羽化の作法[118]現在編 地動説と天動説のGif画像から意識の謎を探る

前にも紹介しましたが、まず地動説と天動説のGif画像を見てください。



私たちは天動説から地動説へと変わってきた歴史を学んだので、左のモデルが正解だと知っています。

しかし、右側のモデル(天動説)は間違っているわけではありません。私(地球)を中心として惑星を見ると、実際に惑星が逆行します。誰が観察してもそうなります。右側の動きだって再現性があって正しいのです。

どちらも「本当」なのですが、科学は客観的でシンプルな左の地動説モデルを採ったのです。

ちなみに、どっちが面白そうか?
と問われると私は右側の天動説に魅力を覚えます。動きが複雑で神秘的に感じてしまうからです。

この地動説と天動説のGif画像は、「主観的に観察すると複雑に見える自然現象を客観的に捉えるとシンプルになる事実」を映し出しています。

また、どちらも同じ事象を正確に取り扱っているけど「モデル」が違うだけ、とも言えます。

天体って神秘的ですよね。それを主観で解釈すると、「モデル」が際限なく増えます。それらは物語化されて神話になったり、宗教や哲学、そして芸術とかになっていったのでしょう。

一方、近代になって生まれた科学は、最もシンプルな「モデル」に絞り込んで、一つの正解に到達して行く動きに見えます。そうして導き出された「物理法則」は、私たちを裏切ることなく、iPhoneの地図のナビゲータになったりして、最終的には私たちに利便性をもたらしているわけですよね。

最初の地動説と天動説のGif画像のように、これらふたつはなんとなく棲み分けられている感じがします。

ところが「意識の謎」の話になると、この主観と客観のふたつをドッキングさせる必要があるので、ワクワクしてしまうのです。

というわけで、11月28日(土)は以下の講義を受講しました。

自然科学カフェ(第52回)オンライン
意識クオリアの構造と情報構造の関係性の理解に向けて
https://naturesciencecafe-tsudoi52.peatix.com/

講師は土谷尚嗣さん。統合情報理論(IIT)をベースに、意識を研究されています。以前にこちらの動画を見たことがありました。

【脳科学の達人】土谷尚嗣【第38回日本神経科学大会 市民公開講座】



ここで土谷さんは、冒頭で「占い師にお前の前世は餃子だと言われて気に食わなかったら云々」と話されていて、前世を餃子に設定する例え話に衝撃を受けました。そして、夢こそ意識の本質であることに、すごく合点がいきました。

今回の講義も、とても楽しく受講できました。土谷さん、ありがとうございました!

ここで印象に残った点を記しておきます。

まず、「注意と意識は違う」というのが興味深かったです。注意を向けても意識されない、意識されていても注意は向いてないこともあるので、注意と意識をイコールにしてごっちゃにしない方がいい、という話です。なるほどなあと思いました。

それから、いま私たちが使っているノイマン型コンピュータでは、いくら頑張っても意識は生まれないだろうというのは、なんとなく「(ちょっと残念だけど)だよねえ。。。」と思ったのでした。

ニューロンのように発火して次に繋いで……みたいなのを物理的にこしらえて、脳と同じアルゴリズムを作ればそこには意識があるだろう、と。なので将来、マインドアップロードが可能になるとしたら、それは非ノイマン型になるのではないでしょうか。

ここでいつも思うのは、脳の仕組みのような生物、例えば粘菌の集合体とかに意識はありそうだなあとか思うのです。また、脳と構造が酷似している宇宙にも、意識ってあるのかなあとか思ったりするのです。

やはり、脳と宇宙の構造は似ている......最新研究(Newsweek)
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/11/post-95038.php

また、そうなるとやっぱり気になるのが、前回にも書きました茂木健一郎さんの動画で語られる「レプリカントの私」問題です。

ベルグソンの純粋記憶について



私とまったく同じレプリカントを今作ったとして、土谷さんの話が正しいとするならば、そこには意識があるわけです。

「レプリカントの私」にも「自然状態の私」にも、同様に5歳の記憶があるわけです。仮に私が50歳だとすると、「自然状態の私」は本当に45年前から存在してるので当然ですが、「レプリカントの私」は、今さっきこの世界に登場したのに、45年前の記憶があるわけです。

この場合、両者の45年前の記憶のクオリアは本当に同一なのでしょうか?

もっとも「自然状態の私」の記憶も怪しいもので、あとから捏造している記憶もいっぱいあるわけです。「オレって晴れ男でイベントはいっつも晴れるんだよね」と言った時は、イベントが雨だった過去の事実はなかったことになっています。

また、記憶は現在の精神状態に影響を受けます。

生き辛くて苦しかった時は、自分の過去はまるですべて最悪だったかのように蘇ります。しかし、なんとなく楽観的になってきて「幸せだよなあ」って思えるようになると、どんな自分の過去も意味ある素敵な出来事に実感されるのです。

このように、記憶と事実はイコールではないので、45年前に存在しなかった「レプリカントの私」に、5歳の時の生々しい記憶のクオリアがあったとしても、何も不思議ではないのかも知れません。

というか、そもそも私たちだって1年も経てば細胞は入れ替わっているので、私の身体には45年前のものなんてないわけです。これって「今作ったレプリカント」と同じ意味ですよね。


●統合情報理論とフォノグラム


あともう一つ、気になるのは「圏論」です。

圏論による意識の理解
https://osf.io/2sdkv/


なんで気になるのかというと、音の図形(フォノグラム)を研究している小野田智之さんが、圏論を使っているからです。
http://tomoyukionoda.com/2018/07/02/post-5012/


残念ながら私には、この両者に関連性があるのかどうかが分かりません。ただ、土谷さんも小野田さんも「意識の謎」を探求していて、それに「圏論」を用いてることから、何か関係があるのかも知れないなあって思うのです。

ただ、小野田さんは「意識の謎は数学(近代科学)では解けない」とおっしゃっています。

小野田さんは、言語や理論を思考したり、筋肉を動かす認知を「前頭葉ゲシュタルト」、筋肉や理論を使わない、例えるなら赤ちゃんや子供の認知を「後頭葉ゲシュタルト」と呼んでいます。

私たちは筋肉を使ったり、ロジカルにものを考えたりすることで、身体全体の響きを分けられるようになっていきます。これを「前頭葉ゲシュタルト」と小野田さんは名付けています。この時、音の図形(フォノグラム)は渦を巻くのだそうです。

この渦を消すと、全体の響きを取り戻します。その時、論理的思考や筋肉の緊張は消えて「後頭葉ゲシュタルト」に移行するのだそうです。

この「後頭葉ゲシュタルト」認知ができるようになると、音が見えてフォノグラムという音の図形が書けるようになるらしいのです。

私たちはふだん「前頭葉ゲシュタルト」ばっかり使っていて、「後頭葉ゲシュタルト」を忘れてしまっています。

意識はこの二つのゲシュタルトによって成立してるので、「前頭葉ゲシュタルト」の数学を使ってどんなに頑張っても意識の謎は分からない、ということらしいのです。それはなぜなのかはあんまりよく分からないのですが、ゲーデルの不完全性定理的なことなのでしょうかね……?

理屈で分かったとしても、それは分かったことにはならない。小野田さんオリジナルの「もじもじ体操」をして訓練を重ね、「後頭葉ゲシュタルト」を体感できるようになれば意識を理解できる、と、仏教と同じアプローチを主張されています。

私はどちらかが正しいとか、間違っているとかは分かりません。

アカデミックな科学からアプローチする土谷尚嗣さんと、東洋思想的な体感をベースとしたアプローチの小野田智之さんをくっつけたら、意識の謎は解けるのかも知れません。なんて思ったりもするのです。

ちなみに、12月5日(土)に小野田智之さんのアトリエ(京都)を訪問する予定ですので、デジクリで報告できたらと思っております!


【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/断酒327日目】

・ガブリエルガブリエラ
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日刊デジタルクリエイターズより

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