私は、ずっと前から心のどこかで思っていたことがありました。
それは「銀河鉄道」のようなアートをやりたいということでした。
宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』に描かれる、あの旅路。
ジョバンニはカムパネルラと共に銀河鉄道で旅をしますが、カムパネルラは死んでいます。
死者の魂とともに列車でひとときを過ごし、彼を死の世界へ送り、ジョバンニはカムパネルラの死を受け止めるのですが、
その旅路があったおかげで、癒され、現実に戻って生きていく力を得るのです。
銀河鉄道は生と死の狭間にあり、それ故に夢とも現実ともつかない不思議な世界が広がっている。
ほんのいっときカムパネルラに寄り添って黄泉の世界へ送っていく「銀河鉄道」こそ、
アートの重要な役割だと私は感じていました。
人は誰しも、大切な存在との別れを経験します。
その喪失の痛みは励ましだけで癒すことはできません。
静かに寄り添い、共に感じる空間と時間があれば、現実を受け入れることができるのではないか?
私が創るアートは「銀河鉄道」のようでありたい、と、そういった思いがあったのです。
展示会での出来事
先日の〖13月世の白雪姫〗 新作挿絵と呪薬(ジュエリー)展 Vol.2では、
身内を失った方が何人かいらっしゃり、話を伺いました。
辛い思いをされている中、御来廊くださり、私たちの作品に触れ、
十三月世大使館で共に時間を過し、
「心が軽くなった」「来てよかった」と言ってもらえて、
私も本当に有り難いと思いました。
銀河鉄道としての十三月世大使館
そして、展覧会も終わり、ふと「銀河鉄道」のことを思い出したのです。
「十三月世大使館」が「銀河鉄道」のような場所に成れて来ているのではないか、と。
「この世(12月世)」と、「あの世(13月世)」を繋ぐ列車。
その旅に同乗し、ともに涙し、ともに微笑み、
最後には「ありがとう」と言って手を振る。
そんな魂の旅の「場」として「十三月世大使館」。
「芸術」はとても多彩なので一概に「これだ」、というのは難しいのですが、
私にとっての芸術とはこのような魂の触れ合いがある「場」であると考えています。
芸術は、魂を運ぶ列車の一両になれる。癒しと再生の風景を届けることができる。
祈りのかたちとしてのアート
これからも私は「銀河鉄道」が走る「間(あわい)」に在り続けて行きたい。
それこそファンタジーであり、" 祈りのかたち "だと思うのです。
十三月世というもうひとつの世界があり、
この世界(12月世)との狭間に建つ十三月世大使館。
誰かの心の旅に寄り添う銀河鉄道としての十三月世大使館。
死後の世界を含んだ「絵画観」
そして私は作品のなかに「死後の世界がある」という宗教観を設定しています。
その理由は、特定の宗教に属するものではなく「絵画観」から来ています。
絵画制作中とは絵にとっての「人生」であり、絵の完成はすなわち絵画にとっては人生の「死」である。
そして、作品発表は「死後の世界」となるのです。
なので絵画には「涅槃性」があると私は考えているからです。
十三月世大使館という「銀河鉄道の車両」
十三月世という神話的で詩的な世界観の中に、生と死を超えた意識の旅があるのです。
十三月世大使館は銀河鉄道の車両のひとつでありたい。
アートを通して、生に意味を与え、死後の世界を想定し、命を祝福し、
失った存在は「なお此処に居る」という感覚を届けていきたい。
十三月世の世界観がその受け皿となることを私は望み、また、信じています。
最後まで読んでいただいて有り難うございました!
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