絵を描いていると「好きなことをやっている人」だと思われるでしょう。
確かに物心つく前に描く行為が好きだった形跡はあります。
3、4歳くらいから高校1年まで暮らしていた公団住宅の壁や窓ガラスや柱、タンスやフスマはクレヨンのラクガキだらけだったのだ。
しかし、それを描いた記憶がない。
物心ついた時にはラクガキとシールだらけの家に暮らしていたのだ。
ラクガキは「車」とか「人」とかそういう名詞化された「何か」を描いているわけではない。線がぐちゃぐちゃと、または、ちょろっと描かれてる。
世界を認識する前の絵(線)だ。言語化される前、意味化される前、世界が分離してない未分化な状態で描かれる線だ。
これはまったく今と同じスタンスの画法だ。
物心つく前のラクガキと同じことを僕は今やっている。なんという因果なのか。
オートマティックに描いてる理由は、物心つく前の世界観、記憶に上らない無意識下にアクセスするため、なのだ。
ではなぜ物心つく前の状態にアクセスしようとしてるのだろうか?
それは、物心つく前が幸福だったからではないだろうか。
(しかし、幸福が物心つく前のみに存在してるとも思えないけど)
オートマティズムは「幸福との接続」。
闇を潜り抜けて甦る再生への希望。
闇を潜り抜けて甦る再生への希望。
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