ディストピアを想像する方が楽ってあるんじゃないかな。
想像力のポテンシャルエネルギーって楽観が高くて悲観が低くて、ゆえに人は悲観し易いのかも知れないってふと思った。
これは置かれてる立場によって違うので人それぞれだと思うが。。
かつては批判精神を持つ方がいろんな意味で高度だと信じていた。
けど私の状況だとむしろ社会に疑問と批判と不安を感じない方が難しい。
なので幸福であることこそがこの社会への抵抗だと考えた。
「幸福という名のレジスタンス」
それが15年くらい前。
そこから地道にその考えを押し進めてきたのかも知れません。
今では楽観こそクリエイティブなのだと思うようになり、
絶望を経たのちの再生(Reborn)を想像して行こうと思うようになりました。
なので社会を批判のまま表現しない方法を考えてます。
ひとつ思うのは、
暗い表現、ディストピア的表現、ネガティブな表現、やたら重い表現は若い証拠ではないだろうか、ということです。
またはそういう作品は若者ターゲットだったり。
死が観念から身近なリアルに迫ってくる実感を持つと、
どうしても軽やかに明るく陽気な方向に向かわざるを得ないと思うのです。
中年以降になっても暗い表現を志向してる人は若いのだと思います。
または、食うに困ってない状況なのだと思います。
裕福な人の方が深刻な表現が可能だと思います。
食うに困ってると実はあるレベルで陽気になります(笑
陽気でいないと死んでしまうからです。
そこから生まれる想像力があります。
でも、多少の余裕は欲しいところです。
再生 Reborn がやっぱりテーマとしてあるように思います。
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