私を2つに分ける──内臓系と体壁系

私の身体を大きく2つに分けるとすると、何と何でしょうか。

普通に考えると、
「頭」と「体」
と分けたくなります。

あるいは、
「心」と「身体」
と分けることもできます。

けれども、三木成夫『内臓とこころ』では、身体を
「内臓系」と「体壁系」
に分けて考えています。

「体壁系」は、皮膚、筋肉、骨格、手足、感覚器官のように、外の世界へ向かって働く身体。

見る。
聞く。
触れる。
歩く。
描く。

外界と関わり、行動し、表現する身体です。

一方で「内臓系」は、呼吸、消化、循環、生殖のように、生命そのものを支えている身体です。

自分の意思で動かしているというより、気づかないところで、絶えず働き続けている身体。

この分け方を知ると、意識についての見方が少し変わってきます。

私たちは、意識を「頭の中にあるもの」と考えがちです。

けれども本当は、意識は脳だけで完結しているのではなく、呼吸や心拍、内臓のリズム、皮膚感覚、姿勢、動きなど、身体全体の働きの中から立ち上がっているのではないか。

そんなふうに感じます。

絵を描いているときも、頭だけで描いているわけではありません。

線を引く手。
画面との距離。
息の深さ。
身体の緊張とゆるみ。
胸の奥や腹の底にある、まだ言葉になる前の感覚。

そういうものが、一本の線やひとつの形に現れてくる。

創作とは、頭で考えたイメージを手で再現することではなく、身体の奥にあるリズムが、外の世界へ姿を現すことなのかもしれません。

その意味で、絵は「内臓系」と「体壁系」のあいだに生まれるものだと思います。

内側でうごめいている、まだ名づけられない感覚。
外側へ向かって伸びていく、線や色や形。

その境目で、作品は少しずつ生まれてくる。

意識も、創作も、身体の中に閉じているわけではありません。

身体を通して外の世界と触れ、外の世界に触れられながら、「私」というものが立ち上がっている。

だから私にとって描くことは、単に絵を作ることではなく、私という小宇宙が、この世界と応答するための方法なのだと思います。

過去に書いた文章にも、この問題意識はつながっています。

【羽化の作法 113】現在編 わたしも「意識」について考えた
https://take-junichiro.blogspot.com/2020/09/113.html

脳から身体へ、そして小宇宙へ
https://take-junichiro.blogspot.com/2014/01/blog-post.html

(2023年7月4日に書きかけていたブログを更新)

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