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時計仕掛けの林檎 ガブリエル・ガブリエラ 2021年 |
河合隼雄の「コンステレーション」概念
・「星座」を意味する・一見無関係な出来事が全体として意味のあるものに見える
・因果関係を超えた事象の関連性を理解するための重要なフレームワーク
・瞬間的に全体像を把握するが、この全体性は言葉にしようとすると複雑で長い物語へと展開される特性を持つ
・異なる要素を結びつけて新たな物語を創造する力を持つ
元祖・星座のコンステレーション
・夜空の星々は、それぞれが全く異なる距離であり、例えば10光年離れている星なら10年前の光、10万光年離れている星なら10万年前の光を見ていることになり、「今」という時を共有してはいない・古代の人々はギリシャ神話などの物語に基づいて、これらの星を線で結び、「神話の時間軸」という私たちの日常の時間の流れとは違った時間軸で再編し、新たな意味や物語を付与してきた
・「夜空の星々」と「神話」の時間軸は私たちとは全く異なったタイムスケールという点で共通している
星座の物語例
・「魚座」はアフロディーテとその息子エロスが、怪物ティポンから逃れる際に魚に変身したという逸話に由来する。
母子が川に飛び込んで魚に変身し、尾を結びつけて共に逃げたというこのエピソードは、魚座の双魚が互いに寄り添う姿として表現されている。
・「山羊座」もパン神が怪物ティポンから逃れる際に川に飛び込み、下半身が魚、上半身がヤギの姿に変わったという逸話に由来する。
このように、「星座」は異なる星を結びつけて新たな意味を与え、物語として形作っている。
アートのコンステレーション
ここで、日本美術の文脈を「コンステレーション」する。
例)
「西遊記」—「南総里見八犬伝」—「ドラゴンボール」—「現代日本のアート」
この星座を「日本美術」の文脈とするコンステレーション。
「西遊記」—「南総里見八犬伝」—「ドラゴンボール」—「現代日本のアート」
この星座を「日本美術」の文脈とするコンステレーション。
曲亭(滝沢)馬琴の「南総里見八犬伝」(1814-1842)は、中国古典「水滸伝」(14世紀頃成立)の強い影響を受けている。
「水滸伝」は、「西遊記」(16世紀頃成立)、「三国志演義」(14世紀頃成立)、「紅楼夢」(18世紀頃成立)とともに中国の四大奇書と称され、中国文化において重要な位置を占めてきた。
一方で、鳥山明による現代日本の漫画「ドラゴンボール」(1984-1995)には、悟空が7つのドラゴンボールを探す冒険が描かれており、そのアイデアは「南総里見八犬伝」から強い影響を受けている。
また、「西遊記」に登場する孫悟空というキャラクターは「ドラゴンボール」の主人公の名前にも使われている。
馬琴が「西遊記」に強く影響されたことから、「南総里見八犬伝」もまたその影響を受けているはずである。
鳥山明は、馬琴の「八犬伝」の建て付けを基にしつつ、馬琴が好きだった「西遊記」からも主人公の名前を引用した。
「南総里見八犬伝」は、江戸時代に挿絵の版画と共に発表されたため、現代の漫画の前身とも言える形式を持っている。
このように「ドラゴンボール」は、400年にわたる物語の伝統に依拠し、新たな物語を築き上げている。
中国4大奇書の「西遊記」から「南総里見八犬伝」を経て「ドラゴンボール」へ、そして「現代の本のアート」と、異なる時代や文化の作品が線で結び付けられることで、新たな文脈や意味を持つ「星座」が形成されている。
特徴 | 夜空の星座のコンステレーション | アートのコンステレーション |
---|---|---|
要素の独立性 | 星はそれぞれが独立した存在 | 異なる時代・文化・物語が独立して存在 |
結びつけ方 | 星を線で結び、神話や物語を創造 | 異なる文化や物語を結びつけ、新たな文脈を創造 |
背景にある物語 | ギリシャ神話や古代の伝説に基づく物語 | 古典美術・文学などからの影響を受けて物語と絵が継承されていく |
目的 | 人々の想像力を刺激し、神話を共有する | 新たなアートを創造し、文化的文脈を再解釈・再構築 |
具体例 | 魚座、山羊座など | 「西遊記」「南総里見八犬伝」「ドラゴンボール」を経て「現代日本のアート」がある |
指標
この新たな文脈の星座を「日本美術の文脈」として、作品をその延長線上に置く。これはどういうことかというと、雑に言えば、
日本における「アート」を近代を出発点とするのではなく、江戸時代以前からのラインで結んでいく。
「近代の超克」という問題を雑に考察
絵画を洋画と日本画で別けてしまったことで分断されてしまい、日本画は現代性から断ち切れてしまっているし、洋画は現代アートにとって変わってしまっている。
明治の近代化によって、以前と文化が切断されてしまっているかのような錯覚を起こしてしまい、
本当は確実に継承されている日本独特の視覚表現や文学の良さを見付けにくくなってしまっている。
それが、「純文学」と「芸術」に集約されてしまっている。
曲亭馬琴の文学と挿絵としての浮世絵のメディアミックスは、漫画やラノベやゲームに直結している。
これを「日本のアートの文脈」と捉えて作品化させることが、「日本のアート」なのではないだろうか。
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メアリーの部屋で始まりの扉は開く ガブリエル・ガブリエラ 2023年 |
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