ウサギとカメ



ウサギとカメのお話し。

小学校の朝礼かなんかで校長先生が
「ウサギのように油断してはいけない、カメのようにコツコツと」
という教訓話をしてる記憶は誰しもあると思うけど、
私の小学校校長の話はちょっと違っていた。

「油断してるウサギも良くないが、カメも良くない。
カメは追い越す時にウサギに声をかけずに黙って追い抜いた。
それは良くないことです。」
と、「私の話しは普通とは違う角度で気づきを与えられる校長やで!」という感じのドヤ顔で言っていた(朧げな記憶がある)。
小学生の私はビックリして、感銘を受けてしまった(ような記憶がある)。


さて、私の小学校の校長のこの教訓はどのようなものであったのか? 上記の動画を参考に40年前の教訓を検証したい。

この動画ではこう言います。

「そもそもなんでカメはウサギと競争しなくてはならないのか」、と。

ウサギに

「もしもしカメよカメさんよ、世界のうちでお前ほど歩みの遅いものはない。どうしてそんなにノロいのか?」

と聞かれたら、

「余計なお世話だ」と返答することの方が重要である、と。


悩んでいる人は必ず
「自分でない自分を演じようとすること」で悩んでいる、と。
ウサギからの破壊的なメッセージを振り払って
「自分は自分でいいんだ」ということをよく認識しなさい、と。


まとめると、
そもそもカメはウサギとの競争のステージに上がってはいけないものなのに、
ウサギの挑発に乗せられて、自分らしくいられない競争ステージに上がってしまう。
これが良くないことなんだ、と動画では説いている。


私の小学生の頃の校長先生の話を真に受けるとなると、
カメは当然ノロいのでウサギに負ける。
ここで眠ってるウサギを起こしてあげるとなると、
カメ的な人間にとっては、更に悲惨極まりない結果が待ち受けてるだろう。

ウサギ的な人間にとっては、楽勝な相手を自分のフィールドで勝負させて相手を負けさせるだけでなく、
起こしてもらうことによって、その差を広げて勝ち組の安泰を強固にするだけなので、
私の小学校時代の校長先生の話しは「強者の為の論理」だったんだと、今にしてみたらそう思うのである。
そうやって競争原理に放り込まれるのが昭和の小学校教育だったのだ。


今にしてみたらこの校長先生の教訓は、とてもじゃないけど受け入れることのできない酷い内容だったと言わざるを得ない。


しかし、昭和の時代、
ドジでノロマなカメも根性で戦えば夢が叶うという物語が横行していたので、
逆に素敵な気づきですらあったのが校長先生のドヤ顔に表れていたのだ。


ところが、現実は違うし、令和の時代となっては尚更違う。
競争に勝てるウサギ的人間はいいが、
カメ的人間は、たとえウサギとの競争を放棄したとしても、
収入への道はなかなか見つからず、将来への不安は募るばかりとなる。


そこを、
せめて平穏な心を保てるカメでありたい。
ウサギの挑発に動じず、我が道をコツコツ歩き、
そして偶然寝ているウサギを見かけたら、
起こさずに布団の一枚でもかけてあげられる余裕を持っていたい。
ちょっと理想論的ではあるが、そう生きたい。


具体的にどうしたら良いか?
まずは有るものを再度確かめてみよう。
寝る場所がある。
絵を描く時間も持てている。
しばらく生きていける蓄えはある。
仲間がいる。

あ、そうか、幸せじゃないか、と。


最後までお読みいただき有り難うございました!

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