美味しんぼの鼻血騒動で、もう一度原発について考えた


美味しんぼが話題である。「鼻血は被爆か?」が大騒ぎになってて最初はそんなに興味が沸かなかったけど騒ぎが事のほか長引いてるのでちょっと考えてしまった。


まず何を思ったのかというと、3つ。

1.美味しんぼまだ連載やってたんだ!
2.「鼻血」ってとても面白い現象だということ。
3.有名人は炎上したり盛り上がる話題に敏感に反応して、なるほどと思うことを即座に言葉にできるということ。


例えば、もし仮に「被爆で飛蚊症(ひぶんしょう)になる」という症状が現れるとして、それを漫画に描いてもここまで話題にならなかっただろう。被爆の影響かも知れない生理現象はきっともっといろいろあるだろうが、その中から漫画表現として「鼻血」をピックアップするところがやはり凄いなあと思ったのだ。
学校で授業中に誰かが鼻血を出してクラスは大騒ぎになった体験をしてる人は多いのではないだろうか。子供心に鼻血は面白いのだ。
鼻血は見た目のインパクトがあるし、子供の頃から慣れ親しんできて、分かり易い。この分かり易いものを発見するのが表現者の才能でもある。


それから、僕は最初、この騒ぎにまるで興味が沸かず「なんだかなー」という感想しか持たなかった。しかし、文化人っぽい有名人がこぞってこの話題に食いついてるのを見ていくうちにハタと気が付いたのだ。「やっぱり有名になる人は人々が騒ぎ出す事柄を嗅ぎ分け敏感に反応する感性を持っているんだ!」と。
僕はボーッとしていてそういうことに気が付かなかったり関心が沸かなかったりする。で、売れるためにはこういうアンテナが必要だと直感したのだ。
「我が道を行く」にしても、流行には常に感覚が働いている、その方が生きていける確率が上がるんだ、と。



そして、ここから本題である。これらは騒動にまつわる事柄であって核心ではない。
要は「原発に対してどう考えているのか」、である。美味しんぼで作者が表現したいのはそれだろう。
「自分は原発に対してどう思っているのか?」僕は制作中や散歩中、そんなことをつらつらと再考するのであった。


まず思い出したのが、敬愛する「みうらじゅん」のニュースだった。

みうらじゅん「東電の仕事は全部断った」(2011年4月23日(土)16時47分配信)


僕は当時、自分に問いた。


ある日、東電と政府の人がやってきた。
「原発をPRする作品を作ってください」と。
「一千万円の金と、それから大学の先生にしてあげましょう。退職後はいくらでも天下り先があります」、と。


貧しい僕は考えた。考えて、考えて、考えた。


僕の将来は何の保証もない。
僕に高いギャラを払ってくれるクライアントもまだいない。そして将来そんなチャンスがあるとも限らない。


毎日、不安で苦しい。
稼げない自分が辛い。
評価されない自分が情けない。


これから先、生きていけるかも分からない。



そう、僕は、買収される。


貧しいから。不安だから。そして、弱いから。

みうらじゅんとは違うんだ。


それが分かった。


僕は悔しくて、ちょっと泣いた。



原発を受け入れてしまった人たち、そして日々の糧として原発で労働する、原発が必要な人たち。

原発なんて、なくなって欲しいけど。けど、自分も一緒じゃないか。


食いっぱぐれない人間だったら、
生きてくのに自信のある人間だったら、
どんなにか、いいか。。。


僕がやったことといったら10Aにして東電にお金を払わないようにすることだった。けど、生活が不便で1年で20Aにした。
本当に原発反対なら自家発電でもやるはずだけど、何もしてない。
これが僕の原発に対する生き方としての態度だろう。


情けなくて、ちょっと泣ける。


そして僕は「原発反対」と声高には言えなくなった。言わなくなった。



まずはちゃんと絵で稼ぐことだ。
もし東電から原発PR作品の依頼がきても「まことに光栄ですが、お金は足りてます」と言えるように。
そう考えるようになったことを再度思い出し、確認するのだった。

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