続・意識ってなんだ?

意識とは裏腹に脳は活動をしてる。
脳だけではなく、心臓も脈打つし呼吸もするし胃腸だって動いてる。

ひょっとしたら休息が必要なのは「意識」なのかも。

「意識は高く持つ」ようにした方がいいのではなく、なるべく「意識」を無くす場面を多く持つ方が良い感じがする。

意識が無くなる場面とは、まずは「睡眠」だけど、次いで「集中」している時間だ。

そしてその次は「反射」的な行動の時。
これは面白くて、突然人とか猫とかに遭遇して親切にする時って反射的で意識の次元ではないことが多い。「親切」とは人格とか人徳ではなく、とっさにしてしまう直感なのだ。

「意識高い」とか「意識低い」とかではなく、親切は無意識なのだ。

何を言いたいのかのというと、結局突き詰めるとやはり「意識」とは後付けでやってくる面倒なものだ、ということなのだ。
そしてこの「意識」の範囲内でしか人は世界を「認識」できないのだ。



ところで、僕は台所で洗い物をしている時、よく考え事をしている。集中してるのではなく「うわの空」の状態だ。

なぜか特に多いのは、告白してフラれたことから派生する哀しくて絶望的な場面と思いが連鎖反応のように続いていくことなのだ。
ちょっと前まではそのイメージが意識に立ち上ると鬱に転じて苦しくなるのだった。

キッチンでの洗い物は「失恋を追体験する儀式」のように過酷なものだった。

受動意識仮説的には「洗い物をする」というスイッチによって無意識下で並列分散的に脳内の小人さんたちが活動し、この場合決まって失恋のイメージが最も目立つ小人さんになるので、意識がそれを眺めて切なくなっているのだが。

この面倒くさい「意識」を超えて「無意識」にコミットしたいというある種の欲望が僕の線譜でもあるのだ。




もちろん、絵を見てなにかを感じるとするならばそれは「意識」なので無意識そのものにはなれない。
だが、「無意識をほのめかす」、あるいは「無意識のおもかげがある」とか、そういうことは可能だと思う。

人間が太古の昔に水棲生物だった頃の何かを無意識的に実践しているように。

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