うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない。岡本太郎



岡本太郎が宣言した言葉。

「うまくあってはならない。
 きれいであってはならない。
 ここちよくあってはならない。」

僕もこの考え方とまったく同様であった。


上手なだけの絵、きれいなだけの絵、は軽蔑の対象ですらあった。
現状を肯定しその上に乗っかって気持ちよくなるような作品なんて作ってはいけない。
「お前らの信じてるものなんて全てインチキなんだ!」と現在の価値観を破壊してやりたかった。
心地よくするのではなく、ショックを与えたかった。
最初はそんな気持ちで絵を描いていた。


しかし「うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない。」を続けるのは無理があった。


ひとつは、心の奥底に
「もっと自分のイメージを表現できる技術を身に付けたい!」
「もっと心地よいバランスを形にできるようにしたい!」
「耽美が本当は好きだ!」
というのが存在してたからだ。


価値観を破壊したり不快なものや醜いものや闇やネガティブを求める気持ちは、若者にありがちなもので成長過程の通過儀礼のようなものでもあるだろう。

主体や主流や体制という「大人」のメタファーへのアンチテーゼ。
それは「若者目線」である。


「うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない。」
これは、「うまい」「きれい」「ここちよい」という体制に対するアンチテーゼだ。

アンチテーゼの悲しいところは、一見それらは「自分という芯」や「ポリシー」を示してるように見えるが、その実「主体が向こう側にある」依存状態である点だ。


「大人」を受け入れることによって自然と気持ちや考え方が変わる。それはまた素晴らしいことでもある。
変わらないところもあるけどね。


存分に反抗したら、いよいよ本来の自分に還れる。それが「大人」なのかもしれない。


上手と綺麗と心地良いに反抗した思考を経て「上手で綺麗で心地良い絵」を描く。
それは反逆者を内包している。

その方が面白いなあと最近は思うのだ。

大人になったのかな(笑)

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