【羽化の作法 51】シャーマニズムとアニミズムとアート

◎1997年7月8日(火)

「あついぜ」と書かれたこの日の制作ノートNo.10より、描かれた段ボールハウス絵画はこれ。

制作ノートNo.10より
1997年7月8日(火)に描かれた段ボールハウス絵画


ところで、駒場寮の門へのペインティングについての記述があった。

◎1997年7月22日(火)

“東大(駒場寮)の門に描けば、たった二人の東大生に反対され、駒場寮委員会が開かれ、無気力派を抱き込んで絵を白く塗るという案を可決”(制作ノートNo.10より)

つまり、門に絵を描くのを反対してたのは二人の駒場寮委員会の東大生だけで、その他の学生はどっちでもよかったのだけど、反対を主張する二人に倣う形で門へのペインティングはNGとなり、加えて「門を白く綺麗に塗り直す」という罰を僕らに与える決定を下したのだった。

「反省の印として門を綺麗に白く塗って、罪を償って貰いましょう」

「野宿者の段ボールハウスに絵を描くアーティストなのに、非常に残念です。君たちにはがっかりさせられましたよ」と、東大駒場寮委員会の議長だか書記長らしき東大生に言われた。

僕らは不承不承門に描れた絵の上から白のペンキで塗り潰した。

そしてこの日、イトヒサと120号のキャンバスでコラボレーションを開始する。


●新宿西口地下道に精霊がいる

制作ノートNo.11の冒頭にこんなことが書いてある。

「僕は「土」から切り離されて育った。団地という小世界に精霊が宿るはずはなかった。僕は子どもの頃、団地でやる「祭り」というものに違和感を覚えていた。

「団地の祭り」のように、霊とコミュニケーションしない「祭り」に嘘を嗅ぎ取っていたのである。まだ「祭り」の意味を知らない頃に」

新宿西口地下道に精霊がいる感じがしてから、僕は「霊」に取り憑かれていて、しょっちゅう「霊」に関することばかり考えていた。それは自分が育った環境に「土着の霊」がなかったことと関係があるような気がしていた。過剰に「霊」を求め、期待していたのだろう。

制作ノートNo.11に続けて書いてある。

「僕にとって解決しなければならない課題がある。それは精霊の問題である。僕は何かを感じる空間に「精霊が宿っている」と言って来た。果たして本当にそうなのであろうか?

「感じたことを描くだけ」であるならば、僕は理想や欲求など持ってないはずだ。しかし、僕の中に薄ぼんやり自分の桃源郷があり、それを目指してるところもある。

霊感(インスピレーション)を重要視していくと、想像力や欲求といった類のものはどんどん薄らいで行く。想像力とは欲望なのだ。

霊というものを重要視して行くと、表現は「向こうの世界」のメディアになり、想像物という著作権意識は消える。表現物は霊(宇宙)と現世を繋げる「おふだ」みたいなものになるのだ。

作者は「芸術家(創作者)」ではなく、「使者」であり「シャーマン(巫女)」のようなものになる。彼の中に理想はない。ただ単に霊界の風景を写し取って行く媒体なのだ。

しかし、そうすると「現世」と「霊界」は別々に分かれていることになる。僕の直感する「霊の世界」は「人間の精神」であったり「自然の精神」であったり「宇宙」であったりして、「現世」と繋がっているのだ。

心の奥のそのまた奥に精神がある。空の上のそのまた上に宇宙がある。物質の向こう側に霊界がある。見えないが感じることによってこの存在が証明出来る。」


段ボールハウス絵画の描き方は、「現場に行ってその場で描くことを決める」だった。それは予め考えていた図案を段ボールハウスに当てはめてしまうのは、家主に失礼だと思ったから。

結果、行き当たりばったりに絵を描く方法になった。

絵の描き出しは何の意図を持たずに「なんかこの辺りにボリュームがある」とか、そういった当てずっぽうのカンみたいなのを頼りに描いていく。

テンションを上げて、何かに憑依されてるように描くのだ。その画面から見えてきたものを描いて行く、というやり方だった。

言葉で言えば、原稿用紙に適当にひらがなをばら撒いて、そこから各々思いついた単語を生えさせ、接続させて文章にしていって原稿用紙を埋める。みたいなことだ。

で、案外と毎回それで絵に成って行ったりするのだ。この描き方を続けていると「この作品は自分の創作物なのだろうか?」という疑問も生まれてくる。

そして、絵が上手く行きそうかどうかは、描き始める時にすでに予感めいたものがある。

なので、「精霊に描かせて貰ってる」気がしたのかも知れない。ひょっとしたら本当に「精霊」なのかも知れないが。

「霊」とは何か? 科学では扱っていないが、洋の東西を問わず昔から「霊」を意味する言葉はある。

自分は絵を描いているので「創作」と「霊」を結び付けて考えていた。人は創作をするが、その根本は「霊」と関係している、と。

「芸術」の発祥を遡っていくと、それは「祭り(神事)」になる。「祭り」とは人が霊(界)と繋がることなので、芸術にも当然「霊」が流れ込んでいるはずだ。その霊成分が高いほど良い芸術になる。と、当時は考えていた。

僕は巫女のように霊界との媒体として憑依状態で絵を描き始め(シャーマニズム)、飛び散った絵の具の端々に霊性を籠め(アニミズム)、そこから朧げにある自分が描き出したい世界観に繋げて、「アート」という形に持って行きたかった。

制作ノートNo.11の9月4日にはこんなことも書いてある。

「『清らかなる小さくとも強く凝縮された美しい石の玉』のようなものを、作品から感じる人はとても多くいる。僕はこの「小さなとても硬いそれでいて何よりも強く美しい光を発する何か玉のようなもの」を見付けるのが大好きだ。発見した時には、いてもたってもいられなくなる。業や情を超えたところにそれは有る。1999年に僕は今の思いを形にする。」

1999年まであと2年。果たして僕はこの時の想いを形に出来るのだろうか。
(つづく)


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