『ルックバック』
— 武 盾一郎 𝕋𝕒𝕜𝕖 𝕁𝕦𝕟 𝕀𝕔𝕙𝕚𝕣𝕠 𓃠 (@Take_J) August 1, 2024
約1時間という短さの映画だけど
半分の時間は泣くの我慢するか泣いていたかで
6時間くらいの映画観たレベルに疲れた。。。
観に行って来ました。やっぱり「おや?なんかこの作品観たいな」と感じた作品はちゃんと映画館まで足を運ぶべきだと改めて思った次第です。
観に行って良かった!
絵を描いてる人(→私)、
そして2人でタッグを組んで制作してる人(→私)、
には泣かずにはおれない映画でした。
「誰かと一心同体で一心不乱でモノを作る」というのは本当に幸運である。奇跡である。
自分より才能があることがアリアリと分かってしまった時、
「普通だよね」の言葉で打ち砕かれるプライド、
尊敬する相手に思いもよらぬリスペクトの言葉を自分に向けられた時、
二度と戻らない一心同体・以心伝心で何かを作り上げたあの頃、
そして別れ。
天才の作品は予言になってしまう恐ろしさ
なんで絵なんか描いてるの? という問い
刺さり過ぎて見終わった時にはライフ「0」状態でした。
とても悲しい物語だけど、
「制作」というものの人間における根源性、そしてその制作行為の美しさが宝石のように瑞々しく輝いている青春譚。
観終わった後の充実感はアニメでは『この世界の片隅に』(2016)以来でした。
流行モノというよりも芸術的なアニメです。
ただ、現代日本のハイコンテキスト過ぎる設定が気になりはした。
2人が別れる理由が、「漫画の連載」という週刊誌業界のスケジュールの都合によるものなので、
フツーの労働環境であればフツーに2人は別れなくて済んでいる。
例えば2人を引き裂く環境要因が戦争とか自然災害だったらかなり人類共通のシチュエーションとなるが、
漫画連載のジョーシキを何となくフツーなものとして感覚の前提に置いてることは、狭いムラ社会を世界としてしまっていて、その「狭さ」はお笑いも含めた日本文化の特徴と魅力なのかも知れないが、ちょっと気になりはした。
でも多分、分かっていてそれをやってるんだと思うけど。
わざと身内にしか分からないムラの感覚を前提として引き込むセンスというか。これって自分たちのムラに優越性を感じてるから出来る技ではある。
昔の例で恐縮だが、とんねるずのお笑いがそれであった。スクールカースト上位にしか分からないセンスを前提としていて、見てる側がそっちに行きたくて引き込まれてしまうノリ、というか。
話がちょっと逸れてしまった。。
そういう特殊な漫画家(アーティストも含め)の労働環境を「憧れ」と引き換えに何の疑問もなく受け入れてしまっていて、
労働に対する人権意識の低さを美しさに変換させて悲劇を産んでいるこのパターンは
『フランダースの犬』を想起させる。
人権侵害を受けている子どもをそのまま放っておいて殺してしまってから悲劇として感動してしまうパターンだ。
随分と昔になるが、『フランダースの犬』が原作のベルギーかオランダあたりで全くウケてない理由は、
「貧しい子どもと犬を見殺しにするような社会の設定にリアリティがない」からだと聞いたことがあって、
結構ショックを受けたことがる。
日本人はなぜか弱者(貧者)が弱者のまま、無自覚な美しさでもって、そのまま殺されてしまう悲劇物語が大好きだ。
それから、
日本人なら知っている「京都アニメーション放火殺人事件」の悲劇を物語に織り込んでいて、
つら過ぎる残酷な事件を取り扱う社会性自体はとてもチャレンジングだし、この事件に対して作者の強い思いがあるからこそ、なんだと思うけど、
誰もが犯人側にならざるを得ない可能性が含まれていることが、この「京アニ事件」の悲しみと絶望の闇の深さでもあるのだが、
アニメのニュアンスとしては「わけのの分からない殺人魔が突然現れる」という唐突な感じが若干してしまう。
「完全に排除されるべき悪人」が何の説明もなくポンと出されてしまった感があって
このパターンだと、なんでも簡単に悲劇にできちゃうし、
精神疾患やうだつの上がらない男性を社会から差別・排除する「弱者男性問題」を助長しかねない感じもしてしまい、少しヒヤヒヤした。
私も含め男性の99%以上が藤野&京本(藤本タツキ)さんより才能も運もなく努力もできない人間なのだから。
物語の主人公が天才なのは確かにしょうがない。
『葬送のフリーレン』も『薬屋のひとりごと』も主人公が天才過ぎることによって物語が成立している。
クリエイターやアーティストが大絶賛している『ルックバック』。
これ、自分が特別だと思いたい人にはとても刺さる映画で、
要するに「天才が勝つ」という身も蓋もない映画でもある。
天才なのは京本ではなくて藤野であるところがこの物語のエグいところで、
「(社会性の低い)引き篭りの芸術家タイプの自分とサヨナラした漫画家である原作者」のメタファーでもあるだろう。
主人公の藤野の年齢は二十代前半くらい。
実はその後の人生の方が長い。
プロとなった漫画家は売れた漫画の再生産、セルフコピーでその後の40年以上を食い繋ぐ現実が待っている。
私が本当に見たいのは、40年後の還暦を越えた天才藤野の物語である。
この映画が500年先も残る地球的普遍性を携えてるかは分からないが、
肥大した自我を抱え続けている私を打ちのめし泣かせてくれた映画であることは確かだ。
制作に躓いたり、絵を描くことに慣れて自分で感動することを忘れてしまいそうになったら、
この映画を観て、叩きつけられ、打ちのめされて、泣き崩れて、そして再び立ち上がろうと思う。
なんか、後半は褒めてる感ちょっと薄まってる感じあるけど、
思ったことは良いも悪いも書いておこうと思ったから自分の為に書きました。
というか、
ここまでいろんなことを考えさせてくれるってこと自体が私にとって特別な映画の証しだし。
それに、
21世紀以降の「国産青春アニメ」としての「古典」になって行く可能性は高い。
アニメ映像作品としては何もかもがクオリティが高過ぎて、教科書として数え切れないほど参照される作品となるのはほぼ間違いない。
素晴らしい映画を有り難うございます! 本当に「珠玉の作品」!!
最後まで読んでいただき有り難うございました!!
※ちなみに私は原作者の「藤本タツキ」さんのことを「たつき諒」さんだと勘違いしていて、キャリアの長い方だと思い込んでいたけど、若干31歳でした。天才すぎ。
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