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【羽化の作法 79】現在編 しんげんちペインティングと新宿西口段ボール村の火事

羽化の作法[72]神戸「しんげんち」での活動-2」からの続きです。

1998年2月12日。神戸市須磨区下中島公園にあるコンテナハウス「しんげんち」へのペインティングを始めます。
https://www.facebook.com/junichiro.take/posts/2210386165672925:0

同日、新宿西口地下道段ボール村が火事になったという知らせが届きます。

どうしてこんな偶然が起こってしまうのか。


●しんげんちペインティング

コンテナハウス「しんげんち」へのペインティングは、何日か前にやって来たイトヒサこと鷹野依登久と二人で制作を始めます。

イトヒサはまず「しんげんち」に暮らすボランティア青年の三浦君と共に、仮設住宅を訪問したりして「しんげんち」のボランティアを手伝いました。

また、東本願寺のお坊さん、村長の娘のみえちゃん(小2)らと一緒に、コンテナ村「しんげんち」のカンパ呼びかけの「下中島公園ニュース」の折り込みを夜遅くまで手伝ったり、私とイトヒサは「しんげんち」のボランティアを手伝いつつ、コンテナハウスに絵を描ける日を伺っていました。

最初はコンテナが並べてある人が暮らしているハウスすべてを、ペインティングできたら良いなあと思っていました。しかし、コンテナハウスに暮らしてる人たちは、描いて欲しくないとのことだったのです。そこで「しんげんち」だったら描いても良いと、村長の田中さんがおっしゃってくれました。

「しんげんち」とはコンテナを二つ繋げてある「しんげんち」という看板のかかった集会所で、日常的に会議や宴会や炊き出しに活用されていたコンテナハウスではありましたが、人が暮らしてるわけではありません。

そこに私は少し「残念な」気持ちがしたのでした。「寝泊まりしてない家だと、生(なま)な感じが少し薄い」と。私のこだわりは、最初は「生きている場所そのもの」にあったのでした。

段ボールハウス絵画は、人が実際に暮らしている家の壁でした。中に人が暮らしているからこそ、意味のある絵画でした。集会所「しんげんち」は象徴的な建物なのですが、自分にとっては実際に暮らしている家の方が、描くべき場所だと思っていたのです。

その変更に対して、自分としてうまく折り合いがつけられなかったのでした。それから、自分はなぜ神戸に来たのか? という理由が元をただすと「コリーヌに言われたから」であり、自分由来ではない事に対して整合性がつけられず、後戻り出来ないとは言えずっと悶々としていました。

そんなところにやって来たイトヒサは、「絵を描くしかないっス」とまっすぐに描きたい衝動をシンプルにひとこと、静かに、にこやかに、そして力強く言ったのでした。

イトヒサに励まされて、私はようやく吹っ切れて全力で取り掛かる元気が出たのです。そして、2月12日の朝。イトヒサと二人で、いよいよ制作に取り掛かります。

村にはコンパネなどの板やビニールシートが転がっていたので、使ってなさそうなのを養生シートに使いました。次にペンキで色を作ります。水色系、緑系、ピンク系、オレンジ系と中間色を20色くらい。

ゴミ箱にある空き缶を、缶切りで飲み口を切り取ってペンキ容器にします。捨ててある割り箸や木の枝でペンキを撹拌します。イトヒサは寒色系の微妙な色違いの缶を更に加えて作ります。

準備が整うと、二人はスタート前のアスリートみたいに、軽く準備体操をしました。二月の空は晴れ渡っていました。二人は筆を持ちます。イトヒサは細めの筆、私はぶっとい筆を両手に。しんげんちの出入り口の扉から「せーのどん!」で描き始めました。

扉を二人で描き殴ります。イトヒサの描いた筆跡の上から私が描き、私が描いた上からイトヒサが描き重ねます。筆は壁面へと広がって行きます。色の洪水がコンテナハウスを覆い尽していくように描いて行きました。その勢いのまま脚立で上の方にも描きました。


●新宿西口段ボール村の火事

そんなノリノリで制作している最中に、「しんげんち」の中にある電話が鳴った。電話の主は、現在ドキュメント映画監督をやっている土屋トカチ、通称「トカちゃん」でした。

久しぶりの電話に嬉しくなって「おー! トカちゃんかぁ!」とテンションの高い声を出して喜んだのもつかの間、それを遮るような低いトーンで「ファックスでも送ったのですが新宿段ボール村が火事になりまして……」と申し訳なさそうに語るのでした。見てみるとファックスが受信されていました。

意味があんまり分からなかったのですが、だんだんぼんやりと理解してきました。受話器からは段ボール村のその後の予定などを伝えていたようでしたが、私は聞いていませんでした。

受話器を置いた後、ファックスを手に取りました。ファックスを送った後、わざわざ電話までよこしてくれたんだ。トカちゃんはそこまでして、私に段ボール村のことを伝えてくれたのでした。

トカちゃんからの報告で最初に感じたことは、「嗚呼、もう段ボール村を絵で埋め尽くそうと頑張らなくていいんだ」という安堵の気持ちでした。悲しみでも怒りでもなく。この不謹慎な発想には自分でも驚きました。なので、この気持ちは湧き起こらなかったことにしました。

元気に「しんげんち」ペインティングに立ち向かった矢先に、どん底に突き落とすようなニュースが飛び込んできたわけなのですが、それはまるでしんげんちペインティングに集中しなさいというお告げのようでもありました。

私とイトヒサは一生懸命「しんげんち」に絵を描くのでした。


●いったん東京に戻る

ボランティアを手伝い、宴会を開き、制作をし、濃密な日々を過ごしました。

描き始めて一週間も経たないうちに、公安が偵察にも来ました。

https://www.facebook.com/junichiro.take/posts/2386668278044712:0

絵はどんどん増殖して迫力を増して行きます。ある日、ボランティアの三浦君が、懸命に制作してる私たちを見て「鬼気迫る」と驚いた様子で語りかけてきました。

描き始めてから二週間くらいの2月25日。絵は埋まって、ほとんど完成していました。それでも私たちは、この絵はまだ「未完成」だと村長の田中さんや三浦君、村人に伝えました。

それは完成させるために「しんげんち」に戻ってくる、という約束の意味があったのでした。「僕たちは朝8時過ぎ「しんげんち」を後にした。

三浦君が板宿駅まで車で送ってくれた。さようなら。ではなく「いってらっしゃい」と言って。(KOBENOTEより)」(つづく)


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日刊デジタルクリエイターズ「羽化の作法[79]現在編 しんげんちペインティングと新宿西口段ボール村の火事/武 盾一郎」より

【羽化の作法 72】神戸「しんげんち」での活動 2

●自己表現とはなにか

私は自己表現がしたくて絵を描き始めました。内面にある鬱積した情念のようなものを、吐き出したくて絵を描いたのです。その強い衝動に突き動かされて、絵筆を握っていたのです。

なのでテーブルの上のリンゴとか、人体とかヌードとか石膏とか花とかを上手に描く、ということに価値を置いていませんでした。「形態の再現」という絵の上手さには関心はなく、自分の内面を吐き出し画面に叩き付けたかったのです。それが芸術だと思っていたのです。

「自己表現」こそ自分のやりたいことで、「自己表現」こそ芸術だと思っていたのです。

私にとって「自己表現」とは「(内面の)状態を表現する」こと。「むき出し」と言ってもいいのかも知れません。表現された「カタチ」は、その結果に過ぎないのです。

なので「絵を描く」というよりも、「作品が状態に成る」という感じです。作品と私の距離感はゼロで、作品も私も「状態」の中に放り込まれて、溶け込んでいるイメージです。

「形を上手に描く」というのは、「状態」を露出することと真逆でした。上手とは、内面状態を包み隠し、コーティングし、嘘をつくことに他なりませんでした。

だから、「上手になってはいけない」と思ってました。上手な絵は嫌悪の対象だったのです。カタチではなくて状態、有形ではなくて無形を指向していたのでした。

ところが、被災地神戸の非公認テント村「しんげんち」の滞在で、自分と作品を引き剥がしたい欲求が芽生えてきたのです。

KOBENOTE 36
「公園の朝 なんか気持ちよかった」

これまでは「私の存在も作品である」という感覚が強かったのですが、徐々に私自身は作品の外側に置きたくなってきたのです。

つまり、「作品世界」の中に私が棲むのではなくて、「作品世界」を描きたくなってきたのです。

それはどんな世界なのか? ぼんやりとしたニュアンスだけど確実にある。私はそれを描きたい。「状態」ではなくて「世界観」を描きたいと思うようになってきたのです。「状態」と言う底なし沼から抜け出して、作品と私の距離を置きたいと思うのようになってきたのです。

これは「自己表現」から離れていく事でもあったのだと思います。


●自己を手放したところに芸術は在る

現在、私は芸術とは自己表現とは対極のものだ、と考えるようになりました。自己を手放したところに芸術は在るのだ、と信じるようになってきたのです。

それはきっと、神戸での体験が「私(自己・我)」を破壊してしまったからかも知れません。

神戸滞在中、私は「しんげんち」の被災者支援活動を行いながら、ライブペインティングの続きの絵を描いていました。

「一体自分はアーティストとして何ができるのか?」何も分からずに悶々としていました。

KOBENOTE 40
「僕は一体何者なのだ?
ここの暮らしを僕の人生にとってとても重く大切なものにしたい。
みんな本当にありがとう。
もっといい絵を描きたい。」

しばらくして私は、「しんげんち」のコンテナハウスに絵を描くことを、村長の田中さんに打診します。

そしてコンテナハウスペインティングの許可を貰い、イトヒサこと鷹野依登久が神戸に駆けつけてくれて、一緒に絵を描き始めることになりました。

ペンキ缶そのまま色を直接使うのではなくて様々な中間色を作り、感覚的に筆の線をぶつけて描いて行く、二人の即興によるペインティングです。

この「しんげんちペインティング」は「内面の放出」、と言うよりも「感覚」による二人のバトルでした。

イトヒサとは新宿西口地下道で出会って以降、東京大学駒場寮で、そしてデザインフェスタビルやラブホテルの壁画などでもコラボレーションしました。

コラボレーションは、同一画面に即興で描いて行くやり方でした。最初はキャラクター的な形態が登場してました。それらを重ねたり発展させたりしていたのですが、何度かやって行くうちに形を作らずに筆の動きだけを描いて行くようになりました。

それによってより感覚的に抽象的に画面を捉えるようになって行ったのでした。

東京大学駒場寮オブスキュアギャラリーでの
『世紀末とのコラボレーション』(1997年)
キャンバス、壁画ともイトヒサとのコラボレーション
この頃はなんとなくキャラクター的なものが登場している

『しんげんちペインティング』(1998年)
線と形が交錯して抽象的になっている

今から思い返してみれば、イトヒサとの即興コラボレーションを繰り返すことで、絵が抽象的になって行ったのでした。

その後「ペインティング」と言うよりも、線で描く「ドローイング」になり、「線譜」に至ります。絵に人物などが登場することはなくなり、抽象的で曖昧な線画を描き続けます。

「線譜」になってしばらくしてから、猫とか人とか風景とか、具体的なものが画面に登場するようになって今に至るのでした。


●新宿西口地下道段ボール村の火事

コンテナハウス「しんげんち」に絵を描くことが決まり、ようやく最高の自分を発揮できるステージが整ってペンティングを始めたその日、一本の電話が「しんげんち」にかかってきました。

電話の主はトカちゃんこと映画監督の土屋トカチ氏でした。「新宿西口地下道段ボール村が火事で丸焼けになってしまった」とのことでした。

KOBENOTE 78

火災の原因は不明だと言う。
「段ボール村を良く思わない人による放火か?」
一瞬なんのことか理解できずに呆然としましたが、電話を切った後、コンテナハウスしんげんちペインティングに、全身全霊を傾けようと思ったのでした。

『KOBE NOTE 1998.1.15-6.22』(2005年)より。
新宿ダンボール村が消滅する。
トカちゃんからtelがあった。
新宿の絵がなくなった。僕のスタート地点が消える。
今を支えている土台、僕の絵の故郷、西口地下道段ボール村がなくなろうとしている。

神戸に居ながら何も出来ない僕が居た。
泣きたい。誰か胸を貸して欲しい。
でも僕は泣けない。ふんばっている自分が居る。
僕は何に耐えてるんだ?
どうして強くあろうとしてしまうんだ。

壁画開始の記念する日でもあったのに。
1998年2月12日

(つづく)

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【羽化の作法 70】神戸「しんげんち」での活動 1

『しんげんち』
しんげんち展用にスピカアートギャラリー外壁に展示した絵
1.8×3.6m ホワイト防炎シートにペンキ 2005年

この絵は2005年スピカアートギャラリー(2011年閉店)で開催した「しんげんち展」でギャラリー外壁に展示した作品です。

この展示では、神戸での出来事をまとめた冊子『KOBE NOTE 1998.1.15-6.22』を展示しました。そこから引用して神戸でのことを綴って行こうと思います。

『KOBE NOTE 1998.1.15-6.22』
2005年

1997年。僕は東京大学駒場寮に潜伏し、そこで絵を描きながら、新宿西口地
下道に通って段ボールハウスに絵を描き続けていた。

そんな中、ジャーナリストのコリーヌ・ブレから電話があり、被災地に行っ
て制作をしてみないか、という話を持ちかけて来た。

コリーヌの会というのを結成して、神戸の事を話し合っていたらしい。そこ
で、武盾一郎、僕の名前が上がったのだった。その時のメンバーは、

コリーヌ・ブレ(ジャーナリスト)
豊田正義(ジャーナリスト)
西谷修(大学教授)
平井玄(音楽評論家)
辻仁成(作家)

そして、僕は神戸での制作を決意する。意味や意義は分からなかったが、と
にかくそこに暮らしながら制作をしてみることにした。

この KOBE NOTE 1998.1.15-6.22 はスケッチブックと日記である、神戸出発
の1998年1月15日から1998年6月21日「しんげんち祭り」翌日までの手記をま
とめたものである。

2004年11月 武盾一郎(KOBE NOTE より)


●1998年1月18日

阪神淡路大震災からちょうど三年。私は「しんげんち」での活動を始めました。

最初は市役所前でのライブペインティング。「しんげんち」の片隅に積んである単管とクランプを持ち出して、市役所まで運びます。現場に着くと私はステージ横に勝手に足場を組んで、コンパネを置けるようにしました。

ソウルフラワー・モノノケ・サミットの演奏が始まると、音楽に合わせてをコンパネにぶちまけて、ライブペインティングをしました。

単管とクランプは駒場寮でも劇などで使ったこともあって、好きな素材です。ラチェットを手に持つと、なんとなく得意げな気分になるのです。

この日のライブペインティングで描いた絵を、「しんげんち」で時間をかけて完成させて行くことにしました。

『KOBE NOTE 1998.1.15-6.22』(2005年)より

今日ライブペインティングをして右手の薬指にベニヤの一片がつきささった。
痛くてしかたなかったけど
神戸に来てたみんながよってたかって抜いてくれた。嬉しかった。
1998.1.17.モノノケとのLIVEペインティングを終えて

今日ライブペインティングをして、右手の薬指にベニヤの一片がつきささっ
た。痛くてしかたなかったけど、神戸に来てたみんながよってたかって抜い
てくれた。嬉しかった。

1998.1.17.モノノケとのLIVEペインティングを終えて(KOBE NOTE より)


緊急集会 神戸YMCA 2階にて

今、仮設が抱えている住宅問題はゆううつすぎる。そして土地・地区のすれ
違いがあることもとても悲しい。みんな一所懸命なのに、なかなかうまく行
ってないみたいだ。神戸新聞に真実はいっさい掲載されてなかった。

8時頃「しんげんち」に着く。腹ぺこだった。僕のげんこつの1.5倍はあるお
にぎりを3つペロリとたいらげ、スープは2杯のみこんだ。

僕は絵描きである前に人である。人である前に生きものである。
いや しかしそれは同時にかねそなえたものである。

僕はこの神戸での生活をどう過ごそうか、まったく始めから考え直すことを
感じる。(KOBE NOTE より)


『KOBE NOTE 1998.1.15-6.22』(2005年)より

ふと新宿の事が気になった。
僕は新宿に住んで絵を描くべきなのだろうか?
僕自身ホームレスと呼ばれなければ あそこに絵が描けないのだろうか?
あそこに住まうことはそもそも可能だろうか?

東大駒場寮に比べれば、自治の完成度は神戸の方が圧倒的に高い。ハタチそ
こそこの子供たちによる、屁理屈の政治ごっことは訳が違う。

駒場両委員会の人たちを仮設か公園に住まわせて「暮らし」と「理論」の大
きな隔たりを感じて欲しいと思った。(KOBE NOTE より)

●1998年1月21日

 
けれど神戸は楽しかった。ティンゲリーの作品のようなゆかいなオブジェが
 あったり、絵本館があったり、港を眺めるロマンチックな風景があったした。

 テント村から神戸駅前へ。僕はこの強烈なコントラストに少しくらくらした。

 「神戸」というイメージ通りの神戸だ。新宿のコントラストもすごいが、神
 戸の方がおしゃれである。

 震災などなかったようにモザイク通りを歩く恋人たち。僕だって恋人とここ
 を歩きたい。僕はわざわざ深刻ぶりたくなかった。楽しい所は楽しくてよい。

 僕はなぜここに来てるのだろう? これはずっと僕につきまとう謎だ。
 真実を求めてさすらう旅人なのか?

 僕も役に立ちたい。僕のつくったものが何かを変えられたら。誰かを励ませ
 られたら、誰かを笑わせられたなら、誰かにショックを与えられたなら、誰
 かを目覚めさせられたなら、僕は嬉しい。絵がもっと全てを支えられたなら。
 (KOBE NOTE より)

●1998年1月23日

『KOBE NOTE 1998.1.15-6.22』(2005年)より

「しんげんち」には子どもも住んでいました。名前はみえちゃん。村長の娘さんである。当時小学二年生くらいだったと思う。

村長の田中さんは靴工場の工場長さんでした。震災で家も工場も失ったけれど、行政は何もしてくれなかったので公園にコンテナを置いて、テント村を立ち上げて「しんげんち」という交流の場を作ったのでした。

みえちゃんとの遊び相手が、「しんげんち」での私の主な仕事でした。みえちゃんは時折とても悲しげな表情を見せます。震災後三年経ち、公園から学校に通っている彼女。心の中にはなにかいろいろ渦巻いている感じがしました。

それから、「しんげんち」では毎週日曜日に「お昼の炊き出し」を行っていました。近所の仮設住宅に暮らす人たちが何十人と食べにきます。仮設住宅にも行けずに、公園に暮らす田中さんたちが、支援活動の拠点「しんげんち」を作っているのです。

三浦君という、たまたま「しんげんち」に流れてきた青年がテント村に暮らすようになり、ボランティアをしていました。三浦君は炊き出しに来た人たち全員に声をかけ、ひとりひとりの状況を丹念に聞いていました。

「しんげんち」は行政やリッチな人たちの行う、目立つ支援から取りこぼさている人たちを支援していました。

「ひとりも取りこぼさない」と、村長の田中さんは言っていました。それは途方に暮れるような理想論のように聞こえてしまいそうですが、お偉い為政者のきれいな言葉と違って、ここでは本当にそういう支援をしようとしていたのでした。(つづく)


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【羽化の作法 69】1998年「しんげんち」へ

『お月さまが落っこちてきた夜』
351×244mm  鉛筆 色鉛筆 ボールペン 紙 1999年
この絵は地震の阪神淡路大震災から3年経っても公園に現存していたテント村「しんげんち」で描きました。私はしばらくの間「しんげんち」のコンテナハウスに暮らしながら制作をしました。「お月様が落っこちてきた夜」とは地震のことを指しています。

この絵は『お月さまが落っこちてきた夜』というタイトルで、1999年神戸市須磨区下中島公園にある非公認避難所「しんげんち」で描いた作品です。

『お月さまが落っこちてきた夜』とは、阪神淡路大震災のことをさしています。


「しんげんち」は、街中にある普通の公園内にコンテナハウスが10棟ほど立ち並ぶ集落で、1995年の阪神淡路大震災で被災して仮設住宅にすら入れなかった人たちが、いわば「スクワット(不法占拠)」して作ったテント村です。

神戸市須磨区下中島公園「しんげんち」1998年
1998年〜2001年、阪神淡路大震災のテント村に暮らして制作します。

私はこのテント村「しんげんち」に、1998年1月17日から滞在することになりました。自主的な動機はなかった、といっていいでしょう。

コリーヌ・ブレに「(まだ被災者がいて復興できていない)神戸に行って何かをするといい」と強く推されて、行く決断をしたのでした。自分を褒めてくれたのがただ嬉しくて、彼女の言う通りにしたのです。

お金のことも、アーティスト活動としての見通しも、予定も、何もありませんでした。

ただ、ポンと見知らぬ場所に放り出されて、そこからサバイバルゲームを始めるような感じでした。

ではこの「しんげんち」とはどんな村だったのでしょう。

このテント村は長田町の被災者がメインのコミュニティでした。長田町とは靴工場などが密集してたところらしく、地震と火事で壊滅的な被害を受けた地域だったようです。

私はここら辺の地域の歴史にはほとんど無知だったのですが、どうも震災で最も被害がひどかった場所が、在日コリアンと被差別部落の人たちの暮らす地域で、その人たちがどういうわけかまるで支援の手が差し伸べられておらず、挙げ句、自主的に公園を占拠して助け合っている拠点が、この「しんげんち」だったのです。

復興の差異に差別が働いてたのかどうかは分かりませんが、見てはいけない日本の歴史の闇に、覆い被さった蓋のようなものがあるような感じもしました。

なんならその場所に暮らしながら、岡本太郎よろしく「芸術は爆発だ!」と陽気にアートの花を咲かせてやろうじゃないか! と意気込むしかありませんでした。自分なりの正義感もあったと思います。

「もし差別があったならばそんなもの吹き飛ばしてやる」と。「芸術で革命を起こすのさ!」と。なんのあてもないけどそう思ったのです。と言うか、そう思い込むしかありませんでした。

「走り出したら何か答えが出るだろうなんて俺もあてにはしてないさ 男だったら流れ弾のひとつやふたつ
胸にいつでもささってる」

そんな歌詞(SHOGUN「男達のメロディー」)を心の励みにして、神戸の滞在に挑みました。

足掛け3年にわたり、私は神戸で何かを形にしようと試行錯誤しました。

「しんげんち」ではコンテナハウスの隙間を野外アトリエにしていました。


結果を先に言うと、私はこの神戸での体験で7〜8年にわたり、うつ状態に苦しむことになりました。自殺寸前まで追い込まれました。

要するにアーティストとして何も成すことなく、「芸術で爆発する」ことはおろか、何の意味も役にも立たず、最終的には追い出されて、身も心もボロボロになって、一文無しで上尾の団地に倒れるように帰ってきたのです。

2018年に福島市に設置された、現代アーティストのヤノベケンジさんの作品『サン・チャイルド』が地元の人たちの意見によって撤去されるニュースがありましたが、私から言わせたらそんなことは大成功の類いです。
http://www.minyu-net.com/news/news/FM20180829-301929.php


毎朝、「無能な自分は死ぬべき人間だ」という文言で目覚め、ふと我に帰ると「死にたい」と思うのでした。毎日毎日、「自分は生きていても意味はない」「死んだほうがいい」「死ぬべきだ」「死にたい」という言葉が、私の意識を襲うのでした。

回復の兆しが見えたのは2009年でした。

ある朝、お腹のあたりが光るような奇妙な感触を覚えて、目覚めたのでした。そしてその日の朝は、「死んだほうがいい」という言葉が聴こえて来なかったのです。

このお腹に光を宿すような体験をした日をさかいに、徐々に「自分は死ぬべきだ」という言葉が発生しなくなって行ったのです。

ただ体調が最も悪くなるはそのあとの2011年で、とうとう怖くて電車にも乗れなくなってしまうのでした。それは夏至が過ぎた後に、最高気温が来るような感じでした。

そんな、人生どん底まで落ちるきっかけが、神戸での滞在制作だったことは事実でしょう。

そしてまた、この神戸での体験がきっかけとなって私は「ファンタジー」を描くことになるのです。絶望の淵から「ファンタジー」が芽生えてきたのはとても不思議でした。

私の自分自身が、自分の作品の主人公でした。ライブペインティングなどのパフォーマンスを多くやったのは、自分の身体も丸ごと作品の内側に入れるからでした。

「新宿西口地下道ダンボールハウス絵画」では、新宿の街が丸ごと絵画だったし、「東京大学駒場寮」では、駒場寮が丸ごと私の絵画だったのです。

なので実際に私が描いてる画面の絵は、作品のほんの一部でしかなかったのです。つまり、私の絵は不完全なカケラでしかなく、最初はそれがすごく面白かったのです。

ところが、神戸をきっかけにして、私は体験を作品内に封入して完結させて、自分から独立させたいと思うようになって行ったのでした。

体験を籠めるならエッセーのようなスナップのような写実ではなく、また批評でもなく、「ファンタジー」だ、と強く思うようになって行ったのです。

ファンタジーに行くきっかけになったのが、コンテナハウスに滞在している時に見た夢でした。


岡本太郎とゾンネンシュターンの絵が混ざったような世界に、私は立っていました。赤い有機的な曲線の巨大な何かが漂っています。

すると「縄文と現在を結ぶのはファンタジー」という意味合いのことが、言語ではなくて直接テレパシーを受けたように、何か啓示でも授かったような感じで響いてきたのです。

そして私はすごくそれを「理解した! 合点した!」と言う感触を味わったのでした。

そこで私は目覚めました。ナゾナゾを解いた時のような快感が、残り香のようにまだ胸に火照っていました。

「これってどう言う意味だろう?」
「ひょっとして神話をちゃんと読めってことかな?」

私はそう解釈したのでした。それから私は、日本神話に初めて興味を抱くことになるのでした。

私はコンテナハウスに暮し始める初日の1月17日、市役所前での被災者たちの抗議集会のイベントで、ライブペインティングをしました。自分にできることは内側から寄り添って描くことだけでした。

それから、集会所となっている「しんげんち」のコンテナハウスに数か月かけてペインティングし、パネルに絵を描き続けました。

そして6月に行われる「しんげんち祭り」のスタッフとして、祭りを盛り上げるためにあちこちに駆け回るのでした。

「しんげんち」ペインティング
テント村の集会所になっていた2つのコンテナを組み合わせた建物を丸ごとペインティング
1998年 武盾一郎と鷹野依登久のコラボレーション

「しんげんち」滞在中、コンパネ二枚に描かれた絵
素材はペンキ
A-Musik『生きてるうちに見られなかった夢を』のイメージに使われています
http://am.jungle-jp.com/

【武盾一郎(たけじゅんいちろう)/猫肖像画制作中】

◎9月15日発売「小説すばる10月号(集英社)」にてSF作家・樋口恭介さん(@rrr_kgknk)の新作短編『輪ゴム飛ばし師』の扉絵を担当しました!

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