報われない「いい人」への讃歌

本日のエソラ

「いい人」ほど収入は少なくなる:研究結果」と言う記事がある。

ここで言う「いい人」とは「協調性の高い人」です。

「協調性」には6つの要素があって、「信頼性」、「率直さ」、「従順さ」、「利他主義」、「慎み深さ」、そして「優しさ」があるそうです。

「金持ち成功者が大切にしてる6つの要素」のように見えますが、研究結果からすると以上の6要素が低い「協調性」の無い人ほど成功するようなのです。

「争いの際に自分のポジションを積極的に主張する」ことをためらわない人は高収入、グループの利益のためにすぐに妥協する協調性のある人は低収入なのです。


残念ながら「お人好し」は収入が少ないのである。

小さい頃から私がずっと悔しがってきたことは、人間社会の法則として統計的に証明されたようです。

優しくていい人って競争社会で落ちこぼれていくなあと、自分も含め常々思っていました。

その「逆転劇」を願っていました。

しかし現実にはそんなことはやっぱり起こらなくて、いい人は損な役回りを背負わされていくのです。そして自己責任だと言われてしまうのです。


実際に新宿西口地下道段ボールハウスに絵を描いてた時、ホームレスの人たちにはこの研究結果を裏付ける「いい人」たちが多くいたように感じていました。
「利他的に振る舞うと結果印象が良くなって得をする」という戦略的利他主義で成功する人の利他性とは違った、生物的利他性のようなものをホームレスの人たちは結構持っていたと思う。

それは本能的「優しさ」であるのかも知れませんが、この社会で生きるには「弱さ」でした。

きっとその本能的「優しは」は、私たちホモ属がサピエンスだけではなかった遠い昔、大自然の食物連鎖の中で大したこのない我々サピエンスが生き残るために大いに役に立ったのかも知れません。

時が経つと、サピエンスがサピエンス社会の中だけで生きていけるようになってくる。するとサピエンス同士内の序列が重要になり、今のように「いい人」は損をするようになってしまったのかも知れません。


女の人へのアンケートで好みの男性像を「優しい人」って答えてたりしてるのをよく見かけますよね?
だったら新宿西口地下道の段ボールハウスに暮らすような男たちを女性は好きになりそうなのですが、ところがどっこい、自らを貧乏にしてしまう深い「優しさ」を持つ男たちを女性は好きになんかならない。イケメンではない限り。
この現実。

また、子供が生まれた親が「優しい子に育ってほしい」と言うのもよく聞きますよね?
だったら新宿西口地下道の段ボールハウスに暮らすような人間になることも親の願いになりそうなのですが、全くもって全然、競争で道を譲るような深い「優しさ」を持つ人間なんかに育って欲しくないのです。豊富な財産と地位を持っていない限り。
この切実。


お人好しの貧困者はますます苦しくなって行く、そんな地獄から脱出したい。
しかし苦しみは蓄積するばかり。
怒りと悲しみ果てにルサンチマンと化し、優しくていい人でお人好しの私はこの世を呪う邪悪な鬼のようになってしまいました。

呪いを克服して卒業した人は「キレイ」になれますが、ルサンチマンを無きものとして克服することなんて無理のような気がしました。




私は描くことで闇の中に一筋の光を見つけようとしていました。
何年も何年も描き続けてくうちに、本当に光のようなものを見出せるようになってきました。



呪いの闇を抱えながらも希望の光を描くのは「美」である。それは「キレイ」なだけとは違う。

痛みを伴いながら私は「美の使者」として生きる決意がある。
とは言うものの、それは単なる「ナルシシズム」だったりするのですが。


だから、もう、本当は卒業したいんですよ。さよならネガティブ。

そこにはまた一皮剥けた「美」があるはず。

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