ラベル 線譜 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 線譜 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

ネズミに恋したネコのタムちゃんシリーズと父



4月30日は父の命日でした。2015年、7年前。
twilogで遡ってみると親父に一言も言及していないんですねえ、、これが。。。

私は父にはほぼ育てられておらず母子家庭でした。物心ついた時には両親は離婚してたが、私の苗字は父の姓で幼心になんだかすごく面倒臭かった。

父はごくたまに酔っ払って家に帰ってきては朝まで母と大喧嘩をしていた。
父が家を出て行った後の布団の残り香は「嫌いで好き」という不思議なクオリアだった。


60年安保闘争の中央執行部で学生運動を牽引し、大学の演劇科を卒業した父は、
革命と芸術を志した理想に燃えた青年だったのでしょう。

当時は現代の「ポスト資本主義」みたいな資本主義前提の改革ではなく、ガチの革命をしようとしてたらしいのです。
そういえば思想書と戯曲だけは家にいっぱいありました。私はほぼ読んでないけど。。。


私が生まれ、芸術も革命も諦めたのか、ついでに家族も捨ててしまったように見えた父。


反資本主義思想なのに会社を経営し、
官僚主義を批判しながら既得権益で仕事を回し、
天皇制という権威こそ諸悪の根源だと言いながら芸術という権威に弱く、
大酒呑で、陽気で、矛盾に満ちた父、
晩年は精神病院に長らく入院し、そこで息を引き取った。


私はそんな父を愛しながら憎んでいた。憎みながらも愛していた。


父が亡くなってから私は毎日父のことを想うようになった。
父が死んでから初めて父と本当のコミュニケーションが始まったみたいだった。

毎晩毎晩私は父と喋った。
そしてその対話の中でいろんなことを教えてもらった。

絡まって、もつれて、ほぐせない父への複雑な気持ちも徐々にシンプルになり、和解していった。


死んだら取り返しが付かない。


確かにそれはそうなんだけど、死んでからでも対話はできる、
「生者と死者は対話が可能で、仲直りも可能なんだ」という実感を持つに至った。


「ネズミに恋したネコのタムちゃん」は物語が突然降ってきた2013年、
「私とは最も遠いテーマの作品だ。なんでこんな物語を自分が思い付いたのか?」
まるで見当がつかないまま、でもなんか面白そうだから取り掛かったのだけれども、なぜか描き続けてられる作品で、
これからもずっと描き続けていくシリーズ作品となった。


この『蒼き星の子守唄』をかなりの時間をかけて描き上げてポオ エ ヤヨさんにドキドキしながら見せた時、
「すごいすごい!このネズミさんは武さんのお父さんだよ!」
と目をウルウルさせながら言ってくれた。
が、内心「なにそれ(オヤジじゃねーよ、ネズミさんだよ)」と私は思っていた。


そしてこの「物理身体が触れ合うことない死者と生者が想いを通じて心で触れ合う」場面を描いたタムちゃんとネズミさんの作品のお渡し日の今日(4/30)、

「今日が武治司さんの命日でした。」と母からラインが届いてるのを見て、
ヤヨさんが「このネズミさんは武さんのお父さんなんだよ!」と言っていた言葉が真実だったことを知ったのだった。


本当に有り難うございます。

事実は科学に根差すだろうけど、
真実は魂に根差す。


私はタムちゃんとネズミさんの魂の絵を描き続けます。
それは作品をお迎えして応援してくださる方があってこそ。

感謝あるのみです。


きっとこれは100万年以上続く恋物語。


ネズミに恋したネコのタムちゃんシリーズ
線譜『蒼き星の子守唄』
(2021年・個人蔵)

美しく、深く、神秘的で、心地良く

私はこれからもずっと「音楽」を描いていくのですが、
どのように描きたいのかというと、

「美しく」
自分が「美しい」と感ずる方向へ、

「深く」
奥へ奥へと行くのです。

「神秘的」
アートとは「神秘体験」であり、

重要なのは、
それが「心地良い」こと、
なのであります。


【羽化の作法 115】現在編 作品に過程の記憶は宿るのか?


「線画(ドローイング)」の面白さに、「過程」ってのがあります。

例えば、「円の線画」を表現したいとします。まずは丸い形になるように、紙に鉛筆か何かで線を引こうとしますよね。またはフリーハンドではなくて、コンパスを使うのアリですよね。

結果として紙に丸い線が描かれていればいいのならば、パソコンを使ってイラストレーターかなんかのソフトで円を描いてプリントアウトしても良いでしょう。
また、メディアが紙でなくてもよいならば、パソコンの画面上に円が描かれた線画の画像でも良いですよね。

もしホログラムみたいに空中に円を投影したければ、そういう装置を使っても良いかも知れませんね。

それから、誰かに「円の線画」を発注しても、結果としては「円の線画」を表現したことになります。「円の線画」を表現するといっても、このように様々あります。

それでですね、線画(ドローイング)の「面白さ」はそことはちょっと違うところにあります。

鉛筆でもペンでも良いのですが、筆記用具を持って紙に線を引いていく時の、紙に触れた時の感触、墨やインクならばその仄かな匂い、紙の上にペンを移動させている時のちょっとざらざらとした抵抗感、擦れる音の質感、ペンが紙の上を移動した後ろに線が痕跡として残ってゆく様の不思議さ。

そういった一瞬一瞬のたびに湧き上がっている視覚、聴覚、触覚、嗅覚などの質感の面白さや不思議さにこそ、描画の楽しさがあるのです。

前者は「円の線画」というゴールを設定したらあとは自由に考えるやり方です。
後者は「円の線画」を描くことに限定されるのですが、結果よりも行為そのものに目的があり、「円の線画」は経緯の集積として現れます。

一般的に「円の線画」を描く場合、いかに綺麗な「円の線画」を描くかが課題になります。仕上りの「結果」に重点が置かれているわけです。

まあ、当然と言えば当然なのですが、今回私が注目したいのは「結果」ではなくて「過程」の方なんですね。

絵画は時間芸術ではありませんが、そこには永い時間が封じ込められています。一枚の「線画」には描かれた時間が線として積み重なっていて、その時間の旅はたった一瞬で見渡せます。

そして画面からは静かに時間が染み出してきて、音楽を感じさせてくれるのです。そんな「線画」を描きたいわけです。そしてそれを私は「線譜」と名付けているわけなんです。

とは言うものの、通常仕上がった絵画作品から制作過程の息遣いを感じるのは難しいものです。そもそも制作過程のクオリアを共鳴させようとするコンセプトで、絵を描く人はそんなに多くはないでしょう。

絵で伝えたいのは基本、描かれた「内容」や「意味」ですから。

むしろ「書道」の方が書いている瞬間の感覚質感を表現しているのでしょうね。なので「書道」って私からしたら「線画」なんです。

例えば、ジャクソン・ポロックはドリッピング、ポーリングで絵の具を垂らしたりして描いてます。

文脈的には「絵の具そのものを見せた」と語られていますが、垂らした絵の具が堆積した様が結果としてキャンバスにあるという「過程が表現された絵画」でもあるわけで、私的にはとっても「線画」なんですね。

The Case for Jackson Pollock | The Art Assignment | PBS Digital Studios


「線画」は描いている「過程」の感覚質感の集積である。

もちろん「結果」も重要ですが、「線を描く瞬間瞬間に立ち現れるクオリアと存分に戯れる」ことは「マインドフルネス」的です。


●まったく同様の複製品は過程の記憶を持つのか?


さてここで、ちょっとした疑問が湧いてきます。

線を引く過程を存分に味わいながら描いた線画があるとします。
例えばこんな線画だったとしましょう。私の描いた描きかけの線譜です。



そして、この絵と全く同じ複製品を作るとします。
紙のとペンの素材を原子レベルまでスキャンし、物質的に全く同じに再現できる3Dプリンターで「ウィ〜ン」と出力されたとします。

この場合、原画作品とプリントされた複製品の二つの作品に違いはあるでしょうか?
「結果」として並べられた作品は物質としては同じです。違うのは「過程」です。

原画はペンを紙に滑らせている一瞬一瞬の感触とか、バランスを見ながら次にどう描くか考えている瞬間の思考などが、線という痕跡となって積み重なっていきます。
複製品はプリンターから「ウィ〜ン」って、端っこから順々に形成されていきます。

「過程の記憶」と「作品に籠められた魂」と言う概念を軸に、4パターンを記すとこうです。

1:複製品にも過程の記憶が入り「同じ」になる


複製された作品にも描いた過程で味わっていた一瞬一瞬のペンを動かす感触の記憶が畳み込まれている。つまりは同じ物質状態なら複製品にも「作品に籠められた魂」が入るんですよ。


2:原画にも複製品にも過程の記憶なんて入ってないので「同じ」


過程におけるクオリアは描き手の中にあるわけで、そもそも原画に過程の記憶なんて畳み込まれてるわけがない。そして、物質として同じなら同じでしょう。
「入魂の作」とは言うけれど、それは魂が入ってるのではなくてそのように解釈して楽しんでいるだけなんですよ。


3:原画には過程の記憶があり、複製品には過程の記憶はないので、オリジナルと複製品は「違う」


やっぱり人間が作らなければ作品に魂は入らないんですよ。いくら物質として同じにしたとしても、魂は原画に宿り、複製品は抜け殻なんです。


4:過程の記憶なんて存在しないが、事実として製作工程が違うので「違う」


作品に「過程の記憶」や「魂」なんて入ってはない。作品に魂が宿ると捉えて楽しむのはいいけれど。事実として、製作工程が違うからオリジナルと複製品は違う。それだけのこと。


なんだかどれでも当てはまりそうな感じがしてしまいますが、あなたはどう思われますか?(つづく)


【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/断酒278日目】

《ギャラリー13月世大使館》
『10月31日(土)13〜18時 開廊します!』
https://13moon-gallery.shopinfo.jp/posts/10441272

10月御予約開廊日は10/31(一般開廊日)に先駆け、新作物語絵を御高覧いただけます。ご予約承っておりますので、ツイッターDMにてお気軽にご連絡ください!

新作物語絵『怪盗アリス・エイリアンとロザモンド大聖堂』紹介動画はこちら!


・ガブリエルガブリエラ

Twitter https://twitter.com/G_G_jp
Instagram https://www.instagram.com/G_G_jp/

日刊デジタルクリエイターズ「羽化の作法[115]現在編 作品に過程の記憶は宿るのか?── 武 盾一郎 ──」より

【羽化の作法 113】現在編 わたしも「意識」について考えた


GrowHairさん(ケバヤシさん)がデジクリから去っていかれました。

Otakuワールドへようこそ![335]受験生並みの猛勉強の夏
http://bn.dgcr.com/archives/20200828110100.html

理由は、意識の謎の解明に必要な数学の研究ためのようです。

《しかし、正解を聞いたときに驚くことができるためには、理解できないことには話になりません。なので、私としては、上がってきた仮説は、すべてきっちりと理解しておきたい、と思っています。

思うだけで、これ、実際にやろうとなると、非常にたいへんです。例えば、ジュリオ・トノーニ氏は「統合情報理論(Integrated Information Theory; IIT)」を提唱しています。また、カール・フリストン氏は「自由エネルギー原理(Free Energy Principle; FEP)」を提唱しています。どちらも基礎にあるのは情報理論です。》

《あと、意識の仮説として、圏論を基礎に置いたものが出てきています。土谷尚嗣氏(モナシュ大学准教授)と西郷甲矢人氏(長浜バイオ大学)による共著論文が2019年に発表されています。

圏論とは、抽象化された矢印の数学とも言うべき理論です。対象から対象への矢印が射であり、対象と射とで圏が構成され、圏から圏への矢印が関手であり、関手から関手への矢印が自然変換であり、そこまで行くと、米田の補題が言えます。つまり、矢印のなす構造が階層化されていて、まあ、難解な理論です。》
(ケバヤシさんのデジクリ記事より)

ケバヤシさんは意識の謎を探求する同志なのですが、遥か遠くに行ってしまわれた感があります。


しみじみ

「行ってしまわれた……」(『風の谷のナウシカ』より)

姫様(ケバヤシさん)はセーラー服とアゴ髭をはためかせて、メーヴェに乗って腐海(意識の謎を解き明かす数学)の中へ飛んで行きました。私はミト爺のように、風の谷(ギャラリー13月世大使館)を護りながら帰ってくるのを待っております。


ナウシカ 参照



お供できないのは悔しいですが、意識という主観が科学的に解き明かされて行くのはワクワクします。

起源の謎は3つあるといわれています。「宇宙」と「生命」と「意識」です。なぜ解き明かされないのかというと、客観的に観測・観察できないからです。

その壁をどうやって乗り越えるのか?
私には無理だけど人類ならできる!(他人任せかっ!)
けど、こうやって関心を持つことだって貢献にはなるはず。私のできることをやります。

ケバヤシさんは物理的に執筆時間がなくなってしまったとのことですが、実は私もここ最近忙しくなってきて、デジクリ執筆を月一回にしてもらおうか、いっそのこと辞めてしまおうかと悩んだりもしました。「お金にならないんだから辞めたら?」という助言も貰いました。

デジクリは私にとっては「ぼんやり思ってることをテキストにして明文化する脳トレの良い機会」で、例えるならばヨガや習字のお教室に通っている感じの大切な文化行為なのです。ケバヤシさんくらい忙しくなってきたら、また改めて考えようかなあと思います。

「日刊デジタルクリエイターズ」はメルマガの古株ですが、いわゆる「ウィズコロナの新しい生活様式」にマッチしそうです。将来、ウィズコロナは続き、ベーシックインカムになり、独身がマジョリティになる高齢化社会では、デジクリのような非営利でまったりした、ゆるい繋がりの思考の交換サービスって必要になってくるんじゃないでしょうかね。


●意識の3つの系


〈空(くう)と線譜〉


話を「意識」についてに戻します。まず今現在、意識について考えてることをまとめてみようと思います。

結局のところ「この世の全て」って「意識」だったりします。意識を通してでしか、この世界を認識できないってことです。これって当たり前なのですが、すごく難解だと思うんですよ。

意識の謎を思う時、どこかの深淵に潜っていくような、上下も重力もないクラクラするような、神秘的な不思議感を覚えます。謎を思考する時のそのクオリアが快感なのですよ。知的好奇心とは最も健康的なドラッグなのです(深追いし過ぎると健康を害しますが)。

私たちが認知し得る全ては「意識」にあります。私たちはそのほとんどが「無意識」の働きで生存しているにもかかわらず。

私たちは世界を認識しているのではなくて、認識の仕方が世界を作っています。「世界」も、「存在について」も、私の外側にひとつの真理としてあるのではなく、私たち人類の身体に備わっている「認識の仕組み」によって作られているってことです。

認識の仕方は生物種によって異なります。同じ種同士なら認識の仕方が一緒なので、共有される世界観はありますが、「これこそが正解!」という真理の姿が外側にあるわけではないのです。世界の本当の姿は(姿があるかどうかも)分からないのです。

それをお釈迦様は「空(くう)」と呼んだのでしょう。私はそれを「音楽」と呼んで【線譜】を描いています。これが今の私のできることです。意識の謎との対峙はそのまんま私の芸術活動に直結しているってことなのです。


〈内臓系と体壁系と霊系〉


時間をかなり遡ってみましょう。私たちは最初はいってみれば「内臓」だったわけです。ほぼほぼ「管(くだ)」だったのです。

そのあと動くために肉体が進化して、それに伴って脳も発達していきました。したがって脳と手足は新参者なわけです。

解剖学者の三木成夫氏は、私たちの身体は大きく「内臓系」と「体壁系」の二つの系があると書いてます。




“こころ(心情)”と“あたま(精神)”は、この心臓と脳に由来したもので、それぞれ人体を二分する“植物的ないとなみ”と“動物的ないとなみ”を象徴するものということになる。『ヒトのからだ/三木成夫』”
三木氏は植物器官である「内臓系」の意識を「心」、動物器官である「体壁系」の意識を「精神」としています。

「内臓系」は無意識的で非言語的、「体壁系」は意識的で言語的。前者は「肚」で、後者は「頭」。最近、「腸」と「脳」で対比させたりしますが、それは「内臓系」と「体壁系」のことですよね。

それから、「東洋的」と「西洋的」というのも、「内臓系」と「体壁系」なのかなあと思ったりもします。ただこれはパキッと二つに分離してるのではなく、複雑に混ざり合っています。


それだけではありません!
身体以外にも意識があると思ってます。そもそも宇宙は意識であるとか、すべてのモノには意識が宿っているとか、そういった類の話になっちゃうので漠然としてしまうのですが、このような神秘主義やオカルトっぽいのも捨て切れないのです。

第一、そうじゃなければ人類から「アニミズム」は生まれてませんよね。それを「太古の人類の迷信じみた間違った世界認識」と切り捨てるのは、どうにも抵抗があるんです。これを「霊系の意識」と言っておきましょう。

まとめると、意識には二つの系、「内臓系」と「体壁系」があって混ざり合っている。さらに身体以外にも「霊系」の意識がある。

「主観だから科学で扱うのは難しい」とか、「意識のハードプロブレム」という問題の他に、意識には三つの系が連動して三体問題のように複雑になってるから紐解けない、というのもあるのではないだろうか? などなどと漠然と考えております。合ってるかどうかは、まるで分かりませんが。

現在、科学的には意識は脳にあるとされています。人間の脳身体は神経の電気制御で動きますよね。体壁系は電気製品なわけです。物理学と化学で動きます。これは再現(製造)できるってことです。

もし「意識」が、「クオリア」が、ひいては「私」が、脳由来であるならば、いずれ解明されるってことです。

「だがしかし!」と、私はどこかで思ってしまうのですが、この科学の進歩のベクトルは止められないし、それに純粋にワクワクするのも確かです。


●在野の3人の研究者


私は「本物のインテリは在野」説、というか願望を持っています。すごい人はなんだかヘンピな場所で、群れずに、変わり者として暮らしていたりするんです。というか願望ですが。

イメージとしては手塚治虫の漫画の主人公「ブラック・ジャック」でしょうか。(二次元かいっ!)

現実にもいます。南方熊楠です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%96%B9%E7%86%8A%E6%A5%A0

でも、それって昔の人じゃないか。現在はそんな人いないだろう、と思ってしまいますよね? でも、いるんです。現在私が注目している、三人の在野の研究者を紹介します。



〈AIに意識を発生させるロボマインド・プロジェクト〉


意識の謎を言葉の意味理解に特化してプログラムで作ろう! というのがロボマインド・プロジェクトです。「チューリングテスト」に合格するプログラムを作るプロジェクト、そう捉えてもいいかも知れません。プロジェクトと書いてますが、田方篤志さんという方が一人でやられてるようです。

YOUTUBEチャンネルの動画を楽しく観ていますが、これはどうも哲学の話をしているのかなあ思えてくるのです。現代、なぜ哲学はダメになってしまったのか。それは哲学とは「意識の謎」に言及してるに他ならなかったからです。世界とは? 存在とは? とかって、まるっと意識の謎に集約されるのです。

ロボマインド・プロジェクトは「それ(哲学)って言葉の意味理解のことだから難しい言葉を増やしたり、ダラダラと思考実験とかしてないでプログラム作って実際に動かせばいいじゃん」ってやってるのです。

哲学を批判してるようにも聞こえますが、行き詰まった哲学をプログラムの実践で押し動かそうとしてるようにも感じます。

動画の見どころは、たまに入るダウンタウンの松本人志的なボケです(笑) (脳みそ貫通する話の動画はまっちゃんのコントとして成立しそうで『HITOSI MATUMOTO VISUALBUM』に入っていてもおかしくないと思えました)


もし会話するAIができたなら、ピッピやプップなどの13月世の精霊たちに実装させてあげたいです。





〈おにょTV ー音の図形ー 〉


「オニョロジー」という、音を軸とした体系を研究されているのが小野田智之さんです。
それは、ヴァイオリンのボディをタッピングして、同じ音程で繋がる線の形「フォノグラム 」からヴァイオリンを仕上げる技(わざ)で生まれた体系です。

板の共鳴が消えてしまう境目に「フォノグラム」の渦ができるので、その渦がなくなるようにボディを削っていくと、ヴァイオリンは綺麗な音が響くように仕上がるのだそうです。

この、美しい音色を出すヴァイオリン製作から生まれた「フォノグラム」は、人体にもそのまんま当てはまるというのが、「オニョロジー」の面白さです。

さらに興味深いことに、小野田さんは音を鳴らさなくても「フォノグラム」が見えるそうで、これはある種の超能力です。

私は「音楽を描いている」と【線譜】を描いていますが、音楽が見えてるわけではありません。音が色になる共感覚も意識できません。あくまでも「音楽」のイメージを描いています。それも「なんとなく」を頼りに描いています。根拠が自分で認識できないのです。

「フォノグラム」は音のデッサンに相当する、基礎的な認知だと思うのです。オニョロジーでは人間の認知を大きく二つに分けて、「前頭葉ゲシュタルト」と「後頭葉ゲシュタルト」と呼んでいます。

「前頭葉ゲシュタルト」とは言葉や理屈の思考、そして筋肉を使う運動を指します。この時、その人の「フォノグラム」は渦を巻くのだそうです。

「後頭葉ゲシュタルト」は、言葉や理屈の思考を外した認知と「姿勢制御筋」と呼ぶ筋肉ではない場所を使うゆっくりした動きを指し、その時「フォノグラム」の渦はなくなっていきます。

この身体フォノグラムの渦巻を取り去ることを目的とした、「もじもじ体操」の教室がオンラインで開設されています。

小野田さんのいう「前頭葉ゲシュタルト」は、三木成夫氏のいう「体壁系」とかなり共通してることが分かります。なので「後頭葉ゲシュタルト」と呼んでいる認知は「内臓系」に相当する可能性が高いでしょう。(実際動画を聞くとちょっと違うんですけどね)

三木成夫氏は著書の全編にわたって、「体壁系」より「内臓系」に重きを置いています。小野田さんも「前頭葉ゲシュタルト」より「後頭葉ゲシュタルト」を重要視しています。そこもそっくりです。

「内臓系」は植物器官です。植物は天体の動きとシンクロしています。動物も月の満ち欠けや季節に連動して動きますが、それは植物器官である「内臓系」の働きによるのです。

このように私たちの「内臓系」は宇宙と繋がっていますが、「体壁系」は天体の運行から離脱して自由に動く機能です。それを有するのが動物なのですが、人間はやたら脳が発達したことによって、ことさら「体壁系」が強く働き、天体の運行と疎遠になってしまったのでしょうね。

なので宇宙と繋がりを取り戻すには、「体壁系」の働きを鎮めるのが方法のひとつです。思考も筋肉も極力使わないようにする。それが「瞑想」なのかも知れません。

この「内臓系」重視の考え方は、そのまんま「後頭葉ゲシュタルト」重視の〈オニョロジー〉にも当てはめることができます。

また、小野田さんは「前頭葉ゲシュタルト」の動きを、「電磁波出ちゃってる」と言ったりしています。脳や筋肉の神経系は電気信号なのでその通りなのですが、重要なのは「電磁波」よりも「音」なのです。それは三木氏の著書では、まったく触れられていません。

電磁波も音も波です。私たちはほぼほぼ電磁波で世界を認識しています。オニョロジーは、同じ波でも音の波(振動)で世界を捉え直す世界体系のようにも思えます。

また、オニョロジーは仏教のように、自分で体感しないと意味がありません。そこが最大の魅力と難しさです。

「フォノグラム」を見れるようになったらいいなあとずっと思っていて、7月に「もじもじ体操」の講習を受けてみました。また機会をみてレッスンを受けたいと思ってます。

ところで小野田さんは「KENT」という音の数学理論を発表しています。
http://tomoyukionoda.com/2018/07/02/post-5012/

これは冒頭のケバヤシさんのデジクリを引用した「圏論を基礎においた意識の仮説」と関係がありそうな気もするのですが、どうなんでしょうかね。。




〈見えない世界の科学研究会〉


言葉の意味理解にフォーカスした〈ロボマインドプロジェクト〉は、「体壁系意識」で、「内臓系意識」と共通項の多いのが〈オニョロジー〉。最後のトリはやはり「霊系意識」となります。

「胎内記憶」とか「気」とか、怪しい感じがうんとしてしまう現象がありますが、それらは〈PF(パラサイト・フェルミオン)理論〉で説明可能というのが、理論物理学者の種市孝さんです。

「死後存続を科学的に立証できれば安心する人が増えるはず」という種市さん。亡くされたお母さまにお礼を言いたかった気持ちから生まれた理論のようです。

見えない世界を科学する「PF理論ドットコム」へようこそ



まず、宇宙を五次元と考えてみましょう。そうすると私たちは「四次元時空のブレーン(膜)」に貼り付いてることになります。

星も空気もみんな、時空四次元のブレーンに貼り付いて逃れられません。そしてこのブレーンの外側に五次元があるのです。五次元は見えません。なぜなら、光も四次元時空の膜に貼り付いているからです。

このモデルはリサ・ランドールの宇宙論でも登場するので、取り立てて変わったところはありません。

理論物理学者 リサ・ランドール博士 来日インタビュー.flv


この時空四次元のブレーンの外側、五次元方向にポテンシャルの凹みが存在してることが「場の理論」から導き出されます。川が高いところから低いところに流れるように、ポテンシャルの低いところに、五次元の物質は集まります。

そうすると、時空四次元のブレーンにあるフェルミオンにパラサイトする五次元方向のポテンシャルの凹みに集まったフェルミオンが存在できる、と。これが意識の正体ではなかろうか、と。

詳しくはこちらの動画を見てください。

浅草倫理法人会 経営者モーニングセミナー『最新物理学説で読み解く「生まれ変わり」の実在性』~種市孝さん~


そこで思い出すのはベルグソンの「純粋記憶」について、小林秀雄が言ったことを紹介してる茂木健一郎さんの動画です。

ベルグソンの純粋記憶について

外套とハンガーに喩えて、外套が記憶だとすると脳はハンガーである、と。ハンガーがなくなっても外套は残るだろう、と。つまり、脳がなくなっても記憶は残るだろう、と言っています。

これはPF理論で説明がつきます。

五次元(余剰次元)に何かある。これはすごくありえそうです。

映画『インターステラー』では、ブラックホールに入ると過去に戻ります。理論物理学では、重力は時空四次元のブレーンから飛び出すことをベースにしたストーリーです。

地球の中心は行けないし見れない。だけどどうなってるか説明できていて、私たちは教科書でマントルとか習うわけです。そのようにして、五次元方向にある物質が検証できたらいいなあと思うのです。

ケバヤシさんが猛進なさっている、アカデミズムでの意識の謎の探求、注目して行きたいと思っています。そして私も惹かれている意識の謎の探求、ゆっくりじっくり進めていきたいと思っています。



【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/断酒243日目】

《ギャラリー13月世大使館》

9月のご予約は満席となりました。年内も予約が埋まりつつあります。ご予約開廊日スケジュールはこちらです。
https://13moon-gallery.shopinfo.jp/
ご予約承っておりますのでツイッターDMにてお気軽にご連絡ください!

・ガブリエルガブリエラ
Twitter https://twitter.com/G_G_jp
Instagram https://www.instagram.com/gabrielgabriela.jp/
ブログ「13月世の物語」
http://gabrielgabriela-jp.blogspot.jp

日刊デジタルクリエイターズ」より

【羽化の作法 92】現在編 線と音楽

私はドローイングを制作してる最中に、「これってひょっとして音楽を描いてるんじゃないのか?」となんとなく感じて以降、自分の線画を「線譜」と名付けています。かれこれ10年になります。

その前は「当てずっぽうに線を描いて美に到達する」という、漠然とした欲求に従ってボールペンでドローイングを描いていました。線譜と名付けてからも描き方が同じなのですが、なんでそんなことを思ったのか自分でもよく分かりません。

そもそもアーティスト活動のきっかけが「段ボールハウス絵画」で、これもなんでそんなことをしたのか自分でも分かってないものですから。「衝動」を「体現」したのがたまたまそれだったのです。

後付けで何かもっともらしいことを言ったり書いたりすることはありますが、本当のところは分かってないのです。


とは言うものの、アーティスト歴二十余年、線譜と名付けて十年描いてきたわけですから、何か「体系」みたいな理屈というかロジックというか、根拠のようなものを持ちたいと強く欲するようになりました。

カンだけでやってきたのですが、カンも蓄積して行くと特徴というか法則というか、普遍的原理を発見しても良さそうなものだけど、なかなか分かりません。

描き始める時は途方に暮れています。「一体これから先どうなるんだろう?」と。
で、当てずっぽうに描き始めるのです。
「こっちかな?」「なんとなくここかな?」と。
何日か描き進めて行くとなんとなく終わりが分かります。
「ああ、これで終わりなんだ(少し寂しい)」と。

そして、不思議と「おお。どこか美が潜んでるっぽい。かも。」と、美になんとか触れられた感触があるとホッと胸をなでおろすのです。その繰り返しです。しかし、なんで自分がそうできてるのかは、まるで分からないのです。

これではまるで、蟻があの機能的で美しい蟻の巣を作ることが出来るけど、その作り方を蟻自身は説明できないのと同じです。

蟻の巣参照:Casting a Fire Ant Colony with Molten Aluminum(Cast #043)


それでも良いような気もしますが、もっともらしく説明する言葉が欲しい年頃なのかも知れません。そう言えば以前にもそんなテキストを書いてました。

羽化の作法[81]現在編 カンディンスキーと私〜音と絵の関係について

羽化の作法[81]では、音と絵の関係について「ブーバ・キキ効果」を紹介したり、プロセスについて言及したりしてますが、今回はその続編という感じというか、さらに突っ込んで体系化に向けて書いてみようと思います。


●線には2種類ある

線画を描き続けてきた現時点での考えなのですが、線は大別すると二種類に分けられるんじゃあないかなと思ってます。


1・状態の線
2・虚構の線



「1」は状態から生じている線です。行為の痕跡もこの「1」に含まれます。つまりプロセスが表出した線です。軌跡。あぜ道やけもの道も「1」に含まれます。稲妻のような現象も「1」に含まれます。

「時間」を伴う線と言ったらいいでしょうかね。線そのものというか。現場性のある線です。線を描く者が、線の内側から線を生み出すような主観的な線とも言えます。

真島直子やジャクソンポロックは「1」的な線だと思います。


真島直子『密林にて II-2010』


ジャクソン・ポロック『Number 14 Gray』


けもの道


稲妻




「2」は言い換えれば表現された線です。グラフの線、輪郭線、下書きの線、概念図や図形の線、設計図、文字など。これらは線そのものに「時間」が含まれてません。そしてこれらは虚構です。

輪郭線はこの世には存在しませんし、線で描かれた円もそれを指し示すイデアはこの世に存在しません。何かを表わすためのツールとしての線です。漫画の線も小説の文字の線もこちらの「2」に含まれます。そして、こちらは線を描く者が線の外側に居て、線を俯瞰して描く客観的な線とも言えます。


山口晃『Tokio山水(東京圖2012)』


石ノ森章太郎『ファンタジーワールド ジュン』


主要国名目GDP


カオスの図



「1」か「2」にパッキリと分かれてしまうのではなくて、ミックスもありそうです。

例えば、地震計のグラフは「1(状態の線)」を含んだ「2(虚構の線)」だったり、レコードの溝は「2」のような「1」のように感じます。

オシロスコープの線は「1」に見える「2」でしょうか。書道の線は「1」であり、同時に「2」でもある感じします。


地震計


レコードの溝


オシロスコープ


そして、私は「絵とは行為の痕跡である」としてきたことから、「1」の「状態の線」の描き方をやってきました。最近は、そこに下書きといった「2」を加えてミックスさせています。

「1」と「2」を共存させる「線の内部に居ながら線を俯瞰する」ように描けたらと思っているのです。

さて、その線と音楽はどう結び付くのでしょうか?

私の考える「音楽」とは、一般的に言われてる音楽よりも適応範囲が広いと思いますので、それらの特徴をまとめてみました。


●音楽とは


a.基本見えない
b.曲とは限らない
c.聞こえるとは限らない



a.「基本見えない」ということは応用として、または例外として「見える」ということです。それがまあ「線譜」だったりするのですが。

音楽の可視化という意味では、まずディズニーの『Fantasia』が思い浮かびます。冒頭のナレーションでは「芸術家の想像力を介した音楽の姿です」とファンタジアを解説しています。

『ウォルト・ディズニー(Walt Disney) - ファンタジア(Fantasia)Part1』

1940年です。現代のVJやプロジェクションマッピングで使われている、映像効果の元ネタ全部ありますよ、これ。


b.作曲された曲だけが音楽ではありません。いわゆる「楽曲」のていをなさないノイズやアンビエントも音楽です。


MASONNA



伊東篤宏



また、作品として作られたものではない自然音、人工音、環境音も音楽になると私は思っています。

例えば、朝目覚めて窓の外から聞こえてくる鳥と虫の声と、ゴミ回収車のエンジンと回収の音。それらを「音」ではなく、「音楽」として聴くこともできるのです。


c.については以前デジクリで書きました。

羽化の作法[88]現在編 聴こえない音楽

聞こえない「1◇宇宙の音楽」についてですが、宇宙とは数の不思議であり、数の不思議はそのまま音楽にもあてはまることから、「宇宙と数学と音楽」はある意味では同じだと私は思っています。

例えば、音律には「ピタゴラスカンマ」ってのがありますが、案外とそれは音の話だけに留まらなくて、宇宙の仕組みと関係があったりするのではないだろうか? とか思ったりしています。

ピタゴラスコンマ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%BF%E3%82%B4%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%9E

そして聞こえない「2◇人間の音楽」についても、ひょっとしたら奥深い何かがあるのかも知れません。

ひとつ、音楽の鑑賞にヒントがありそうな気がしています。


●音楽鑑賞には2種類ある

音楽を聴く時、私たちは複数の聴き方を同時にしています。まずは耳で聴いてることは確かでしょうが、その他にも骨で聴いてたりします。ひょっとしたら、皮膚や内臓やリンパでも聴いてるのかも知れません。音楽を聴く体の部位も様々あるのでしょう。

それに伴うのかは分かりませんが、音楽の体感の仕方もいくつかあると思うのです。私は大きく二つあると感じます。


イ・ひとつは「私は音楽を聴いている」という感じで、対象を観察するように耳で聴いている鑑賞です。ここには時間が明確にあります。

ロ・そしてもう一つは、音楽の内側に入ってしまう鑑賞です。私という観察主体は消失します。この場合、なんとなく耳では聴いてません。時間も消失しています。



この「イ」「ロ」は、きっぱり分かれるものではなく混ざり合って、またはグラデーションして、音楽体験をしてるんだと思うのです。

さて、この「イ」「ロ」ですが、原稿の前半の「●線には2種類ある」の「1・状態の線」「2・虚構の線」と関係しているような気がします。

「イ」の「対象を観察するように耳で聴いている鑑賞」は、「2」の「描く者が線の外側にいて線を俯瞰して描く客観的な線」に。

そして「ロ」の「音楽の内側に入ってしまう鑑賞」が「1」の「描く者が線の内側から線を生み出すような主観的な線」に。


前者は「対象を観察する側に立つ」視点で、後者は「観察対象と同化している」状態です。

私たちは常に、何か対象を見つめた時、同時に見つめた対象の内側に入り込んでいるのかも知れません。(つづく)


【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/結構大変】

ガブリエルガブリエラの新作を制作中。これがまたすごいんです。
乞うご期待!
Twitter https://twitter.com/Take_J

ブログ「絵と空の事」 
https://take-junichiro.blogspot.com/
Facebookページ https://www.Facebook.com/junichiro.take
take.junichiro@gmail.com

◎ガブリエルガブリエラ、只今「13月世大使館」オープンに向けて準備中!
Twitter https://twitter.com/G_G_jp
Instagram https://www.instagram.com/gabrielgabriela.jp/
ブログ「13月世の物語」 http://gabrielgabriela-jp.blogspot.jp

◎アーティストとアートファンを繋ぐプラットフォーム「メセロ(mecelo)」
に、私のページができました! 応援よろしくお願いします! 
インタビューもあります。
https://mecelo.com/artists/take_junichiro

インタビュー前半
https://mecelo.com/artists/take_junichiro/interviews/57
インタビュー後半
https://mecelo.com/artists/take_junichiro/interviews/58

◎装丁画を担当しています! 『星野智幸コレクション・全四巻』(人文書院)
星野智幸コレクションI スクエア
http://www.jimbunshoin.co.jp/book/b226418.html
星野智幸コレクションII サークル
http://www.jimbunshoin.co.jp/book/b226413.html
星野智幸コレクションIII リンク
http://www.jimbunshoin.co.jp/book/b226414.html
星野智幸コレクションIV フロウ
http://www.jimbunshoin.co.jp/book/b278897.html


日刊デジタルクリエイターズ「羽化の作法[92]現在編 線と音楽」より

アート未来展

線譜『交響詩 彷徨える双子ボゾンとフェルミオン ー巡り逢う世界』
額サイズ 1015×1015×50 紙サイズ 600×600
アルシュ紙にペン 2019年

部分

24回 国際公募アート未来展

http://www.artmirai.jp/
2019年6月26日(水)〜7月8日(月)
国立新美術館「1階A室」・野外展示場
10:00~18:00 (入場は30分前まで・最終日12:00まで) 7/2(火)休

線譜を取り扱って頂いてる参宮橋ピカレスク @picaresquejpn のお誘いで参加した公募展で特選となりました。
どうも有り難うございます!

13月世大使館の応接間に展示するとこんな感じです
少し横から


久しぶりにブログで告知を書きました。これからはもっとブログ書こう。

言葉(主に歌詞)について



何か表現したいイメージがあって、それを表現するために言葉を使う。
伝えたい感情があって、それを伝えるために合った言葉を探す。

言葉は伝達手段、ツールである。
普通は。

ところがこういった言葉もある。
音楽に乗った面白い響きの言葉をまず音として出力してしまう。
音楽に合う響きの単語を繋げていく。
そうすると「言葉」と「言葉の繋がり」によって、受け手側が勝手に何か「像」を想起してしまう。上手くいけば、だけど。

この場合は、「作り手の頭の中にあるものを伝える道具としての言葉」、と言うよりも「言葉そのもの」からイメージが浮かび上がる。
そう言う「言葉」もある。

その場合、「伝えたい物語なりメッセージなり想いがある」、と言うよりも「聞く側・観る側にイメージを委ねる形式をクリエイトした」事になる。

前者だと例えば作者の心情を説明したところで「うぜえ」ってなる危険性があり、後者はなんだかさっぱり分からなくなったり像を結ばずに非常につまらなくなる危険性がある。

これらのバランスが絶妙な「歌詞」が好きで、例えば電気グルーヴは後者の言葉の使い方が天才的にうまいなあと思ったのでした。

電気グルーヴ『誰だ!』
https://www.nicovideo.jp/watch/sm16007159

線譜について1〜10

風景ノイズ線譜
『上尾00』


【線譜】001

「曲」とは音楽のひとつで、聴こえない音楽もある。
物質化した音楽もあり、また、生物のように生え、動き、増殖していく音楽もある。


【線譜】002

私が描いてるのは絵ではなく「音楽」だと気が付いてから線譜と名付けてますが、
物質の基本単位が一次元の弦であるという仮説「ひも理論」を知った時「宇宙は壮大な弦楽合奏ではないか!?」と、驚きました。
「この宇宙は音楽で、私たちも音楽である」という仮説というか、シミュレーションのような、そして物語でもある世界または宇宙を線譜で描いています。


【線譜】003

曲は時間の流れに伴っています。
時間に沿って流れる曲だけが「音楽」だとは限りません。

例えば、曲の全体像が思い出す時、曲の長さ分を反芻することなく一瞬で脳裏に浮かぶように、

「線譜」は音楽を空間のように視るスコープでもあります。


【線譜】004

人、細胞、タンパク質、などはそれぞれの固有の音楽を持っていて、
それぞれが運動することによって奏でられる音楽があり、
それらのレイヤーは幾重にも重なり、また、ネットワークされ、
複雑で芳醇な調べを響かせている。


【線譜】005

「祈ること」と「描くこと」はとても似ている。
「祈り」と「音楽」はとても関係している。
そして私は音楽を描く。線で。
それを「線譜」と名付けたのです。


【線譜】006

曲が流れて来た場合、メロディやコード進行や構成よりも「音(のクオリア)」を聴いてしまいます。
かすれる声とかギターのカッティングの音とかバスドラの音とかグニョンてなるベース音とか。あと、とある場所で登場する半音っぽい音とか。

その部分的な音を抽出してミニマルに淡々と並べても良かったりします。


【線譜】007

好きになる曲は、1秒以内の感じで決まってしまうことってありませんか?
曲のほんの一瞬が曲の全体を含んでいるかのような。
きっと時間軸とは違う何かが音楽には織り込まれていると思うのです。


【線譜】008

子供の頃、家にあったリリー・マルレーンのシングルレコードをかけたら、胸が締め付けられて宙に浮くような感じを覚えてとても不思議に思った。
音楽のあのキュンとなる感じはノスタルジーの切なさとよく似てるが、小2にそんな追憶の感傷などないだろう。

なぜ、「過去を想う胸の痛み」と「音楽を聴いた時のキュンとなる感じ」がそっくりなのだろう?


【線譜】009

義務教育の間、一年の4分の1くらいは喘息で学校を休んでいた。
平日の街はまるで別人で、心細さと静かで落ち着く感じが入り混じっていて嫌いではなかった。
あの不安で静寂な空間はとても音楽的だった。


【線譜】010

段ボールハウスに絵を描いてる頃から「遠近法を使わずに奥行きを感じる絵を描こう」としてきました。
それは、アンチ西洋画、日本の絵の平面性への傾倒だったりしたのですが、
見えない軸、物質化されてない何か、またはちがう次元、を表現しようとしてるのだと思うようになってきました。

数学と芸術がとても関係してるのは、ひょっとしたら虚数を見る方法だからかも知れません。

(つづく)