▶︎ ピダハン族の文化
●神話物語は根源的ではないかも知れない問題
私たちがフツーだと思ってることってそんなに普遍的でも根源的でもなかったりします。
苦しみを解消する心理学的アプローチは、そのほとんどが人生の物語の再構築の作業となります。
しかし、ピダハンから人類の根源を参照してみると、
「一貫した私の物語」がそもそもない可能性が出てきます。
ということは、例えば「トラウマ」は普遍的な心理ではなくて、
個のアイデンティティを持つという「西洋文化」が生じさせている一つのローカルな文化的現象に過ぎないのかも知れません。
文化なので変更したりリミックスしたりと、カスタマイズが可能ってことなので、「トラウマ」は解消可能ということになります。
また、「神」という概念も根源的ではない可能性があります。
そうなると、神秘的でパワフルに感じる「神話」も人類の根源ではないことになり、
「物語絵」を軸とする自分たちの作品テーマに揺さぶりをかけてきます。
以前、日本神話について興味を持ってあれこれ本を読んでいた頃、
「神話を忘れた民族は滅びる」というフレーズを幾度となく目にしました。
この言葉の説得力に、「いつかは神話をモチーフにしよう」と背中を押されたのが「物語絵」のきっかけとなっています。
しかし、
世界で最も幸福な民族と呼ばれているピダハンには「神」もなく、当然「神話」もありません。
この問題は何気にヘヴィなパンチでして、
ぼんやりとですがずっと考え続けて今に至っています。
「物語」の存在が人類の根源ではなかったとしても、
神話のような物語の神秘的な魅力を表現したい。
これが今の思いです。
●突破口の模索
過去も未来もなく今を生きる幸福なピダハンのあり方は、
古神道でいう「中今」に通じるものがありそう。
それは現代風にいえば「マインドフルネス」かも知れない。
私たちは
「過去から未来に続き一貫した私という時間軸」に身を置くことも
「今ここ」に心身を据えることもできる。
私たちは
物語を生きことも
物語のない今この瞬間に生きることも
場面に応じて選択可能である。
それが表現のテーマになり得る。
ところで、
一本の軌跡として紡がれていく「物語」に対して
「シンクロニシティ」という、今の横軸で結び付く因果律と直行した現象がある。
そういえば、「十三月世大使館」はシンクロニシティがよく起こる場所でもあります。
●13月世の物語
◆13月世
13月世には神はいませんが精霊たちが幸せいっぱいに生きています。
これはピダハンの世界と通じるところがあると思います。
ちびっ子精霊たちは今・ここを生きてるからこそ楽しそうなのでしょう。
いつでもシンクロニシティが起こり、奇跡を日常的に味わっているのがピッピちゃんたちです。
お菓子などんぐりドラムを叩くピッピ |
◆霧の國
一方、霧の國は過去から未来へ続く永遠の時間の中に在る世界です。
魔女トワルたちはこの因果応報をコントロールする魔法を持っています。
零月夜の鏡歌 — 霧の國の魔女トワルと使者・片目のシャーデンと死神フロイデ — |
・時間を縦に流れる因果の物語
・今・ここの瞬間を横に突破するシンクロニシティ
「ガブリエル・ガブリエラ」が「十三月世大使館」で実践していることは、
それらを包括する表現だと言えるでしょう。
十三月世大使館外観 |
あなたは物語の存在についてどう考えますか?
今ここを生きるためにどんな工夫をしていますか?
最後までお読みいただき有り難うございました。
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