監督の鈴木一美さんは弥世さんの古くからのお知り合いで、
プロデューサーだったのですが、今回初の映画監督に挑戦したそうです。
しかも、単身佐賀に乗り込んで住み込み、「イチ」から映画を作ったとのこと。
試写会にお邪魔させていただいたのですが、
とても素敵な方で、精力的に活動されていて、
本当に凄いと思いました。
敬意を込めてガチ感想文と応援文を書きました。
物語は、佐賀のノリ漁師 徳永義昭さんが
52歳から7年間かけてリスト〈ラ・カンパネラ〉を習得した
実話がモデルとなっています。
ネタバレの見どころを先に言ってしまうと、主人公徳田時生を演じる伊原剛志さんが半年間の猛特訓を経て同曲を“ 実演 ”するラストシーン。
私はこのシーンでボロボロ泣いてしまい、ついでに唾が気管に入ってむせてしまい、咳き込みながら泣くという嗚咽状態になってしまいました。
「あちゃ〜周りに迷惑〜!」と内心焦りまくりました。
実話をモデルとしながら昭和ドラマな演出の『ら・かんぱねら』。
自主映画旋風『カメラを止めるな』『侍タイムスリッパー』に続く第三派となって日本アカデミー賞も狙えるかも知れないと思ったのでした。
- 2018年 『カメラを止めるな!』――制作費300万円で興収30億円の社会現象。
- 2024年 『侍タイムスリッパー』――「カメ止め再来」の声とともに全国拡大公開。
- 2025年 『ら・かんぱねら』――監督ひとりの妄想×現場の汗で第三波を狙う。
“ひとりの想像力”が勝つ時代
大資本が統計的「ヒット方程式」を算出して作るのが映画の定番となっている一方で
“ひとりの想像力” が観客を動かして話題になるというのが、ここ最近の流れ。
今年の米アカデミー長編アニメ賞ではラトビア産インディーズ 『Flow』がディズニー/ピクサー勢を押しのけて受賞。
潤沢な資金で見せるポリティカルコレクトよりも、「個人ビジョンの純度」 が求められていて、『ら・かんぱねら』はその追い風を全身で受けています。
実話をベースにしながら物語はファンタジックで、ドキュメンタリーというよりも昭和のドラマ演出という感じで進んでいくけど、最後に役者の拙い実演が流れる。上手な人が下手っぽく弾いてるのではなく、下手な人が本気で演奏している下手さなのだ。
懐かしいベタなドラマ風演出が続いてきたところで「生(なま)なもの」が突然現れ、
その演奏がまるで「アール・ブリュット」絵画のような魅力的な光を放つ、
と同時に、映画のメタ構造があらわになり、「なんじゃこりゃ?!」となるのだ。
途中で演奏の雰囲気が変わるのでひょっとしたら別の演奏と繋げていて、「完全なる一発の生」ではないかも知れないけど、
もし本当にそうだとしても、舞台セットの裏側の骨組みが見えてしまうことも込みのどこかメタ構造が仕込まれてる映画と捉えて良いと思うのです。
『侍タイムスリッパー』では「本物の侍」が〈役者として殺陣を学ぶ〉というメタ的なレイヤーになっていて、
ラストのチャンバラでは “真剣で一発撮り” を掲げ、〈撮影のリアル〉そのものをクライマックスにして、
「これ、本当に真剣で撮影してるのかな?」というメタ視点を観る側にもたらしてしまいます。
このファンタジーとリアルを行き来するメタ構造な感じは『カメラを止めるな』も同様で、
何か一連の流れを感じます。
(ただ、ひょっとしたら鈴木監督はメタ構造は意図していないかも知れないですが、、、)
“女性献身ファンタジー”を支える土地と昭和風のリアリティ
物語では、時生の妻・奈々子(南果歩)が
あり得ないほど献身的 に夫を支える。
経理、家事、義理の父の介護、夫の世話、夫の工場での労働、夫の漁への見送り、、、
これだけでも「田舎の長男の嫁にだけは行くな」という女性からよく聞く言葉を思い出します。
夫の家に入り自分がピアノを志した夢を断念したことに加えて、
夫の夢「ピアノを弾く」ことへの理解とフォロー、曲の採譜、さらには、夫のピアノの成果までも聴いてあげているんですよね。
学生の頃、彼氏にやられて最も迷惑なことのベストワンに「オリジナルソングをフォークギターで聞かされる」といった内容の雑誌があったことを思い出し、
実際に学生時代、「君のために」と言って好きな女性にオリジナルラブソングを弾いて聴かせた先輩の話が「痛くてダサい伝説」となって笑えるネタとして受け継がれていたことも思い出してしまいました。
男子が最もやりがちだけど女子が最もゲンナリしてしまう行為の代表として「彼女に捧げる演奏」がある。
たった1人の演奏会に呼ばれて、下手くそな演奏を聴かされて涙するラストシーンの妻・奈々子はもはや「幼子(おさなご)の聖母」である。
面白いのは、これはオリジナル・ストーリーではなくて、事実がベースとなったドラマであるところなのだ。
舞台となる佐賀は、男尊女卑のイメージがあり、私もそのような印象を持っている。
それは地域への偏見だと思うが、この偏見が、“献身ファンタジー”を現実に着地させていて、物語に独特の説得力を与えている。
これが令和らしい演出だったらやっぱり無理が出てきてしまうでしょう。
これらの「男子の妄想の完全再現」を奇跡的に達成しているところもこの映画の凄さなのです。
なのですが、この「聖母信仰と昭和ロマン」は吉と出るか凶と出るかは、全く予想がつきません。
応援の言葉
ノスタルジックで昭和レトロのベタな演出、
“ガチ演奏”が放つアール・ブリュットのような光、
地域が孕む矛盾も呑み込み、
それらを束ねるのは、きっと、鈴木一美監督ひとりの妄想の純度。
『カメラを止めるな』、『侍タイムスリッパー』、インディーズ旋風はまだ吹き荒れているし、最近の映画の流れに見事に乗っている感じもある。
『ら・かんぱねら』がその風に
もうひとつの鐘を鳴らす日を期待しています!
埼玉では上映されてないのですが、
海のない埼玉県上尾市で『ら・かんぱねら』が上映されますように!
最後までお読みいただき有り難うございました!
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