【羽化の作法 119】現在編 ロボマインド・プロジェクトとフォノグラム

先日プログラマの伊澤伸さんと一緒に、ロボマインド・プロジェクトの田方篤志さんと、フォノグラム(音の図形)研究者の小野田智之さんに会いに、神戸・京都に行ってきました。



AIに意識を発生させるロボマインド・プロジェクト



おにょTVー音の図形ー


私は意識の謎に関心がありまして、デジクリでも何回も書いているのですが、動画は2017年9月16日にセーラー服おじさんことケバヤシさん(デジクリでは「GrowHair」)たちと一本だけあげています。

知に串刺せば香ばしい #chinikushi Vol.01 機械に意識は宿るのか?


なぜ意識に興味があるのかというと、「私ってなに?」という素朴な疑問って子どもの頃に誰しもが持ったと思うんですよ。今もなお、まだその素朴な疑問に関心を持ってるだけなんです。

他にもあります。
「音楽ってなんでこんなに胸がキュンとなるの?」とか、
「絵を観るとどうしてふわ〜って引き込まれていくの?」とか、
「宇宙ってなに?」とか。

そういう子どもの頃に抱いた不思議感が持続しているだけなんだなあって思うわけです。
幼い頃、誰もが抱いた素朴な疑問ほど、なぜか解明されていないんですよね。

最も根源的なことが分からなくて、その謎を土台にして、いろんなことが分かった風になっているだけなんですよ。
だから、大人になってからの悩みって根源的ではないとも言えるんです。
悩んでるだけ無駄なんですよ、きっと。そうは言っても、あれこれと悩んだりしちゃうんですけどね。

今回は、先日訪ねた「ロボマインド・プロジェクト」と「フォノグラム」について書きます。


●ロボマインド・プロジェクト


ロボマインド・プロジェクトのコンセプトはシンプルです。
ひとことで言うと「ドラえもんを作りたい」なんです。

ドラえもんは「心」を持っています。チューリング・テストに合格して、「哲学的ゾンビ」問題を克服した未来の人類が作ったロボットです。

科学はこれまで、多くの迷信や神々たちの存在を否定して来ました。お月様でウサギは餅をついてなくて、あれはクレーターだとか、雷は雷神様の仕業ではなく電気だとか。

ところが意識に関しては、「機械に意識が宿って然るべき」が主流で、まるで「つくも神」やら「もののけ」を肯定しちゃうようなベクトルになっていて興奮するのである。

もし、「機械に意識は宿らない」が正解だった場合、「ドラえもん」は、「雷神」や「月に住む餅をつくウサギ」と同様の、「科学で否定されてしまった存在」になるわけですが、それでも人はそれらを愛でるんですよ。

とは言うものの、現在の対話するAIはすべて心はありません。そして、どんなに性能をアップさせても、現在のAIの対話方法では心は持ち得ません。なぜなら仕組みが違うからです。

ロボマインド・プロジェクトは「意識の仮想世界仮説」を唱えています。この仕組みでプログラムを作れたら、「ドラえもん」が誕生すると主張しているのです。

「意識の仮想世界仮説」とはざっくりと説明すると、「この世界は脳で作らている」と言うことなんです。

ここ、ちょっと哲学的になっちゃうので面白いのです。
私たちが見ている、聞いているこの風景、この世界、星空、etc……。
これらはそのような形や色で存在しているのではなく、私の脳内で作られたものである、ということで、したがって、私たちは外の世界の本当の姿を知ることはできないのです。

「この世界はあなたの作り出した夢なんです」とアヤシイことを言ったとして、これ、恐らく正解なわけなんです。
私たちは脳の中で仮想世界を構築して、それを世界だと思っているのですから。

ならば、ドラえもんを作るには、まず仮想世界を作る必要があります。
そうやってプログラムを組み立てているのがロボマインド・プロジェクトです。
「あれこれ理論をこねくり回してるだけでなく、ともかく作ってみよう」。このアプローチは清々しい。

人類初の有人飛行を成し遂げたライト兄弟の最初の飛行は1903年、飛行時間はたった12秒、距離は36.5mですよ。
ロボマインドプロジェクトがドラえもんのような会話プログラムを作れたとして、「カタコト」だと思うのですが、もしそうだとしても素晴らしいことです。

いや待て、そんなことは潤沢な資金と人材がある、世界中のアカデミズムがやるんじゃないの? と思わなくもないですが、私は在野の個人の活動に胸を踊らせてしまうのです。

音楽に例えるならば、マイケルジャクソンやマドンナはもちろん素敵だけど、インディーレーベル「4AD」の「コクトーツインズ」とか「デッドカンダンス」とか、日本でいえば松田聖子は嫌いじゃなかったけど、インディーレーベル「ナゴムレコード」の「ばちかぶり」とか「人生」の方がワクワクした、みたいな。

メジャーとインディーズ、大学と在野、どっちも大切ですが、私自身はストリートから始めたアーティストなので、インディーズ・在野に惹かれるのです。
両者の違いは「既存コミュニティに参加するのか」、「コミュニティを自分で作るのか」だと思っていますが、だた、そこに分断があるとは思いたくないので、あんまりこだわらないようにはしたいです。

ところで、仮想世界仮説を使ってドラえもんのように受け答えするプログラムができたとして、果たしてそこに意識が宿っているかは分かりません。

もし、哲学的ゾンビだったとしても、なんの違和感もなく会話ができたら、私はそのロボットに心を見出してしまうでしょう。
その時どうするのか?
壊れたら普通に捨てるのか?
破壊していいのか?
所有されるモノでいいのか?

ロボマインド・プロジェクトの取組にはワクワクしますが、その先に本質的問題が横たわっているのは確かです。

さて、もう一つの訪問がフォノグラムの小野田智之さんです。


●フォノグラム


京都で小野田さんの教室を訪ねると、玄関先に机があってノートパソコンが置いてあり、ネットで質疑応答中でした。その奥の部屋では生徒さんたちが板を削っていて教室の真っ最中でした。

「おぉー、ネットで見た場所だー」と教室を見渡して思いました。小野田さんと一緒に動画配信している小飯田吉史さんもいらっしゃいました。

第67回「12/10 店頭販売開始~!!」1/4



ちょうど教室も休憩になり、小野田さんと少しお話をしました。そこで「このまま、もじもじ体操を頑張っても武さんがフォノグラムを見るのは難しい」と言われました。

どうやら後頭葉ゲシュタルトに移行しずらい、前頭葉ゲシュタルトつまり自我意識とか言葉とか論理に縛られ過ぎている、というのです。

ちょっと痛いけど、前頭葉ゲシュタルトから後頭葉ゲシュタルトに移す施術をしてあげましょうか? と聞かれたので、痛くても全然構わないのでやって欲しいと答えました。

そして玄関のところにマットを敷いて、小野田さんの施術を受ける流れとなりました。訪ねて行っていきなり技をかけられるなんて、幸運でございます。ありがとうございました。

技をかけられてしばらくは、頭の中に言葉が湧き出してこない状態となりました。とても楽でスッキリしていました。

ユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』に次のような一節があります。

“この実験のせいでサリーの人生が変わった。その後の数日で、彼女は自分が「スピリチュアルなものに近い体験」をしたことに気づいた。「その経験の特徴は、自分が前より賢くなったと感じたり、物覚えが良くなったりするというものではなかった。

愕然としたのは、生まれて初めて、頭の中の何もかもが、ついに口をつぐんだことだった⋯自己不信と無縁の自分の脳というのは新発見だった。頭の中が突然、信じられないほど静まり返った⋯この経験の後の数週間というもの、いちばんやりたくてしかたなかったのは、あそこに戻ってもう一度電極をつけることだったと言ったら、共感してもらえるといいのだが。

私はじつに多くの疑問を抱くようにもなった。私の心には怒りと敵意に満ちた小鬼たちが住みついて、私を怖がらせて、やりもしないうちから物事を諦めさせてきたけれど、やつらを別とすれば、私は何者だったのか? そして、あの声はみな、どこから聞こえてきていたのか?”


これは軍事用の経頭蓋刺激装置を装着して、戦場シュミレーターに入った「ニューサイエンティスト」誌の記者サリー・アディーの感想の記述なのですが、ちょっとこれに近いのかなあと思いました。

頭の中って頼んでもいないのに言葉が沸き上がっていませんか?
それは過去の失敗を思い出してバカだなあと自分を嘆いたり、不安材料をあれこれ考えていたり、誰かの気に食わないところをあげ連ねいていたり、自分の能力を限定していたり……ずっとずっとなんだかくだらないことをグダグダとぐるぐるとさせていたことに気が付いたのです。
まさに小鬼たちが住み着いていたのです。

私もサリーと同様にそれらの小鬼たちががしばらく消えてくれたのです。
昔の呪術師とか陰陽師による悪霊退散の技ってこういうのだったのかもなあと思いました。

そんなフォノグラム研究者の小野田さんですが、12月10日に本が出版されています。

『物質と精神を繋ぐ フォノグラムー音の図形』


まえがきから気になったところをピックアップします。

“聴覚は視覚と異なり、二つの形式が存在しています。アブミ骨、キヌタ骨、ツチ骨などを経由し、大脳に送られるデジタル信号としての音認知、そしてもう一つは、蝸牛のリンパ管から全身のリンパ節に至るアナログ信号としての音認知です。

この二つの形式は、平均律と純正律としても理解することができます。また、大脳が認知しているデジタル信号と、身体が認知しているアナログ信号の埋めようのないギャップが、ピタゴラスカンマの存在理由なのです。
視覚認知に基づく現代科学とは、大脳のデジタル信号のみを扱う科学のため、それは数学表現とよく合うのですが、身体のアナログ情報や内観情報は前頭葉(★1)を介さないため、それらの世界観の枠の外にあるという訳なのです。

ここに、新たな科学の可能性と、なぜ、内観認知をもとにした宗教と、前頭葉ゲシュタルト認知(★2)をもとにした現代科学に断絶があるのかの理由がわかってきます。そしてそれを結び付けているのは、他でもない私たちの身体なのです。

★1 前頭葉:大脳皮質と言わずにあえて前頭葉という言い方をしています。
生理学的な定義とは異なった表現をしていますが、フォノグラムが観えるようになりますと、「前頭葉」という言い方が実態をよく表しています。もし、どうしてもこの表現に違和感のある方は、形而下の情報処理をする脳部位のことであると思ってください。ここでは前頭葉という言い方で統一します。

★2 前頭葉ゲシュタルト認知:五感から大脳に入ってくるデジタル信号が見せている世界像。普通の意味での意識状態が見せているこの三次元物理宇宙での認知形式のこと。夢の世界や内観認知は前頭葉ゲシュタルト認知ではない。”


音の認知にデジタル信号とアナログ信号の二種類あるというのが、事実かどうか調べても分からないのですが、かなり興味深いです。それらが前頭葉ゲシュタルトと後頭葉ゲシュタルト、平均律と純正律に対応しているというのも、なんとなく頷けます。けど、よく考えるとまるで理解できません。しかし興味深いです。

そしてまえがきの最後の方にはこんな文章もあります。

“前頭葉ゲシュタルト科学とは物質の科学でしたが、非前頭葉ゲシュタルト科学とは意識の科学なのです。そして、意識とはずばり重力のことです。重力を制御する方法は実は意識のコントロールなのです。”


意識とは重力である、と。
これはかなりビックリする文章です。
確かに、心は重いとか軽いとか重力で表現します。
それに重力は他の3つの力、電磁力、強い力、弱い力と比べて極端に小さいことも知られています。
重力だけが謎なんですよね。でも、どのように意識と重力が繋がるのかはまるで分かりません。
気になった方はぜひ読んでみてください。
(つづく)

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日刊デジタルクリエイターズより

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