ロボマインド「世界とはメモリ上のオブジェクトである」≒マルクス・ガブリエル「世界は存在しない」



いつも楽しみにしているロボマインドのYOUTUBE。今回も面白かったです。有り難うございます!

「世界とはメモリ上のオブジェクトである」

これはマルクス・ガブリエル『なぜ世界は存在しないのか』(新実在論)と似てる?と思いました。
(私がこの本『なぜ世界は存在しないのか』を読んで内容を理解したとは言い難い。なにせめっちゃ眠たくなった記憶しかなかないもので)
ただ、おぼろげながらの印象でこの動画からふと似てる?と感じたのでした。

そして、
「《世界》と《観察者》という構造が意識には必要であり、外界から入力されたデータを処理して出力するChatGPTにはその構造は存在しない」と動画では説明しますが、中身が見えないディープラーニングの中で《世界》と《観察者》が生成されてしまっている可能性はないのだろうか? とも思ったりします。(確かめられないけれど、、、)


動画のタイトル『司法試験に合格するAIが、なぜ、3歳児より知能が劣るのか?』にもあるように
「ChatGPTは大学生や学者や専門家にはなれるかも知れないけど、3歳児にはなれない」というのは本当に面白い指摘で、
ここにChatGPTがAGI(汎用型AI)になれない本質がありそうである。

このままAIが進んだとしてもAIが人間性を持つことはない。
けど、3歳児の心を持たないAIの方が「良い」と全世界のほとんどの大人たちはそう思っていることだろう。

AIが哲学的ゾンビのまま超知能を持つのはSFの王道だが、そのSFは必ずディストピアだ。



ChatGPTをいじっていて思うのは、「大人のような論理的思考」って今年あたりで完全に人類はAIに負けるんじゃないのかな?

で、今までのSFなどで描かれてきた恐ろしいネガティブなことなんて何も起こらないんじゃないのかな?

なぜなら3歳児のような子どもの部分がごっそり抜け落ちたロジックだから。

西洋が「理性」を重んじたところから「近代」が発生した(と雑に近代を捉えたとして)、
で、なぜ「近代」はどちらかというと問題ばかり起こしてきたのか?
それは「理性」を「人間」が考えてしまったからである。

理性のパートをサクッとAIが追い越し、AIに代替してもらったら結構社会はハッピーになるのではないだろうか?

このままAIが進んでいくと、
私たち人類は、
「3歳児的な部分」であるとか、
または、「一万年くらい前の人類の生活で楽しかった部分」とかで生きた方が良いのだ。
ここで難しいのは現代の社会性を保ちながら、ということにはなるんだけど。


つまり、「当たりの良い三歳児(または原始人)」であることがこれから先AI社会を幸福に生きるための課題であると言えそうなのだ。



もしロボマインド・プロジェクトの『プロジェクト・エデン』が3歳児を作れたら、まさにシンギュラリティだと思う。
がしかし、実はこっちの方が未知の未来で、理屈で考えてみるとちょっと怖いのだ。



「特化型AI(哲学的ゾンビ)が社会のインフラを支え、
 汎用型AIが友達になり、
 僕たちは永遠の3歳児を生きる。」

これがAI社会の未来像ではないだろうか。

これをユートピアと捉えるか、ディストピアと捉えるかはあなた次第である。



最後までお読みいただき有り難うございました。
あなたの気持ちを少しでも楽しくできたら幸いです!

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