物語について

線譜『I love So That I may come back (M).』
作品サイズ:170×230mm(楕円)
作品情報:ペン 水彩 2020年

例えば、
星座による性格の特徴というのがありますよね。山羊座は勤勉とか。
で、その特徴って結構当てはまってるなあ、と感じたりしませんか。

それは占星術が当たっているのではなくて、
占星術による性格特徴の振り分けがなされた言葉によって、それを見た人が自ら占星術の言葉に寄せて行っているんだと思うのです。

「星の運行」が人間の性格を決めているのではなく、
自分の星座の特徴の言葉が物語としてイメージされると、それに自分を重ね合わせてしまうのです。多分。


気に入った「物語」があると人はそれに沿って思考します。
そうするとそっちに引っ張られます。

条件やタイミングなど外的要因とのマッチングが上手くいくと、「物語が現実化」したかのように感じます。

「物語」を「指標」とか「設定」と言い換えてもいいかも知れません。
(「指標」や「設定」に時間軸を加えたものが「物語」です)


ユヴァル・ノア・ハラリは「物語」はやめて「事実」に基きましょう、と本に書いていますが、
ハラリの本はどれもとても「物語」的なのはとても興味深い。

物語の力を使って物語を否定しようとする姿勢はなぜかグッと来るものがあります。


私たちは物語を自分で作ってそこに棲みます。
またはとある物語に強制的に棲まわされています。

事実そのものを物語なしに味わうことを「瞑想」と呼んだりしてますが
ホントにそれが出来るのはお釈迦様くらいなのでしょう。

物語を消して事実そのものと対峙してる時
私たちはそれを認識できません。

幸か不幸かそういう仕様になっているのです。


物語の雛形やパーツはそこらじゅうに溢れています。


アーティストができることは、
今ある物語を解体して再構築したり、
散らばった物語の断片を集めて再構築したりと、
再構築がメインの仕事なのかも知れませんが、
それとはちょっと違った次元の仕事もあるような気がしています。

それは「神秘的な仕事」で、アーティストの仕事のコアなんだと思うのです。


有り難うございました。

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