パクリ問題ではなく「ヨッピー VS イケダハヤト」を考えたのです。



フェイスブックでこのブログエントリーが目にとまったので何の気なしに読んでみたんです。パクリ問題についてヨッピーさんがイケダハヤトさんに激怒している記事です。
なぜか妙に気になったのでブログに書いておこうかなあと思いました。


イケダハヤト氏が全クリエイターに対して宣戦布告を開始


読んでパッと感じたことは「人がカンに障るような表現」でした。
誰かを苛立たせたり怒らせたりしそうな表現手法は「現代アート」では割と思い当たる。「人を傷付けない表現」よりも意味や価値が与えられることも多い。


イケダハヤトさんは「人がカンに障るような表現をする人」。
ヨッピーさんは「人がカンに障るような表現をしない人」。
と、感じたのです。




で、もう一度、イケダハヤトさんのテキストを改めて読んでみると割とフツーにまともなんです。他のエントリーも内容自体は「すごくふつうにまとも」と思いました。


ブログのタイトル『まだ東京で消耗してるの?』とか、
エントリーのタイトル『コンテンツを「パクる」のは、なぜいけないの?教えておじいさん!』とか、
それからテキストの言い回しの端々が、「誰かのカンに障る」ように表現されている。

そこのテクニックが上手なのでしょう、言い回しに技術とセンスがある。



一方、ヨッピーさんは『ヨッピーについて』を見てみると、真面目な人だからこそ思いつく「バカバカしいアイデア」を「実際にやる」という内容で、行為は過激だけど「人のカンに障る」ような表現ではない感じがしたのです。


対照的だと思いました。


ヨッピーさんのエントリーから先に読んじゃったせいもあるけど、ヨッピーさんの方が好みに感じました。


けど、イケダハヤトさんは気になります。
そこそこ普通の内容のことを、言い回しの技術「カンに障る物言い」で食べているスゴさ。「諦めの凄さ」がありそうです。



ところで、
そもそも、なんでこの騒動を知ったのか?

フェイスブックで神田敏晶さんが「なぜ?そこまでみんなイケダハヤトさんが気になるのかがまったくわからない(笑)」と書いてシェアしていたのが偶然に目に止まったからです。


神田さんはセグウェイを輸入して捕まるとか、ちょっと珍しいことをやったりしてた人だ。

例えば、イケダハヤトさんが田舎に移住してるけど、別にそれって何も珍しくない。むしろ、それは「普通にまとも」だ。イケダハヤトさんって「行動」も「言論内容」も「普通」なんですよね。

なので神田さんが「なぜこんな凡庸なことしかやってないし書いてないイケダハヤトさんが炎上するのだろう?」と不思議に思うのかも知れません。「カンに障る言い回し」が気にならなければいたって普通にまともな事を書いてるので。





表現とは、「なに」を「どう」するか。で、ある。「出来事」と「枠」と言い換えてもいい。「内容」と「伝達手段」と言い換えてもいい。


「なに」が「普通にまとも」な場合は、「どう」を工夫するしかない。
「なに」が「過激」な場合は、「どう」は「普通に表現する」方がいい。



自分の場合「なに」とは「愛」とかだったり、、、身も蓋もないほど平凡だ。普通なんだと思う。なので「人のカンに障る表現」を一生懸命「コタツ」で書いてるイケダハヤトさんの姿に共感する。
一方で、ストリートで描いたり「なんでそんな金にもならないバカなことをわざわざやるの?」的なことをやってきたので、ヨッピーさんのように体を張るやり方にも共感する。



なのでイケダハヤトさんとヨッピーさんの間を行ったり来たりするのだ。



ただ、正直なところ、僕はヨッピーさんがなぜそんなに怒るのかよく分からないし、神田さんと同様になぜイケダハヤトさんが炎上するのかもよく分からない。
「両者ともなんか元気があって、いいなあ」と眩しさに目を細める、というのが感想かな。


ということで人のことをとやかく言ってるだけではアレなので、ヨッピーさんを線譜してみました。




『線譜・ヨッピーのエチュード・黙れや』









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