ヤンキー文化とオタク文化をちょっとだけ考えてみる

僕はオタクでもなければヤンキーでもない。

だけど最近ヤンキー文化について考えることが多くなった。
その大きな理由は、自分が育った場所のヤンキー濃度がうんと濃かったからである。

ヤンキーエッセンスの溢れかえるこの片田舎の空気を多感な思春期に吸って生きてしまったわけなので「ヤンキー文化」が染み込んでいるはずだと思うのだ。


小学生で仲の良かったクラスメイトたちが中学に上がると一斉にヤンキーになってしまう。
何かショックだった。姿形が急激に変化する、声も変わる、友達が皆、怖い人たちになって違う部族になってしまったのだ。

けどヤンキーの仲間に入りたいとは微塵も思わなかった。センスが嫌いだったし、暴力的な感じが苦手で怖かった。僕たち小市民中学生はヤンキーたちに目をつけられないように気を付けて登下校をしなければならなかったし。


「ヤンキー文化は向こう側」と僕はずっとそう考えていた。

ヤンキー文化を向こう側に捉えて笑うアートもある。ヤンキー文化論もヤンキー文化を向こう側に捉えている。そこにはどこか白人が有色人種原住民を観察するような「上から目線」がある。

僕も一緒になってヤンキー文化を「向こう側」に捉えて、笑ったり考えたりしていた。



だけど失恋と震災が重なり、その考えが変わった。

失恋を通して、「ああ、自分は所詮学歴の無い片田舎の母子家庭の公団育ちで、都内に出て同じ反対運動を共にしても、食うに困らない環境で生まれ育ち食うに困らないで生きていける人たちとは見えない壁があったのだ」ということに気が付いてしまったのである。

そして震災後、都内を活動の拠点にしていたことに対して疑問を感じてしまったのだ。
要するに「東京」にステイタスを感じていたのだ。せっせと足繁く都内に通い、「中央」に「回収」されていた自分に気が付いたのである。


地元にとどまり、近所を走ったり散歩したり、行き交う人たちの流れや空を眺め、街の風景の中に溶け込みきれない自分に「僕はここに居るんだ」と言い聞かせ続けた。

今でも地元に馴染めてるわけではないが、徐々に「向こう側であったはずのヤンキー文化」が自分の内にもあることに気がついてくるのだ。


例えば、自分の妹はまるでヤンキーではなかったのだが、結婚して地元に暮らし、普通に茶髪で子供たちはどことなく「キラキラネーム」っぽい。こんなことを書くと怒られそうだけど、無意識レベルにヤンキー文化は地方で一般化してる。
地元のパート先では腕にタトゥを入れた茶髪の女性が普通にいたりする。『魔法少女まどかマギカ』をパート先の職場では誰も観てなかったりする。エグザイルのクリアファイルを普通に持っていたりする。

案外とそういう空間に居る自分が楽だったりする。




ところで、オタク文化と現代美術は似てる。

それはほとんどが「引用」で表現されている世界だからである。
オタク文化と現代美術の「引用志向」は「科学」に基づいてるのだろう。
ガリレオが地動説を唱え、ニュートンが万有引力を唱え、アインシュタインが相対性理論を唱え、と、例えがザックリしすぎていてアレだが、要するに過去の人たちの科学的成果を引用して繋げて科学という文脈は作られている。
科学者は仮説を立て過去を引用し実験して仮説を証明する。

オタク文化も現代美術もこの手法に倣っている。
科学の「引用して構築する」部分だけが抜き出されてオタク文化と現代アートに転用されている。


僕はこの教養主義的な価値観がどうにもカンに触って嫌いだったのだけど、この僕の感じ方は「ヤンキー文化」を基盤にしているからかも知れないと思ったりもするのだ。

ヤンキー文化は感情を主体に思考する。
感情はどうしても自分から出てきてしまうものだ。なので他から借りた「引用」で自分の感情を表現するのは「嘘」だ、と感じてしまう。



オタク文化の「引用」だけでは物足りない。かといって対立軸にヤンキー文化を持ち出して対抗するほど僕はヤンキーではない。


ここいら辺を考えて面白い文脈を作ってみたいとふと思ったのだ。


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