窮地と本性

線譜20230211


「人は窮地に追い込まれた時に本性が出る」という言葉を耳にします。
しかし、この見解は本当に正しいのでしょうか?

これは実は
「持つ者が持たざる者をさらに愚弄する」構図が隠されているので注意が必要です。


普段は良い人がちょっとしたピンチになった時、すごく嫌な奴になったのを見て、このようなことを思ってしまいがちです。


ただ、ちょっと考えてみてください。

その「ちょっとしたピンチ」の場は、
私にとっては「ちょっとしたピンチ」だけど
その人にとっては「大ピンチ」だったことを想像したでしょうか?

多分、
「どうしてこんな大したことないピンチでこいつこんな嫌なことするんだ? こいつの本性見たわ軽蔑だわ」って思ったりしたでしょう。
でも、きっとその人には何かトラウマがあったりして理性を保てないほど耐えられない状況だったのかも知れません。

そして、そのピンチに対して私は余裕を保てる裕福さをたまたま享受できた幸運を「当たり前」と無自覚になっているのでしょう。


これはまさしく、
「持つ者が持たざる者をさらに愚弄する」構図になっているのです。


イケメンで例えましょうか、
生まれ付いてのイケメンはモテるのが当たり前なのですが、大体それを自覚しています。

もしイケメンが
ちょっと可愛い女子の前でテンパってキョドってる「非モテ男」の姿を見て

「女の子の前でキモくキョドる男の本性ってクズだよ」

と言ったら結構問題になるのでイケメンはそんなこと思っていても言いません。
「持ってる者が持たざる者をさらに愚弄する構図」がはっきりと見えてしまうからです。


ところが、「ピンチに追い込まれた時に人間の本性が出る」という言説は、
「持ってる者が持たざる者をさらに愚弄する構図」が巧妙に隠されています。

「パンがないならケーキを食べればいいじゃない」も同様、「持ってる者が持たざる者をさらに愚弄する構図」でして、
こっちはストレートにムカつけますが、
「ピンチに追い込まれた時に人間の本性が出る」は
先生が言いそうな、教訓めいた雰囲気があるので注意が必要なのです。
(余談ですがマリー・アントワネットは「パンがないならケーキを食べればいいじゃない」とは言ってない)



窮地に追い込まれて、キレたり、何も出来ない役立たずになったり、人のせいにしたり、卑怯な手を使ったりするのは、当たり前のことで、ただ同じ状況でどのくらい「余裕」があって「持ってる」か、余裕が無くなっているかだけの違いなのです。
持っていない状況になければ誰でも「嫌な奴」「ダメな奴」になってしまうのです。


むしろ、人間の本性が出るのはピンチに追い込まれた時よりも、権力を手に入れた時です。


権力や富を手に入れてる人たちは、人間性を剥き出しにできる機会に恵まれる。
「いや、そうとは限らない!」と抵抗を感じたり、そう思えない人は、権力や富と縁のない人ですので安心してください。
と言われてちょっと心がザワついた人は胸の奥で富や権力を欲しがっているので、その欲を認めてしまった方が楽になれますよ。


富や権力を得て本性をさらけ出せた人たちは個性豊かです。傲慢になる人、実るほどに頭を垂れる人、変人、テカテカしてる人、様々なのです。

なぜでしょうか?
それは「選択の余地」が広がると実感するからです。
「他者」(或いは自分)をコントロールできると確信するからです。



ところで、
人間は本性をさらけ出して正直に生きる方がエネルギッシュで健康で長生きしてることは科学でも実証されていると思います。
油ギッシュな政治家たちが長命なのは、富と権力があるから、というよりも富と権力によって「本性を解放できている」からでしょう。

善行であれ悪行であれ無理をして自分に嘘を付いていては長生きできません。


正直に生きるために権力が必要なら権力を志向しても良いでしょう。

でも別に権力を手にしなくても自分に正直に生きて行く方法はいくらでもあります。


それをいろんな人に助けられながらも考えて作って行くのが人生。


さて、イケメンが非モテ男を見下すシーンも、窮地に立たされた人々のドラマも、実は大きな劇場の一部。
人生の舞台では、本当の自分を演じることは難しいのだけれども、毎日が新しい即興劇なのです。
失敗も成功も全てが素晴らしいステージを築く材料なのだ。

だから、
これでいいのだ。


最後までお読みいただき有り難うございました!

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