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ネット世界の片隅で拾った画像 |
防弾少年団が原爆のTシャツを着て云々というニュースが少し気になってますが、詳細があんまりよく分からないのでなんとも言えない状態です。
ですが、ユヴァル・ノア・ハラリが「サピエンス全史」「ホモ・デウス」で原爆(核)が人類に平和をもたらした、と言い切っていて、それに対し、ユヴァル・ノア・ハラリ級の知性と理性で批判を述べてる日本人は今のところ見かけないんですね。
私もその「核が平和をもたらした」という部分だけは相当にモヤモヤするのですが、著者を批判できるだけの知力を持ち合わせてないことを自覚するばかりで。
原爆Tシャツに対しては感情的に反応してるのが多いですよね?
結局、右翼と左翼の対立の可視化に回収されてく、みたいな。
例えば、百田尚樹が腹を立ててるなら、きっとそれは感情論でしょうもない批判だから逆に回ろう、とか。
ひょっとしたら日本人って、というか私って、もう、ちゃんと知性と理性で原爆について述べられなくなってるのかも知れない。
基本的に原爆も原発も反対なんです。
ただ、それはどこか教科書を暗唱するような部分があることも否めないんです。
考えを掘り下げるとすぐに矛盾にぶつかってそれを解決できないんです。どこか「モゴモゴ・・・」ってなってしまう。
もし、日本人が原爆について何か表現するならば、きっと映画『この世界の片隅に』のように、「ひたすら日常を生きてる」とか、言葉にしにくい根源的な何かを圧倒的な表現力を使ってでしか現せないのかも知れません。
そのじれったさに耐えられないと、単純な感情表出に乗っかり、YesとNoの対立構造に陥ってしまうのかも知れません。
と、ここまで書いてみて、何か有用な結論に辿り着かないままに、その思考はわだかまりを残しつつ雲のように流れて行くのですが。
『この世界の片隅に』レベルまで行けなかったとしても、根源的な何かに向かって行くしかないなあ。
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