恥ずかしさのエソラゴト

線譜『ノイズの中の少年』

自分の描いた絵とか自分の書いた詩とかを人に見せるのってすごく恥ずかしかったよね。


それは多分、当時は表現が「真の私の姿」だと実感してたからだよね。
なのでちょっとでも批判されたら「私の存在の否定」になってしまう。

ひょっとしたらこれって大昔にはなかったのかも、とふと思ったのです。
するとこれは「近代自我」問題かも知れない、と。

そしてこの事は現在の芸術と深く関係してくる。

だがしかし、表現は一方で、自分と全く関係ないことも表明できる。



絵や詩は大いなる嘘(うそ)であり大いなる真(まこと)である。

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