この猫の銅像は私が目指すアートである 2


▶︎ 「ずっと街を見守ってやるニャン」トルコの名物猫、亡くなった後も同じポーズで佇む

このニュース記事がふと目にとまった。
なんだろう?と思って見てみると、
トルコ・イスタンブールで人々に愛されていた野良猫のトンビリが亡くなって約2カ月が経った10月4日、彼女がいつも座っていた場所に、ボランティアの人々によって設置された銅像がお披露目された。歩道の段差に肘をかけてくつろぐお馴染みのポーズはそのままに、彼女は今でも街の人々を"ちょっと上から目線で"見守っている。
とのこと。

猫の「トンビリ」はありのままに生き、愛され、そして死後も銅像となって愛され続けている。
周りの人たちの想いが形となって遺っている。

トンビリを好きだった人たちは銅像のトンビリを通してトンビリに繋がる。
トンビリを知らない人たちは、この彫刻作品を見ながら生前のトンビリに思いを馳せたり、トンビリを愛した人たちの心に共鳴しようとしたり、トンビりの魂に祈りを捧げたりする。


この在り方は私の目指すアート。

2016年の記事なので今はどうなっているか分からないが、残っていて欲しいものである。


私は以前、「この電話ボックスは私が目指すアートである メモ」という記事を書いた。
それは亡き人と繋がる電話ボックス「風の電話」の記事である。



両方に共通している点は、なんだろう?
「意識は命を超えたコミュニケーションを求める」
ということだろうか?


これからも「これが私が目指すアートかもなあ」と感じる記事に出会ったらアップしようと思う。


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