科学を話題にする時によく出てくるお話がある。
かつては「天動説」が信じられていたが、コペルニクスが「地動説」を唱えた「コペルニクス的転回」のお話。
その物語にはさらに、
「地動説を唱えた科学者たちは当時キリスト教によって迫害されたが、やっぱり科学が真実であった」
という「迫害された科学の勝利の物語」がくっ付いていて、むしろこっちの方が印象に残っている。
しかし実はこれはフェイクだというのが現在の見解だそうです。
地動説について言及する際に、必ずといっていいほど、地動説がキリスト教の宗教家によって迫害されたという主張がされる。ローレンス・M・プリンチペは、「科学者」と「宗教家」の勇壮な戦いという19世紀後半に考案され普及した闘争モデルは、現在(2011年)においては、科学史家は皆否定していると述べている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E5%8B%95%E8%AA%AC
どうやら地動説を唱えた科学者たちは迫害なんかされていなかったようなのです。
「迫害や弾圧に耐えて勝利してきた正義の物語」は事実より強い。そしてその物語への反動も強い。
科学そのものは正確なのに、その物語が過剰になる。
このように「科学にまつわる物語」が歪んでしまったために、結果として「科学的正確さ」は無視されがちになってしまってるのかも知れない。
マルクス主義の思想自体は良いところあるのに、マルクス主義者たちの言動がマルクス主義そのものを「劣悪な20世紀のイデオロギー」に貶めてしまったように。
ゴーダマシッダールタの説いたことは偉大なのに、女性のお坊さんをほぼ見かけないとか葬式仏教のイメージのおかげで「釈迦の教え」に耳を傾ける気にならなくなってしまうように。
まあそれはさて置いて「天動説」の図は今でもなんかグッと来るものがあります。
トップの画像もそうですが、こちらの図版もそう。
天動説の図を眺めてると分かってくるのですが、やはり天動説って「物語」なんですよね。だからなんかワクワクしちゃうんですよ。
今でも「フラットアース」を信じてる人たちは一定数いるそうです。それは「確証バイアス」が働くためのようです。
仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視または集めようとしない傾向のこと。認知バイアスの一種。また、その結果として稀な事象の起こる確率を過大評価しがちであることも知られている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A2%BA%E8%A8%BC%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B9
フラットアースを支持してる人たちをディスりたいわけではありません。例え一見すると荒唐無稽な考え方でも一旦そう思うと考え方を補足・証明するような情報がその人には入ってきてしまうのです。
これはフラットアースだけに限ったことではありません。
例えば、「ニートは人間のクズだ」という考え方を持った人がいるとします。そうすると、その人には「ニートはクズだ」という情報が飛び込んでくるんです。「確証バイアス」がかかって「ニートという在り方も充分有りなんだ」という価値観を示す情報は入らないんです。これによってますます自分の信念を強化して行ってしまうのです。
ネットやSNSにはどんどん自分の信念を強化する情報で溢れてしまいます。この現象を「フィルターバブル」と呼んでたりしますよね。
「インターネットの検索サイトが提供するアルゴリズムが、各ユーザーが見たくないような情報を遮断する機能」(フィルター)のせいで、まるで「泡」(バブル)の中に包まれたように、自分が見たい情報しか見えなくなること。ネット記事で見かける「年配の人がネットをやり始めてあれよあれよとネトウヨになってしまう」のはこの「フィルターバブル」の力学で説明がつきます。さらに現実生活でも「確証バイアス」によって信念が強化されていくのです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%96%E3%83%AB
興味深いのは本人の中ではそれが疑いようのない事実として感じてしまうことなのです。そしてこのバイアスは知的レベルを問わないのが面白いところなのです。頭が良い人はバイアスが無い、とか無いんです。むしろ「私は頭良いからバイアスに引っ掛からない」と思ってる人ほどバイアスにハマるそうなんです。
対策はバイアスが存在していることを認識するより他はありません。
しかしそれでも消すことはできないようです。目の錯覚みたいなものなのかな?
生存に必要だからそうなっているのでしょうけど。不思議ですよね。
しかし、このバイアスのおかげで人類は魅力的な「物語」を編み出せたんだと思うんです。
架空の世界の中で物語を進行させるにはフィクションの時空で無理矢理にでも辻褄を合わせようとします。そんな時この「確証バイアス」が働くおかげで荒唐無稽でダイナミックに物語が膨らんでいったのではないでしょうか。もちろんバイアスだけでは物語は作れませんが。
例えば、天変地異と自分の心情を結び付ける物語とか。私の燃え上がる片思いの恋心が天災を起こす。という信念を持ったら確証バイアスでとても不思議な物語になると思うのですが、どうでしょう(笑)
「バイアス」という非合理的で不正確な判断をするバグのような人間の脳のおかげで神話や宗教の物語が作られ、そして「バイアス」のおかげで実際に奇跡や超常現象を目撃し、体験するのです。
お釈迦さまはそれら含めてまるっと「空(くう)」だとおっしゃってるみたいなので、なんとなく現代の脳科学と一致しますけどね。
バイアスはなくせない。どうせだったらそれを使って楽しんでしまえ、というのが文化・芸術なんだと思います。
楽しい信念を作って「確証バイアス」でその楽しい信念を育んで生きて行けたらそのその方が幸せですからね、そうやって生きていこうと思ってます。
最後にバイアスの種類を書いてる記事を紹介します。
▶︎ 【バイアス】あなたが知るべき13の認知バイアス(人生に役立つものだけ)
有り難うございました。
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