ネズミに恋したネコのタムちゃんシリーズと父



4月30日は父の命日でした。2015年、7年前。
twilogで遡ってみると親父に一言も言及していないんですねえ、、これが。。。

私は父にはほぼ育てられておらず母子家庭でした。物心ついた時には両親は離婚してたが、私の苗字は父の姓で幼心になんだかすごく面倒臭かった。

父はごくたまに酔っ払って家に帰ってきては朝まで母と大喧嘩をしていた。
父が家を出て行った後の布団の残り香は「嫌いで好き」という不思議なクオリアだった。


60年安保闘争の中央執行部で学生運動を牽引し、大学の演劇科を卒業した父は、
革命と芸術を志した理想に燃えた青年だったのでしょう。

当時は現代の「ポスト資本主義」みたいな資本主義前提の改革ではなく、ガチの革命をしようとしてたらしいのです。
そういえば思想書と戯曲だけは家にいっぱいありました。私はほぼ読んでないけど。。。


私が生まれ、芸術も革命も諦めたのか、ついでに家族も捨ててしまったように見えた父。


反資本主義思想なのに会社を経営し、
官僚主義を批判しながら既得権益で仕事を回し、
天皇制という権威こそ諸悪の根源だと言いながら芸術という権威に弱く、
大酒呑で、陽気で、矛盾に満ちた父、
晩年は精神病院に長らく入院し、そこで息を引き取った。


私はそんな父を愛しながら憎んでいた。憎みながらも愛していた。


父が亡くなってから私は毎日父のことを想うようになった。
父が死んでから初めて父と本当のコミュニケーションが始まったみたいだった。

毎晩毎晩私は父と喋った。
そしてその対話の中でいろんなことを教えてもらった。

絡まって、もつれて、ほぐせない父への複雑な気持ちも徐々にシンプルになり、和解していった。


死んだら取り返しが付かない。


確かにそれはそうなんだけど、死んでからでも対話はできる、
「生者と死者は対話が可能で、仲直りも可能なんだ」という実感を持つに至った。


「ネズミに恋したネコのタムちゃん」は物語が突然降ってきた2013年、
「私とは最も遠いテーマの作品だ。なんでこんな物語を自分が思い付いたのか?」
まるで見当がつかないまま、でもなんか面白そうだから取り掛かったのだけれども、なぜか描き続けてられる作品で、
これからもずっと描き続けていくシリーズ作品となった。


この『蒼き星の子守唄』をかなりの時間をかけて描き上げてポオ エ ヤヨさんにドキドキしながら見せた時、
「すごいすごい!このネズミさんは武さんのお父さんだよ!」
と目をウルウルさせながら言ってくれた。
が、内心「なにそれ(オヤジじゃねーよ、ネズミさんだよ)」と私は思っていた。


そしてこの「物理身体が触れ合うことない死者と生者が想いを通じて心で触れ合う」場面を描いたタムちゃんとネズミさんの作品のお渡し日の今日(4/30)、

「今日が武治司さんの命日でした。」と母からラインが届いてるのを見て、
ヤヨさんが「このネズミさんは武さんのお父さんなんだよ!」と言っていた言葉が真実だったことを知ったのだった。


本当に有り難うございます。

事実は科学に根差すだろうけど、
真実は魂に根差す。


私はタムちゃんとネズミさんの魂の絵を描き続けます。
それは作品をお迎えして応援してくださる方があってこそ。

感謝あるのみです。


きっとこれは100万年以上続く恋物語。


ネズミに恋したネコのタムちゃんシリーズ
線譜『蒼き星の子守唄』
(2021年・個人蔵)

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