ろくでなし子さんを好きだということは前提にあれこれ思うこと。
ろくでなし子さんはちょっと前にチラッとTwitterのRTかなんかで回ってきてて「自分の性器の型でボートを制作したアーティスト」という認識だった。
「性器ものアート」はそれこそ一杯あるし、自分自身も男根が正座してるオブジェを共同で作ったことがある。
「お!」と思ったのは「自分の性器をスキャンした」ところである。それには二つの面白さがある。
1つは、メタファーとかテーマとしての「性器」ではなく、「自分の性器」という自叙伝的なアプローチだというところ。物語はあくまで「自分」ということろが面白いと思った。
そしてもう1つは、「3Dスキャン」という今ならではの技術を使ってるところ。
そして、「自分の性器の型でボートを制作」してることも興味深い。
というのは、人類最古の乗り物は葦舟と言われているが、その葦舟の形は女性器とそっくりなのである。
僕は昔、冒険家の石川仁さんの葦舟作りワークショップに参加したことがある。(参照:カムナプロジェクト)
そこで実際に一人乗りの葦舟を作ったことがある。
出来上がった葦舟は女性器みたいだった。舟にして祀る偶像のような葦舟。
「葦舟は時間を超える」と云われてたらしいけど、陸路だと相当大変な距離を海流を利用した葦舟はあっという間に航行する。太古の人たちにとって葦舟はまるで神のような凄い乗り物だったわけだ。そして葦は神の植物だ。
葦舟の話は面白くてまだまだあるんだけど、割愛して、つまり、女性器と舟の関連はプリミティブなわけだ。
ろくでなし子さんは自分の性器でボートを制作してるけど、そういう人類の原初的な何かをも捉えてる感じがしたのだ。
・メタファーとしての性器を扱ってるのではなくて自分の性器をスキャンしてる。「自分の物語り」を軸に置いている。
・3Dスキャンという現代ならではの技術を使用してる。
・「女性器で舟を作る」アイデアは、人類最古の乗り物「葦舟」が女性器と酷似してるという人類の原初的記憶を想起させる。
以上の3点がアーティストとしての特徴点だと思ったのだ。
そして、本名が五十嵐恵という割とフツーだったのと、42歳だったことを知り、好きになりました(笑)。
「芸術家・ろくでなし子氏(五十嵐恵容疑者)の即時釈放」を求める署名にはもちろん賛同しました。
逮捕された直接のきっかけは「性器の3Dデータの配布」で、「3Dデータ配布」という旬な問題点を突いてるところもアーティストとしてカンは働いてるなあと思った。
どれだけ確信犯かは分からないけど「逮捕される可能性がゼロではない」ことくらいは薄々分かってたんじゃないかな。逮捕されることによって「浮き彫りになる事柄」に価値を求めたんじゃないかなあとは思う。
物凄く知名度が上がるし、芸術家としての称号も確定するだろう、という狙いもあったんじゃないだろうか。
なので、あんまり「芸術の弾圧だ!」とは「日本は酷い!」とか「警察はいつでも馬鹿だ!」とか、正直思わないです。感情的なところでは。
この逮捕劇を利用して自論を展開する「あざとさ」を、ろくでなし子さんにリスペクトを籠めて、持ちたいと思った次第です。
ここで、以下の記事を紹介します。
『女性アーティスト・ろくでなし子が語っていた本音 「女性器は現実。汚いものとして嫌ってる風潮が疑問だった」』
この記事を読んで僕も「疑問」が湧きました。
一体誰が女性器を「汚いものとして嫌ってる」のだろうか?
「風潮」って言ってるけど、どこにそういう風潮があるんだろう? 僕にはさっぱり分からなかった。
本当は個人的な関係の誰かに言われたとかなのではないだろうか?
または、ひょっとして「汚いものとして嫌ってる」のは本人だったりしないのだろうか?
自分の性器をスキャンするという「自分」に立脚した作品を作ってるのに、ここの文章ではまるで「大きな悪」があるかのような物言いになっていて、僕はすごく引っかかったのだ。まるで何らかのイデオロギーをなぞってしゃべってるような感じで。
きっとそう物言いの方が賛同を得やすいとか、ある種の計算が働いてるのかなあ。。
なぜか、茨木のり子の詩が思い浮かんだ。
倚りかからず
もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
僕が何でろくでなし子さんのことをブログに書いたのかというと、僕も逮捕された経験があるからだ。反応せざるを得なかった。まあ僕の場合二十代だったし、ガチで馬鹿で一直線だったから比較はできないか(笑)
けど、逮捕によって芸術家としての物語が作れることは直感的に分かっていた。あざとさは持ち合わせていたのだ。
そうは言っても、檻の中は結構ツライ。黙秘して拘留期間が長引いたりすると本当に感覚が鈍麻してくのが分かるのだ。。
ろくでなし子さんに向けてなのか、自分自身に向けてなのか、茨木のり子のこの詩を捧げます。
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
頑張ります。
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