制作中のタムちゃん |
ケバヤシさんによる「意識のハード・プロブレム」の区分けがとても分かりやすくて参考になります。
教科書としてシェアさせていただきます。有り難うございます!
例えば、ロボマインド・プロジェクトは「(8)心の計算主義」、
PF理論の種市孝さんは「(4)意識の現代・未解明物理還元主義」ということでしょうか。
最近のアニメや映画などの表現は「(6)心身二元論」をベースにした「(8)心の計算主義」的なものが多いような気がしてるけど、どうなのでしょう?
スピリチュアル系は「(7) 精神一元論、唯心論」になりがちなのかなあと思います。
私はというと、(3)~(9)で揺れ動く、「テキトーなことを言っている素人」なので、「(10) その他」に該当するのであるが、
道筋としては
「(5)主観 - 客観架橋主義」を皮切りにして、
「(8)心の計算主義」と
「(4) 意識の現代・未解明物理還元主義」を
ミックスさせたのが「事実」となることを期待している者である。
作品(創作・物語)はどうしても「(6)心身二元論」と「(7) 精神一元論、唯心論」になりがちなのをなんとかしたいと思っていてそれが私の個人的な課題である。
つまり、(6)(7)は「意識の文系的な捉え方」で、そこに意識の謎を閉じさせてしまいたくないのだ。
例えば、ノーベル文学賞作家カズオ・イシグロ氏の「クララとお日さま」はAIが主人公なのであるが、「意識のハードプロブレム」は、はなっからすっ飛ばしてAIに意識があるのである。
割とリアルな設定なので「意識が作れるくらいの科学技術があるのに、そんな社会状況なのだろうか?」とか
「クオリアの乱れが機械らしく描写されているけど、そもそもそのクオリアを発生させているメカニズムの説明がない」とか、
どうしても気になってしまうだ。
物語の設定をリアルにしていくと「意識のハード・プロブレム」が引っかかる。
そこで便利なのは「身体」「心」という「(6) 心身二元論」的世界観だ。
この世界観では心は理屈を超えていける。いかようにも創作可能だ。
さらに「(7) 精神一元論、唯心論」的世界観にしてしまえば物語はなんでもアリになる。
だがしかし、それを使わずに意識を扱うことはできないのであろうか? となんとなくずっと思い続けている。
例えば、『タコの心身問題――頭足類から考える意識の起源』では、原初の意識はホワイトノイズのようである的な記述があり、気になっている。
意識をホワイト・ノイズで表現するのはなんとなくしっくりくる。
「意識の謎」についてはこれからも興味関心を持ち続け、「意識のハード・プロブレム」オタクとして一人前になりたい所存でございます。
以下はセーラー服おじさんことケバヤシさんの意識のハード・プロブレム分類のfacebook投稿引用です。
【意識のハード・プロブレム】
人間の脳といえども、物質であることに違いない。物質であってみれば、物理法則に厳密にしたがわざるを得ない。
言わば、機械のようにしか、動作しえない、ということになる。
このような機械仕掛けの装置の上に、いったいどのような
メカニズムによって意識が生じるのか。
これが「意識のハード・プロブレム」。
哲学者「デイヴィッド・チャーマーズ」が提唱した。
【意識のハード・プロブレムに向き合うもろもろの立場】
私からみた、もろもろの立場を挙げてみる。
名称は、私が勝手につけてみたのもある。敬称略。
(1) 意識の消去主義 (eliminativism)
意識は錯覚である。あるようにみえて、実は、そんなものはない。必然的に、意識のハード・プロブレムは、問う価値のない、
無意味な問いとなる。
Patricia Churchland、前野 隆司。
(2) 意識のハード・プロブレムの消去主義
意識のハード・プロブレムは、問う価値のない、無意味な問いである。デネット、カルロ・ロヴェッリ。
※ デネットとロヴェッリが同じ立場とも思えないので、このカテゴリの
中が、さらに細分化できそうだが。
(3) 意識の古典物理還元主義
意識現象は、解明された暁には、ニュートン力学や電磁気学など、古典物理の範囲内で説明がつくべきものである。
それはあたかも、虹やブロッケン現象が、そのメカニズムが
未解明のうちは、いかにも不思議にみえる現象だけれども、
解明されてみると、どうってことのないふつうの古典物理の
現象だったと判明するようなものである。
脳で起きている物理現象では、局所的に量子現象や
重力による時空間のゆがみが起きているのかもしれないが、
量的にごくごく微小であったり、大量の生起が統計に
かき消されたりして、マクロな効果を及ぼさない。
谷村 省吾、松田 卓也。
(4) 意識の現代・未解明物理還元主義
意識現象は、解明された暁には、物理学で説明がつくべきものである。
ただし、その物理学は、古典物理学の範囲内にとどまらない。
量子論や相対論を参照する必要があるかもしれないし、
まだ発見されていない物理法則が発見されて初めて
説明可能になるのかもしれない。
ロジャー・ペンローズ、スチュワート・ハメロフ。
(5) 主観 - 客観架橋主義
主観世界と客観世界とは概念的に分離している(心身二元論ではない)。
意識のハード・プロブレムは、両者にまたがる形で
提示された問いである。客観世界を支配する
法則の体系としての物理学では、主観世界を
説明づけできない。なので、両者を架橋する理論が
新たに必要になる。
チャーマーズ、渡辺 正峰。
(6) 心身二元論 (dualism)
この世界を構成する根源的な要素として、精神と物質がある。それらは (概念としてではなく)
構成要素として互いに別物である。
意識の随伴現象説を支持する立場をとる限り、
心身二元論それ自体は物理領域の因果的閉包性に
抵触しない。
デカルト。
(7) 精神一元論、唯心論 (idealism、mentalism)
この世界に根源的なのは心 (精神、意識) であって、物質世界は実在するかどうかも定かではない。
物質から意識が生じるのではない。
この立場においても、意識のハード・プロブレムは無意味な
問いであるとして、取り下げられる。
仏教。
(8) 心の計算主義 (computationalism、computational theory of mind)
(1) ~ (7) とは別系統にあたるようにも思えるが。意識は、脳活動レベルにまで落とし込めば、結局は、
計算に還元される。
意識は、それが生じる物理基板が何であるかに依存しない。
計算 (の実行) が意識を生む。
脳とまったく同一の計算がシリコン基板の上でなされ、
結果として、意識があるかのような振る舞いが生じれば、
そこに意識が宿っていると思うしかない。
ジュリオ・トノーニ、大泉 匡史、金井 良太、土谷 尚嗣。
(9) 不可知論
どうがんばっても、意識のハード・プロブレムは未来永劫解けない。そもそも解けない問題だ。
(10) その他
テキトーなことを言ってる素人とか。【意識のハード・プロブレムに向き合う私の立場】
私は意識の謎に対して正解が知りたいだけなので、特定のひとつの立場だけを支持するというわけではなく、
いろいろな立場に対して重みをつけて、
確率分布 (特にカテゴリカル分布) のような支持のしかたを
している。かと言って、すべての立場に対して
0 より大きな重みを置いているわけでもない。
私は、意識のハード・プロブレムを不思議だなぁ、と
思っているので、
(1) 意識の消去主義 (eliminativism)
(2) 意識のハード・プロブレムの消去主義
は、まったく支持していない。
また、意識に実体を認める心身二元論や唯心論へ行くのは
筋がよくないと考えている。その線でいちおう説明がついた
ようにみえたとしても、解けたことになっているとは
認めがたい。なので、
(6) 心身二元論 (dualism)
(7) 精神一元論、唯心論 (idealism、mentalism)
は、まったく支持していない。
また、
(9) 不可知論
(10) その他
ではない。
結局、
(3) 意識の古典物理還元主義
(4) 意識の現代・未解明物理還元主義
(5) 主観 - 客観架橋主義
(8) 心の計算主義
あたりを適当な重みづけして支持している感覚。
以上
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