんとしてしまう現象がありますが、それらは〈PF(パラサイト・フェルミオン)理論〉で説明可能というのが、理論物理学者の種市孝さんです。
「死後存続を科学的に立証できれば安心する人が増えるはず」という種市さん。亡くされたお母さまにお礼を言いたかった気持ちから生まれた理論のようです。
見えない世界を科学する「PF理論ドットコム」へようこそ
まず、宇宙を五次元と考えてみましょう。そうすると私たちは「四次元時空のブレーン(膜)」に貼り付いてることになります。
星も空気もみんな、時空四次元のブレーンに貼り付いて逃れられません。そしてこのブレーンの外側に五次元があるのです。五次元は見えません。なぜなら、光も四次元時空の膜に貼り付いているからです。
このモデルはリサ・ランドールの宇宙論でも登場するので、取り立てて変わったところはありません。
理論物理学者 リサ・ランドール博士 来日インタビュー.flv
星も空気もみんな、時空四次元のブレーンに貼り付いて逃れられません。そしてこのブレーンの外側に五次元があるのです。五次元は見えません。なぜなら、光も四次元時空の膜に貼り付いているからです。
このモデルはリサ・ランドールの宇宙論でも登場するので、取り立てて変わったところはありません。
理論物理学者 リサ・ランドール博士 来日インタビュー.flv
この時空四次元のブレーンの外側、五次元方向にポテンシャルの凹みが存在してることが「場の理論」から導き出されます。川が高いところから低いところに流れるように、ポテンシャルの低いところに、五次元の物質は集まります。
そうすると、時空四次元のブレーンにあるフェルミオンにパラサイトする五次元方向のポテンシャルの凹みに集まったフェルミオンが存在できる、と。これが意識の正体ではなかろうか、と。
詳しくはこちらの動画を見てください。
浅草倫理法人会 経営者モーニングセミナー『最新物理学説で読み解く「生まれ変わり」の実在性』~種市孝さん~
そうすると、時空四次元のブレーンにあるフェルミオンにパラサイトする五次元方向のポテンシャルの凹みに集まったフェルミオンが存在できる、と。これが意識の正体ではなかろうか、と。
詳しくはこちらの動画を見てください。
浅草倫理法人会 経営者モーニングセミナー『最新物理学説で読み解く「生まれ変わり」の実在性』~種市孝さん~
そこで思い出すのはベルグソンの「純粋記憶」について、小林秀雄が言ったことを紹介してる茂木健一郎さんの動画です。
ベルグソンの純粋記憶について
外套とハンガーに喩えて、外套が記憶だとすると脳はハンガーである、と。ハンガーがなくなっても外套は残るだろう、と。つまり、脳がなくなっても記憶は残るだろう、と言っています。
これはPF理論で説明がつきます。
五次元(余剰次元)に何かある。これはすごくありえそうです。
映画『インターステラー』では、ブラックホールに入ると過去に戻ります。理論物理学では、重力は時空四次元のブレーンから飛び出すことをベースにしたストーリーです。
地球の中心は行けないし見れない。だけどどうなってるか説明できていて、私たちは教科書でマントルとか習うわけです。そのようにして、五次元方向にある物質が検証できたらいいなあと思うのです。
ケバヤシさんが猛進なさっている、アカデミズムでの意識の謎の探求、注目して行きたいと思っています。そして私も惹かれている意識の謎の探求、ゆっくりじっくり進めていきたいと思っています。
【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/断酒243日目】
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「日刊デジタルクリエイターズ」より
ベルグソンの純粋記憶について
外套とハンガーに喩えて、外套が記憶だとすると脳はハンガーである、と。ハンガーがなくなっても外套は残るだろう、と。つまり、脳がなくなっても記憶は残るだろう、と言っています。
これはPF理論で説明がつきます。
五次元(余剰次元)に何かある。これはすごくありえそうです。
映画『インターステラー』では、ブラックホールに入ると過去に戻ります。理論物理学では、重力は時空四次元のブレーンから飛び出すことをベースにしたストーリーです。
地球の中心は行けないし見れない。だけどどうなってるか説明できていて、私たちは教科書でマントルとか習うわけです。そのようにして、五次元方向にある物質が検証できたらいいなあと思うのです。
ケバヤシさんが猛進なさっている、アカデミズムでの意識の謎の探求、注目して行きたいと思っています。そして私も惹かれている意識の謎の探求、ゆっくりじっくり進めていきたいと思っています。
【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/断酒243日目】
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「日刊デジタルクリエイターズ」より
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